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家事

 先週の金曜から妻は息子の受験の付き添いで東京に行っている。火曜まで帰って来ない予定なので、その間は家事全般を私が引き受けなければならない。しかし、普段からほとんど妻に任せっきりにしている私に大したことができるはずもなく、せいぜい妻が言い残していったことをするのが関の山だ。毎晩風呂の掃除すること、できたら洗濯をすること、そして掃除も・・。しかし、私にも毎日の仕事があり、そうそう時間を割くことはできない。特に食事の準備には塾との兼ね合いもあって、それほど時間をかけられない。それを見越した妻は自分の不在の間に私と父が食べられる物をいくつかの作っておいてくれた。魚の切り身を焼いたもの、魚の煮物、うま煮、昆布豆など、盛り付けるだけで食べられるおかずを何品か作ってくれた。私はそれを電子レンジで温めればいいだけだ。他にも冷凍食品を冷凍庫いっぱいに買い置きしておいてくれた。


今のところ作り置きしてくれたもので間に合っているが、そろそろこうした食品の世話にならなければならなくなってきた。レンジでチンすればいいだけなんだろうが、それだけでも面倒な気がするのは、いくらなんでも怠惰と言うものだろう。この機会に少しでも自力でご飯くらい作れるようにならなくてはいけない。などと殊勝なことを思ってみるが、妻が帰ってくれば元通りの生活になってしまうのだろう。
 しかし、今回最もしんどかったことは米を洗うことだった。私は玄米しか食べない。玄米はほこりを取るためだけに一度水に漬けるだけですむ。しかし、白米はそういうわけには行かない。父の食べる白米を毎晩洗わなければならない。これが結構きつかった。
 私の大学時代はほとんど外食でめったに自炊をしたことはなかった。それでもほんのたまに炊飯器でご飯を炊いて簡単な夕食を食べたことはある。その時、家から送ってもらった米を洗うのに時間がかかって面倒だった記憶があって、どうにも米を洗うのが好きではなかった。しかし、今はこんな便利なものがある。


だが、これで少しは簡便になったといっても手で米を洗わなければ糠はなかなか落ちない。糠が身体にいいのか悪いのかよくは知らないが、洗っていると水が透明になるまで洗い続けなければいけない気がしてくる。

  

しかし、水がやたら冷たい。ざくざく洗っていると、右手から冷たさが全身に伝わって身震いする。とにかく右の手が痛い。春が近いなどと言った私がただの馬鹿者に思われるほど、身を切るような冷たさだ。1分と我慢ができない。自分の根性のなさを恥じるとともに、毎日妻がこの冷たさを我慢していたのかと思って、しばし呆然とした。塾が忙しいとか、身体がしんどいだとか、あれこれ不平不満を言っている私であるが、この水の冷たさ、痛さと比べれば何てこともないような気がしてくる。これは何も妻に限ったことではない、日本全国でこの冷たさ、痛さを我慢している人がいるのだ、そう思うと自分の我慢がまだまだ不足しているという気がしてくる。
 これをタイマーセットすれば朝になるとご飯が炊けているのだから、考えてみれば魔法のようなことだ。


 だが、この世には魔法なんてものは存在しない。必ず誰かが人知れず努力してくれた成果を他人が味わっているに過ぎないのだ。確かに自分が今こうしていることは大切なことであり、それは動かしがたい事実であるが、それを当然とするには自分以外の人々の労力がなければ成り立たないものであることを常に覚えていなければならないだろう。今回妻の不在がいい勉強になった。
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