毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
停電
昨日の夕方、塾の授業中に突然照明が消えた。5時少し前で教室内にはまだ明るさが残っていたため、勉強中の子どもたちはさほど驚かなかった。私は教室から出て、すぐ横の壁に架かっているブレーカーを見たのだが、全てONになっていた。変だな、と思って階段を下りようとしたら、玄関口に私の父がいた。
「停電しちゃった」と私が言うと、「停電?今ここで電気を使ったからかな・・」と言って電気工具を見せた。玄関の戸の調子が悪いので修理してくれていたのだ。
「上のブレーカーはどうだ?」
「今見たけど正常、何ともなっていない」
「おかしいな・・。それじゃあ、一番元のブレーカーが落ちたのかな?」
と言って、一階のシャッターの横の壁にある配電盤を見に行った。私もすぐに直らなければ困ってしまうので、生徒たちに事情を話し、自習しているように言いつけて配電盤のところへ行った。しかし、そこも変わったことはないように見えた。
「ここのブレーカーも落ちてないよね」と私が言うと、
「そうだな」と、父も合点が行かないようだ。電気に関してまったくの素人の私ができることは何もない。でも、何かをせずにはいられなかったので、あれこれスイッチを押してみたのだが、当然のごとく電気は点かない。「う~~ん」と唸って父を見ても、何がどうなったか皆目わからないという顔をするばかりだ。
「どうしよう?」
「そりゃあ、専門家に来てもらうしかないだろう」
「そうだね」
私は近所の電器屋に電話してみたが、あいにく仕事で名古屋まで出かけていると言われた。それじゃあ、ともう一軒別の電器屋に電話してみたが、こちらは誰も出てくれない。「困ったな」と、次第に焦り始めた私は父の意見に従って、電力会社に電話してみた。しかし、もう営業時間が終わって、録音された音声が流れるだけだった。「どうしよう」。はっと気づくと、夕闇が迫り始めている。慌てて教室に戻ったら、生徒たちはおとなしく勉強していたものの、教室内はかなり薄暗くなっていた。まだ何とか文字を読める明るさは残っていたが、このままではすぐに暗闇に変わってしまう。「何とかしなきゃ」。もう一度階段を下りて配電盤をにらんでみたが、原因が分かるはずもない。かと言って何もしないではいられないので、電話に出なかった電器店にまた電話してみた。すると、今度は4、5回鳴らしただけで電話に出てくれた。私はかいつまんで状況を説明したところ、
「家のブレーカーがなんともなってないなら、直接電柱のブレーカー落ちたのかな・・。でも、普通そんなことないし・・。まあ、すぐに行きますわ」と言ってくれた。私は、電器屋が来れば何とかしてくれるだろう、とかなり安心した。教室に戻って、生徒たちに「電器屋さんが来てくれるからもう大丈夫。それまでもうちょっと我慢してくれ」と話したのだが、教室は一段と暗くなっていた。生徒の顔がくすんではっきりしない。もし電器屋が来ても簡単に直らないようなら、もう夜は授業ができなくなってしまう。そうしたら、生徒の家に休講を連絡しなければならないが、妻は昨日から息子の付き添いで東京に出かけてしまっていた。私一人で40軒近くの家庭に電話するには時間が足りない。「そうなったら、どうすればいいんだろう?」と、焦る気持ちを何とか抑えながら、子どもたちの勉強を見ていたら、やっと電器屋が車で来てくれた。
電器屋は車から降りるなり、配電盤を調べてくれたが、「何ともなってないなあ・・。おかしいなあ」とブツブツ言いながら首をかしげている。「待てよ、これかな?」と言って、一番左にあったブレーカーのスイッチを一旦下まで下げてから、上へはね上げた。すると、塾中の明かりが一瞬のうちに点灯した。
「おお!」思わず私は声を上げてしまった。初めて電灯の明るさを体験した明治時代の人々も、こんな気持ちがしたのだろうかと思うほどの感激だった。
電器屋の説明によると、このブレーカーには漏電防止の装置も付いているため、普通のブレーカーのようにスイッチをただ上げるだけでは作動せず、一度下まで下ろしてリセットしてから上へ上げなければならない構造になっているのだそうだ。そんなことなど父も私も知っているはずもないから、大慌てしてしまった。父など、自分が原因を作っただけに、明かりが点灯したのを見て心底ホッとしたようだった。私は電器屋に平身低頭して心から感謝の意を表してから、教室に戻った。教室は驚くほど明るかった。
「この部屋ってこんなに明るかったっけ」と生徒に聞いてしまうほどだった。子どもたちは突然の出来事を結構楽しんでいたようだが、私は薄氷を踏む思いだった。時間にすれば30分ほどだったろうが、実に冷や汗ものの事件だった。
しかし、何にしても塾を休まずにすんだのだから、よしとしなければならないだろう。
「停電しちゃった」と私が言うと、「停電?今ここで電気を使ったからかな・・」と言って電気工具を見せた。玄関の戸の調子が悪いので修理してくれていたのだ。
「上のブレーカーはどうだ?」
「今見たけど正常、何ともなっていない」
「おかしいな・・。それじゃあ、一番元のブレーカーが落ちたのかな?」
と言って、一階のシャッターの横の壁にある配電盤を見に行った。私もすぐに直らなければ困ってしまうので、生徒たちに事情を話し、自習しているように言いつけて配電盤のところへ行った。しかし、そこも変わったことはないように見えた。
「ここのブレーカーも落ちてないよね」と私が言うと、
「そうだな」と、父も合点が行かないようだ。電気に関してまったくの素人の私ができることは何もない。でも、何かをせずにはいられなかったので、あれこれスイッチを押してみたのだが、当然のごとく電気は点かない。「う~~ん」と唸って父を見ても、何がどうなったか皆目わからないという顔をするばかりだ。
「どうしよう?」
「そりゃあ、専門家に来てもらうしかないだろう」
「そうだね」
私は近所の電器屋に電話してみたが、あいにく仕事で名古屋まで出かけていると言われた。それじゃあ、ともう一軒別の電器屋に電話してみたが、こちらは誰も出てくれない。「困ったな」と、次第に焦り始めた私は父の意見に従って、電力会社に電話してみた。しかし、もう営業時間が終わって、録音された音声が流れるだけだった。「どうしよう」。はっと気づくと、夕闇が迫り始めている。慌てて教室に戻ったら、生徒たちはおとなしく勉強していたものの、教室内はかなり薄暗くなっていた。まだ何とか文字を読める明るさは残っていたが、このままではすぐに暗闇に変わってしまう。「何とかしなきゃ」。もう一度階段を下りて配電盤をにらんでみたが、原因が分かるはずもない。かと言って何もしないではいられないので、電話に出なかった電器店にまた電話してみた。すると、今度は4、5回鳴らしただけで電話に出てくれた。私はかいつまんで状況を説明したところ、
「家のブレーカーがなんともなってないなら、直接電柱のブレーカー落ちたのかな・・。でも、普通そんなことないし・・。まあ、すぐに行きますわ」と言ってくれた。私は、電器屋が来れば何とかしてくれるだろう、とかなり安心した。教室に戻って、生徒たちに「電器屋さんが来てくれるからもう大丈夫。それまでもうちょっと我慢してくれ」と話したのだが、教室は一段と暗くなっていた。生徒の顔がくすんではっきりしない。もし電器屋が来ても簡単に直らないようなら、もう夜は授業ができなくなってしまう。そうしたら、生徒の家に休講を連絡しなければならないが、妻は昨日から息子の付き添いで東京に出かけてしまっていた。私一人で40軒近くの家庭に電話するには時間が足りない。「そうなったら、どうすればいいんだろう?」と、焦る気持ちを何とか抑えながら、子どもたちの勉強を見ていたら、やっと電器屋が車で来てくれた。
電器屋は車から降りるなり、配電盤を調べてくれたが、「何ともなってないなあ・・。おかしいなあ」とブツブツ言いながら首をかしげている。「待てよ、これかな?」と言って、一番左にあったブレーカーのスイッチを一旦下まで下げてから、上へはね上げた。すると、塾中の明かりが一瞬のうちに点灯した。
「おお!」思わず私は声を上げてしまった。初めて電灯の明るさを体験した明治時代の人々も、こんな気持ちがしたのだろうかと思うほどの感激だった。
電器屋の説明によると、このブレーカーには漏電防止の装置も付いているため、普通のブレーカーのようにスイッチをただ上げるだけでは作動せず、一度下まで下ろしてリセットしてから上へ上げなければならない構造になっているのだそうだ。そんなことなど父も私も知っているはずもないから、大慌てしてしまった。父など、自分が原因を作っただけに、明かりが点灯したのを見て心底ホッとしたようだった。私は電器屋に平身低頭して心から感謝の意を表してから、教室に戻った。教室は驚くほど明るかった。
「この部屋ってこんなに明るかったっけ」と生徒に聞いてしまうほどだった。子どもたちは突然の出来事を結構楽しんでいたようだが、私は薄氷を踏む思いだった。時間にすれば30分ほどだったろうが、実に冷や汗ものの事件だった。
しかし、何にしても塾を休まずにすんだのだから、よしとしなければならないだろう。
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