権力者の暴走より人畜無害がよい
2025年1月10日
世界の現状をみると、「英明な君主」はどこかにいないものだろうか、というはかない希望を持ちます。「君主制」の国は中東の一部にすぎないでしょうから、「英明な君主」を「英明な宰相、政治的リーダー」とおきかえることにしましょう。トランプ、プーチン、習近平氏らは「君主」であっても、「英明」とはほど遠い。欧州では次々に政権交代、与党の敗北が続き、「英明な宰相」は不在です。
野心や権力欲を持ったリーダーは多く存在しても、「英明」とはいえないでしょう。権力の座につけば、全権を握ったと錯覚し、多くが無謀、乱暴な政治に走ります。プーチン露大統領はウクライナを侵略し、習近平中国国家主席は絶対君主のように振る舞い、トランプ次期米大統領はグリーンランドという他国の領土を買収したいと言い出しています。
政治的リーダーが登場すると、権力の一極手中が起き、対外的にも国内的にも国家の暴走が始まります。「英明な君主とは」は、昔から政治学のテーマでした。「英明な君主」は近現代史では、例えば英国のチャーチルが合格するでしょうか。今現在で考えると、「英明な君主」は存在しない。
野心や権力欲を持ったリーダーが現れると、国内的にも対外的にも暴走が始まる。「英明な君相」は望むべくもない時代になりましたから、むしろ「凡庸な宰相」のほうを私は望みます。大それた野望を実現しようと思わず、必要最小限の政治、害をもたらさない「人畜無害の政治」にとどめる。領土の侵略、世界覇権、偉大な祖国の復活に挑もうとすれば、今のロシア、中国、米国となってしまう。有権者もそう悟るべきです。
安倍元首相は「総理大臣は森羅万象を司る」と、国会で答弁していました。他にも同じようなことを言っていた宰相はいるでしょう。これがいけないのです。「司ることができない森羅万象」を司ろうとする気持ちになるから、無理なことを始める。例えば、増税は容易ではないから財政破壊の膨張政策をとる。
権力の肥大化は、各国共通でしょう。国民各層の分断に目をつけ、ネットを動員する情報戦略、国家予算の持続性を無視した歳出膨張、軍事力も握った権力者にすり寄る猟官、企業経営者などが独裁者のような政治的リーダーを生みだす。民主主義国は世界の半数以下になり、専制主義、独裁主義の国家は過半を占め、歴史的に言えば、「無謀な君主」の時代を迎えていると思います。
政治の課題は山ほどあり、石破首相の所信表明演説のように、新聞1㌻を埋めつくすほどです。政治、経済、社会、環境、格差是正、デフレ対策、少子化対策など、課題は「森羅万象」に及ぶことは確かです。「森羅万象に及ぶ」ことと「森羅万象を司る」ことはまるで違う。司ろうとするから、できもしないことを政策綱領に羅列し、支持率を確保しようとする。「できる課題」と「できない課題」があることを野党もメディアも知るべきです。
「英明な宰相」なら、「国にはできることとできないことがある」というべきです。「森羅万象を司る」といいうから、国民も期待を持ってしまう。期待を持つ方の国民ももっと成熟しなければならない。政府は必要最小限のことしかできないし、やらない。「森羅万象」というから、国民、企業が群がってくるのです。
日本の安倍政権は憲政史上最長となり、親安倍の政治家、識者らが神格化するような振る舞いをしています。安倍氏が親交を結んだのは、トランプ氏、プーチン氏でした。安倍氏には2人の独裁的政治手法に魅せられているところがあったのしょう。野心を持った結果です。結果は裏目にでました。
異次元金融緩和・財政膨張政策も金融史に残るであろう暴走で、その結果である円安によって、日本の経済的地位(GDP)は下落しました。空白の30年を脱出するための異次元緩和政策も裏目に出ました。経済的に考えても達成できそうにないことやろうとした結果です。
石破首相に対する評価を社説でみると、「就任から3が月たった首相がいまだに日本の進むべき針路示せないでいるのは嘆かわしい。国の舵取りを担うリーダーとしての資質を疑われる」(読売6日)、「低姿勢を貫いて延命を図るようだが、この政権は何を目指し、どんな政策を実行しているのか、判然としない」(同7日)と、なんども酷評を繰り返しています。
石破首相は安倍政権がもたらした負の遺産を背負って出発しました。負の遺産を清算するには、30年以上はかかる。それを「3か月だった首相がいまだに・・・」と批判するのは酷です。批判したければ、安倍政権がどれほど膨大な負の遺産(金融、国債、裏金、旧統一教会問題)を残したかを解説し、石破政権の重荷に同情するかを書かないといけません。石破政権は「凡庸で人畜無害で結構、必要最小限のことをしてくれればいい」というしかないのです。
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