「有明や浅間の霧が膳を這ふ」
小林一茶の句です。
今年は一茶の生誕250年です。一茶は1763年長野県信濃町の生まれだそうですが、その長野県に昨日から来ています。
長野ははや晩秋といった風情で、写真のように木々もかなり色づいています。朝は吐く息が白くなりますし、夜の露天風呂では外気との寒暖差にブルッと震えました。
さて、冒頭の句は軽井沢町での句で、二松学舎大学の矢羽勝幸教授によれば「明け方宿の障子を開けるとまだ空に月が残り、裏の浅間山から流れてきた霧が部屋に入ってきて、膳の辺りをはって流れていく」とのことです。
一茶が何歳頃の作品なのかは不明だそうですが、情景が目に浮かぶようです。
一茶は生涯で約2万の句を作ったと言われていて、その数は芭蕉の約千句、蕪村の約三千句に比べ圧倒的に多いのです。
最も多いのは正岡子規で約二万四千句だそうですが、一茶の句は類似句や異形句が多く、数え方によっては子規の句数を上回るとも考えられるのだそうです。
さて、俳句は五・七・五からなりますが、十七文字(じゅうしちもじ)は世界最短の定型詩とのことです。
私は、この春まで句会に参加していましたが、俳句の魅力はいろいろある中でも、私は「潔さ」だと感じていました。贅肉を落として最後に残ったことを17文字にする。あれこれ言わず、17文字に全てを託す。そぎ落とすことによる表現の美しさです。
そして、一旦句が自分の手から離れたら、解釈は読み手にある。作り手の意図と異なる解釈をされたとしても、それもありということです。精一杯やって、退路を断つという感じです。そうした潔さに魅力を感じていました。
また、一字一字がもたらす影響力もあります。緩急をつけることで飛躍的にリズム感が出てくるのです。
同じように、人の育成も時期により緩急があると思います。
人材育成は一朝一夕ではいきません。短期間で大きな飛躍を遂げる時もあれば、その逆もあります。ただし、植物に光や水や肥料を与えることを止めてしまうと、成長は止まってしまうように、自ら学び、そして周りが積極的に育てようとしなければ、やはり人はなかなか成長できません。
緩急に惑わされることなく、実るまで育成をし続けることが必要だと、色づいた木々を見ながら思いました。
(人材育成社)