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おくりびと(納棺師)を初体験してみると

2015年04月26日 | 社会

 心に残る故人の葬送

                     2015年4月26日

 

 映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞し、つまり納棺師の仕事が広く知られるようになりました。先日、わたしの親類で80代半ばの女性が亡くなり、ごく少人数の家族葬に行きました。葬儀社は「今日は故人にお親しい方ばかり、納棺のお手伝いをしていただきましょう」と、おっしゃいます。

 

 「えっ、これまでやったことがないし、ちょっと気味が悪い」と尻ごみしました。それが、納棺師に指図されるまま、参列者と一緒に納棺、つまりおくりびとの手伝いをして、40分ほどの手順を終えると、「これで故人を偲びながら、心からお送りすることができたんだなあ」という不思議な気持ちが高まってきました。日本に伝わるこの葬送の儀を1度は体験してみるものだという思いでした。

 

 わたしはこれまで、親戚、友人、知人、仕事上の関係者の葬儀に何度も参列してきました。これまで1度もおくりびとの経験はないどころか、そういう儀式があることも、映画をみるまで、知りませんでした。ごく簡単な納棺の儀、たとえば唇を水で湿らす程度の経験はあります。それが今回は本式、正式、つまりほぼフルコースの儀なのです。

 

 お別れの時間を共有

 

 10数畳の和室の中央に、故人が布団の上に横たわっていました。40代半ばの納棺師が「皆様とご一緒にお別れの時を過ごしたいと思います」と挨拶しました。20代の女性がアシストします。「この世でとる最後の水です」という説明で始まり、割り箸のような小さな棒に脱脂綿を巻き、水を含ませたものが渡されました。「順にお願いします」と促され、故人の唇に水をつけます。

 

 次が体を濡れ手ぬぐいで、拭いて清める儀式です。手から腕へ、足からすね、ふくらはぎへと進みます。一巡すると、手袋をつけ、手甲を巻き、足には足袋を履かせ、脚絆を巻きます。これも皆で手伝います。「死出の旅に立つ準備です」との説明です。草鞋、短い模型のような杖も遺体のそばに置かれています。

 

 三途の川の船賃も用意

 

 遺体は真っ白な経帷子(白い着物)に着替え、首から頭陀袋を下げます。これも何人かが手伝います。このなかに旅の品々を入れるのです。「三途の川を渡る時のお駄賃(船賃)として、6文銭をお入れします。昔は小銭を入れました。現在は葬儀場の規制がありますので、印刷した6文銭です」とか。封筒ほどの大きさの紙に一文銭が6つ印刷してあるのを、納棺師は示しました。少しおかしくなるの押さえ、皆は「なるほど。リアリティーに近づける細かな工夫をしている」と。

 

 一方、納棺師補助の女性は、故人の顔を剃り、死に化粧を施していきます。みるみるうちに赤みが顔全体に行き渡り、生き返ったような表情です。故人のご主人が「今にも起き上がってくる感じだ」と、おっしゃいます。故人のご姉妹からは「呼べば姉さんがこちらにきそうね」と。本当に故人がよみがえって、旅立つのを皆が見守るという雰囲気になってきました。

 

 よみがえった故人が旅立つ

 

 遺体を棺に移すと、愛用の品々、愛用の衣服を棺につめます。さらに皆が花をちぎっては棺にいれ、埋め尽くします。このあたりからは、一般的に経験されている人は多いでしょう。愛用の品、服は「思い出の品々と共に葬送する」と、これまで信じきっていました。どうも「あの世でも使えるように」と願いがこめられているような気が本当にしてまいりました。

 

 僧侶による読経、大勢の参列者の焼香、列をなす立花、参列者に対する肉親の立礼もいいでしょう。社会的な地位があり、名声が残っているうちの葬儀はこれでしょう。それに比べ、皆、最後は友人、知人も去り、ごく少人数しか集まらない葬儀もあるはずです。

 

 今回はそれでした。おくりびとの儀式を参列者が手伝い、まるでよみがえったかのような故人を、あの世に送り出すという実感を分かち合う葬儀でした。これが太古から人類に伝わる本来の葬儀のあり方だったのかもしれません。

 

 

 

 



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