毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
A-ロッド
「週刊文春」に李啓光が書いている「大リーグファン養成コラム」、今週は「A-ロッドが輝けない理由」と題するものだった。A-ロッドと言えば、過去にMVP2回、HRキング4回の輝かしい実績を持つN.Y.ヤンキースの主砲であるが、地元ニューヨークでの人気は今ひとつである。昨シーズンなど、打率.290 HR.35 打点121の成績を残しながらも、ヤンキースタジアムでは激しいブーイングを受けたりした。27億円もの球界最高年俸をもらっている選手であるから、少々の活躍ではファンが納得しないのは当たり前であり、特に結果を残せない選手には手厳しいと言われるN.Y.でプレーする以上宿命的なものかもしれないが、それにしても彼がそこまでバッシングされるにはどんな原因があるのであろうか。李は、このコラムで2つの原因を述べている。
1つ目にA-ロッドの「自意識過剰」を挙げる。「必要以上に自分のイメージに気を使っているのだが、気の使い方が鼻につくほど露骨なので、逆にファンの反感を買っている」という。そのよい例として挙げられているのが、2月6日に彼が出版した子供向けの絵本の促販キャンペーンとして出演する予定のTVの朝のワイドショーをドタキャンしたことことだ。自分のイメージに気を使うA-ロッドが司会者の質問内容を事前に規制しようとしたことが原因のようだが、「かっこつけようとしてまた墓穴を掘った」などと地元では揶揄されているらしい。確かに私も昨年、自分が余りにかっこいいから、他人がやっかみ半分にひどいことを言うのだ、などとA-ロッドが語ったという記事を読んだ記憶がある。それならそれでいいのかもしれないが、そうした「自意識過剰」なところが、「ここぞと言うときに実力を発揮できない、『プレッシャーに対する弱さ』にも現れている」と李は指摘する。なるほどそうかもしれない。さらには昨シーズンのプレーオフの地区シリーズ最終戦で、トーリ監督が彼を8番まで降格したことを挙げ、「チームもファンもまったくA-ロッドを信頼していないことを象徴する事件だった」と述べている。もうA-ロッドが可哀相になるくらいだ。
第2の原因として李はヤンキースのキャプテン、D.ジーターの存在を挙げる。A-ロッドがヤンキース入団前に、かつては仲のよかったジーターを「所詮は2番。中心打者のプレッシャーを知らない」と腐したことで、冷たい関係になってしまったと言われている。今年のキャンプ前にも、A-ロッドがジーターとの不仲をほのめかすような発言が物議を呼んだ。しかし、一緒にプレーするようになってジーターと直接比較対照され、プレッシャーに弱いのは自分の方だとA-ロッド自らが証明してしまったのだから、皮肉なものだ。李は、「『太陽神』ジーターが強烈な光を放ち続ける限り、A-ロッドが『ヤンキースの星」として光り輝く日は、永遠に来そうもないのである』とまで言い切っている。ヤンキース入団時に、ゴールドグラブにも選ばれたショートのポジションをジーターに遠慮してあきらめ、慣れないサードに移って守備に苦しむようになった時点で、こうした事態は予測できたような気もする。
コラムはここで終わっているが、私にはもう一つ理由があるように思われる。それは、2004年リーグチャンピオンシップにおいて、必死になるあまり走塁中に一塁手が捕球したボールを無意識のうちに手ではたき落としたプレーに象徴されているように、A-ロッドには一つのプレーに集中しすぎて周りの状況が見えなくなってしまうような傾向があるように思う。集中力は何をするにしても大切なものだが、過度になってしまうと思わず眉をひそめたくなるようなことをしてしまうことは誰にもある。昨シーズン松井が復帰した後の試合で、3番バッター、アブレイユがHR.を放った。すると普通なら次打者はHR.を打ったバッターをホームプレート辺りで出迎えるのが習慣であるのに、A-ロッドはじっと自分のバット見つめながら、わざと遠回りをしてアブレイユがホームインするのをやり過ごしたようにTVでは見えた。善意に解釈すれば集中力を高めていたから、気づかなかったと言えなくもないが、まあ見ていて気持ちのいいことではなかった。そうした細かなプレー1つ1つに対する不満が観客の心に蓄積していき、彼が凡プレーをしたときに一気に爆発するのかもしれない。
しかし、何といっても素晴らしい選手だ。素晴らしいからこそ見ているほうは期待してしまう。今年もかなりのブーイングは受けるだろうが、最後まで気持ちのいいプレーを続けていって欲しいものだ。
1つ目にA-ロッドの「自意識過剰」を挙げる。「必要以上に自分のイメージに気を使っているのだが、気の使い方が鼻につくほど露骨なので、逆にファンの反感を買っている」という。そのよい例として挙げられているのが、2月6日に彼が出版した子供向けの絵本の促販キャンペーンとして出演する予定のTVの朝のワイドショーをドタキャンしたことことだ。自分のイメージに気を使うA-ロッドが司会者の質問内容を事前に規制しようとしたことが原因のようだが、「かっこつけようとしてまた墓穴を掘った」などと地元では揶揄されているらしい。確かに私も昨年、自分が余りにかっこいいから、他人がやっかみ半分にひどいことを言うのだ、などとA-ロッドが語ったという記事を読んだ記憶がある。それならそれでいいのかもしれないが、そうした「自意識過剰」なところが、「ここぞと言うときに実力を発揮できない、『プレッシャーに対する弱さ』にも現れている」と李は指摘する。なるほどそうかもしれない。さらには昨シーズンのプレーオフの地区シリーズ最終戦で、トーリ監督が彼を8番まで降格したことを挙げ、「チームもファンもまったくA-ロッドを信頼していないことを象徴する事件だった」と述べている。もうA-ロッドが可哀相になるくらいだ。
第2の原因として李はヤンキースのキャプテン、D.ジーターの存在を挙げる。A-ロッドがヤンキース入団前に、かつては仲のよかったジーターを「所詮は2番。中心打者のプレッシャーを知らない」と腐したことで、冷たい関係になってしまったと言われている。今年のキャンプ前にも、A-ロッドがジーターとの不仲をほのめかすような発言が物議を呼んだ。しかし、一緒にプレーするようになってジーターと直接比較対照され、プレッシャーに弱いのは自分の方だとA-ロッド自らが証明してしまったのだから、皮肉なものだ。李は、「『太陽神』ジーターが強烈な光を放ち続ける限り、A-ロッドが『ヤンキースの星」として光り輝く日は、永遠に来そうもないのである』とまで言い切っている。ヤンキース入団時に、ゴールドグラブにも選ばれたショートのポジションをジーターに遠慮してあきらめ、慣れないサードに移って守備に苦しむようになった時点で、こうした事態は予測できたような気もする。
コラムはここで終わっているが、私にはもう一つ理由があるように思われる。それは、2004年リーグチャンピオンシップにおいて、必死になるあまり走塁中に一塁手が捕球したボールを無意識のうちに手ではたき落としたプレーに象徴されているように、A-ロッドには一つのプレーに集中しすぎて周りの状況が見えなくなってしまうような傾向があるように思う。集中力は何をするにしても大切なものだが、過度になってしまうと思わず眉をひそめたくなるようなことをしてしまうことは誰にもある。昨シーズン松井が復帰した後の試合で、3番バッター、アブレイユがHR.を放った。すると普通なら次打者はHR.を打ったバッターをホームプレート辺りで出迎えるのが習慣であるのに、A-ロッドはじっと自分のバット見つめながら、わざと遠回りをしてアブレイユがホームインするのをやり過ごしたようにTVでは見えた。善意に解釈すれば集中力を高めていたから、気づかなかったと言えなくもないが、まあ見ていて気持ちのいいことではなかった。そうした細かなプレー1つ1つに対する不満が観客の心に蓄積していき、彼が凡プレーをしたときに一気に爆発するのかもしれない。
しかし、何といっても素晴らしい選手だ。素晴らしいからこそ見ているほうは期待してしまう。今年もかなりのブーイングは受けるだろうが、最後まで気持ちのいいプレーを続けていって欲しいものだ。
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