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題名

 書店で本を選ぶのに何が決め手になるのだろう。作者の名前で選ぶことはよくある。自分が以前何作も読んだことのある作家の本は、書店にあるとつい手に取ってしまう。私は面白いと思った作家の作品は続けて読みたくなるので、書棚には同じ作者の本がまとまって並べられている。つい最近も内田樹の「態度が悪くてすみません」という本を読んだところ、その文章の語彙の豊かさに驚いてしまい、今時こんな文章が書ける人はなかなかいないだろうと、まだ最後まで読み終えていないのに、「寝ながら学べる構造主義」と「狼少年のパラドクス」の2冊を買ってきてしまった。現在この3冊を同時進行で読んでいるだが、読了したらまたこのブログで感想を述べてみたいと思っている。
 作者の名前以外に本を選ぶ動機となるものは、その本の題名ではないだろうか。題名と言えば古来短い一つの単語と相場が決まっていたが、今では「世界の中心で愛を叫ぶ」に代表されるような、短文を題名とする本も増えてきて、読者の購買意欲をそそる役目も担っているように思う。私が少し以前に読んだ「少し変わった子あります」という本の題名も、そうした類に入るだろう。
 私が書店でこの本を見つけたのは昨秋のことだ。「少し変わった子」などと題名にあったら、どんな変わった子が描かれているのだろうかと興味がわくのも当然だ。私は少し風変わりな人物が昔から好きだ。(「少し」でなければいけない。あまりに変わりすぎている人とは付き合えない)言葉の端々にその人独特な言い回しがあったり、動作にどこか特徴的なものがあったりすると、ついついその人に惹かれてしまう。私自身自分を至極まっとうな人間であると自負しているだけに、ちょっとたがが外れた人が羨ましくなるのかもしれない。そんな私がこんな題名の本を見つけたら、どうしたって買わないわけには行かない。作者の森博嗣という作家のことなどまるで知らなかったが、パラパラと申し訳程度にページを繰っただけですぐに買ってしまった。
 一気に読み終えてしまったが、正直言って私の期待は裏切られた。予想に反して、特に変わった子が登場するわけではない。小説中に設定された状況では、むしろ当然の反応をする人物を描いているに過ぎないと思った。ただ、その状況がかなり風変わりなだけだ。
 大学教授である「私」が、同僚からある料理店を紹介される。そこは電話で予約を取るたびに店の営業する場所が変わる。店が回したタクシーに乗って店にたどり着くと、女将が出迎えてくれる。その女将だけが毎回同じであるが、この店にはある特別な趣向を注文することができる。それは、店の用意した1人の女性と一緒に食事をするというものだ。出される料理をその女性と二人だけで食べる。その間会話が弾むこともあれば、全くの沈黙が続き、相手が食事するのを見ているだけの場合もある。そして食事が終わると、その女性は礼を言って退出し、「私」がその女性の分の食事代も払う--それだけのサービスなのだが、初対面の女性と食事することが、何故だか「私」の心に触れ、何度も通ってしまうようになる。
 毎回行くたびに食事を共にする女性が違うのだが、そのいずれの言動もさほど変わっているようには思えない。変わっているのはその店の存在自体なのだから、もっと違った題名を付ければよかったのに、などと読み終えた私は思った。話の終わり方もイマイチだったし、面白そうで面白くない本だったというのが素直な感想だった。
 ところが少し経って、驚くべきことを発見したのだ。本当に偶然に知ったのだが、この本の作者・森博嗣が私の卒業した中・高の1歳先輩だったのだ。全く知らなかった。そこでプロフィールを少し調べてみると、
「作家、研究者。1957年12月7日生まれ。愛知県出身。工学博士。国立N大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に第1回「メフィスト賞」を受賞し作家デビュー。本人はN大と言い張っているが、(名古屋大であることは)ばればれである。2005年3月に大学を退職」
とあった。発表されたミステリー作品がかなりあるようだから、知る人ぞ知るという作家なのだろう。でも、私のようにミステリーを読まない人間にとっては、「少し変わった子あります」という題名がなかったなら、彼のことはこのままずっと知らずにいただろうから、やはり題名というものは大切なんだなと実感した。


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