単純化したモデルの限界を指摘
2022年1月4日
10年以上にわたり、日本は経済理論をよりどころに、異常に膨張的な金融財政政策を展開し、コロナ禍による経済停滞からの脱出のためとして、さらに拍車がかかっています。
経済理論を我田引水、都合のいいように掲げる「日本的政治現象」にとって、必読の書ともいえる名著が出版され、注目されています。猪木武徳・阪大名誉教授による近著「経済社会の学び方」(中公新書)です。
貨幣数量説、FTPL理論、MMT理論などに直接言及はしていなくても、これらを現実の政策に生かす際に留意すべことが的確に指摘されているように思います。黒田総裁、安倍元首相、岸田首相らは読んでほしい。
国内で経済理論を巡り論争が起きています。正統派が「財政出動は一時的な効果しかないのに、長期化している」(小林慶一郎氏)と批判すれば、膨張派は「効かなかったのではなく、財政出動が足りなかった」(評論家中野剛志氏)と暴論めいた主張が月刊文春(1月号)にも載るほどです。
理論モデルの限界、理論と政策の関係、理論と政治との距離感、因果関係論の弱点を縦横に論じる本書はタイムリーな出版です。
泥沼から脱出できない膨張的な金融財政政策は、主に米国発の経済理論に依拠しています。異次元金融緩和政策は、黒田日銀総裁が信奉する「マネーを増やせば物価上昇する」という貨幣数量説からスタートしました。
金融政策による効果が幻想であることが分かると、ノーベル賞学者のシムズ氏が提唱するFTLP理論(物価水準は貨幣的現象でなく、財政政策で決まる)に日本の政治は着目しました。アベノミクスを応援した浜田宏一氏(イエール大)もこの理論に接し「目から鱗が落ちた」そうです。
最近では財政膨張を容認するMMT(現代金融理論)を自民党保守派が担ぎだし、史上最高額の予算編成を後押ししました。「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を増やしても、債務不履行に陥ることはない。インフレになれば増税で市中に出回っているマネーを吸収すればいい」との理論です。
古今東西の古典的名著を含め、現代社会に有益な至言の数々を抽出し、歴史に残る経済理論も多数、取り上げられています。アダム・スミス、マルクス、ケインズ、ワルラス、マーシャルはもちろん、日本の福沢諭吉、大塚久雄らにも言及する幅の厚みが印象的です。
鋭い指摘をいくつか紹介しましょう。「理論は現実のある側面を大胆に切り取り、首尾一貫性を保持させている」「不確実性に満ちた現実の政策論議に理論を持ち込むことには慎重であらねばならない」。
経済理論と経済政策を区別して考えることが必要だと、猪木氏は強調しています。増税が必要になっても、政治がその決断を容易にできない。政治行動の分析を抜きにした前提で成り立っている財政理論は、経済政策にそのまま取り込んではならないと言いたいのでしょう。
財政拡張論はケインズ主義(積極財政論)を下敷きにしています。それに対し、猪木氏は「財政拡張策を長期にわたり取り続けると、経済をマヒさせてしまうことをケインズは知悉していた」と指摘します。
日本は長期国債残高が1000兆円を超すのに、先進国中、経済パフォーマンスが最悪なのは、ケインズの指摘の通りなのでしょう。ケインズは「一時的な刺激が経済を正常な軌道に乗せるための手法と考えていた」のに、日本の財政膨張派はその点に触れない。
猪木氏は、「因果関係の双方向性を認め、決して一方向だけを主張しなかったのが福沢諭吉の『学問のすすめ』だ」ともいいます。「無智が貧困の原因か」「貧困が無智の原因か」の問題は双方向性を認める必要があると、諭吉は論じたとは、猪木氏の指摘です。
自民党政権の「成長なくして財政再建なし」などについても、「因果関係を双方向から考える必要がある」になるということでしょう。「財政再建(財政依存症からの脱却)が成長を左右する」という視点が必要です。
黒田総裁の貨幣数量説は「国内経済における金融政策と物価上昇の関係」という単純化の上に立った理論です。猪木氏は「複雑な経済社会を正確に把握して問題点の抽出を」と主張し、理論モデルの限界を考察します。
コロナ危機によるサプライチェーンの混乱、経済回復に伴う需給の逼迫、終息に向かう金融緩和政策がもたすドル高・円安なども物価上昇の原因になります。異次元緩和のスタート時点で黒田総裁が想定した風景と現在の風景が様変わりになっていることに今では気がついているでしょう。
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