毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
形容詞
2007年09月03日 / 塾
高3の女の子が質問してきた。
「『だるい』って、英語の dull に「い」をくっつけた言葉なんですか?意味が似ているので、dull は『だるい』って覚えちゃったんですけど」
ほーっと思った、今まで考えもしなかったことだ。こういうことが時々あるので、子供たちと接するのは面白い。
「なるほど、そう言われてみるとそんな気がしないでもないけど、やっぱり違うと思うよ。『だるい』っていうのは昔から日本語にあった言葉だと思うなあ・・。でも、一応調べてみる」
と言って、手元にあった「国語大辞典」で調べてみた。すると、
だるい【怠い・懈い】(「たる(疲)」の形容詞化「たるい」の濁音化)
①疲れて活気がない。おっくうである。たゆい。
②しまりがない。きりっとしていない。ゆるい。
③遅い。のろい。また、不十分である。
などと書いてあった。どこにも「dull から作られた言葉」とは書かれていないから、結果として高校生の類推は的外れであったわけだが、なかなかの言語感覚の持ち主だと思った。ちなみに、dull の意味は研究社の「英和中辞典」によれば、
dull (形) 1.<刃などの>鈍い、なまくらの
2.<人が>鈍感な、愚鈍な、分かりの遅い
3.<感覚が>鈍い
などとなっているから、生徒がそう思い込んだのも納得できないわけではない。
これに触発されて形容詞について少し考えてみた。活用語尾が「い」で終わり、名詞を修飾する言葉が形容詞であるから、「語幹+い」で簡単に形容詞は作れる。なので、英単語の一部を語幹とした形容詞だって作ることは可能だ。最近よく耳にする「エロい」とか「グロい」などは、そうした形容詞の代表だろう。聞いて気持ちのいい言葉ではないが、いつの間にか色んなところで盛んに使われるようになってしまった。もう完全に死語となってしまった「ナウい」というのもその仲間だろう。
こうした言葉は完全に造語であるから、時代の波にもまれて消えていくものもあり、一過性のものであると考えてもいいかもしれない。しかし、最近子供たちと接していて、彼らが使う形容詞が妙に簡略化されているのに気づいた。例えば、「気持ち悪い」が「キモい」になっているのは少し前からのことで、もう大分耳慣れてしまったが、
「難しい」→「むずい」
「恥ずかしい」→「はずい」
は何度聞いても違和感がある。(「うざい」は「うざったい」という関東地方の方言から来ていると言われている)
「この問題むずいよね」とか「あんな間違いしちゃったらはずいよ~」などと言われると、なぜ「この問題難しいよね」とか「あんな間違いしちゃ恥ずかしいよ~」と言わないのだろう、何でもかんでも省略すればいいってものじゃないだろうに・・、と思う。以前は私もそんな言葉使いをする子供に、「変だからやめろ」と注意していたが、もう最近は面倒になってきて言いたいままにさせている。(それでもやはり心の中には忸怩たる思いが渦巻いている)。
言葉は生き物であり、時代の気分を反映しているともよく言われる。それならこの形容詞の簡略化はどういう気分を映し出していると言うのだろう「ゆっくり話していられないようなせっかちな気持ち」なのだろうか、それとも「軽佻浮薄なこの世の趨勢」なのだろうか。いずれにしても、喜ばしい現象ではないように思う。
(先週末には、「茶髪い」などという言葉を女子中学生が使っているのを耳にした。「あの人たちはみんな茶髪いから」などと言っていたのには、しばし唖然としてしまった)
「『だるい』って、英語の dull に「い」をくっつけた言葉なんですか?意味が似ているので、dull は『だるい』って覚えちゃったんですけど」
ほーっと思った、今まで考えもしなかったことだ。こういうことが時々あるので、子供たちと接するのは面白い。
「なるほど、そう言われてみるとそんな気がしないでもないけど、やっぱり違うと思うよ。『だるい』っていうのは昔から日本語にあった言葉だと思うなあ・・。でも、一応調べてみる」
と言って、手元にあった「国語大辞典」で調べてみた。すると、
だるい【怠い・懈い】(「たる(疲)」の形容詞化「たるい」の濁音化)
①疲れて活気がない。おっくうである。たゆい。
②しまりがない。きりっとしていない。ゆるい。
③遅い。のろい。また、不十分である。
などと書いてあった。どこにも「dull から作られた言葉」とは書かれていないから、結果として高校生の類推は的外れであったわけだが、なかなかの言語感覚の持ち主だと思った。ちなみに、dull の意味は研究社の「英和中辞典」によれば、
dull (形) 1.<刃などの>鈍い、なまくらの
2.<人が>鈍感な、愚鈍な、分かりの遅い
3.<感覚が>鈍い
などとなっているから、生徒がそう思い込んだのも納得できないわけではない。
これに触発されて形容詞について少し考えてみた。活用語尾が「い」で終わり、名詞を修飾する言葉が形容詞であるから、「語幹+い」で簡単に形容詞は作れる。なので、英単語の一部を語幹とした形容詞だって作ることは可能だ。最近よく耳にする「エロい」とか「グロい」などは、そうした形容詞の代表だろう。聞いて気持ちのいい言葉ではないが、いつの間にか色んなところで盛んに使われるようになってしまった。もう完全に死語となってしまった「ナウい」というのもその仲間だろう。
こうした言葉は完全に造語であるから、時代の波にもまれて消えていくものもあり、一過性のものであると考えてもいいかもしれない。しかし、最近子供たちと接していて、彼らが使う形容詞が妙に簡略化されているのに気づいた。例えば、「気持ち悪い」が「キモい」になっているのは少し前からのことで、もう大分耳慣れてしまったが、
「難しい」→「むずい」
「恥ずかしい」→「はずい」
は何度聞いても違和感がある。(「うざい」は「うざったい」という関東地方の方言から来ていると言われている)
「この問題むずいよね」とか「あんな間違いしちゃったらはずいよ~」などと言われると、なぜ「この問題難しいよね」とか「あんな間違いしちゃ恥ずかしいよ~」と言わないのだろう、何でもかんでも省略すればいいってものじゃないだろうに・・、と思う。以前は私もそんな言葉使いをする子供に、「変だからやめろ」と注意していたが、もう最近は面倒になってきて言いたいままにさせている。(それでもやはり心の中には忸怩たる思いが渦巻いている)。
言葉は生き物であり、時代の気分を反映しているともよく言われる。それならこの形容詞の簡略化はどういう気分を映し出していると言うのだろう「ゆっくり話していられないようなせっかちな気持ち」なのだろうか、それとも「軽佻浮薄なこの世の趨勢」なのだろうか。いずれにしても、喜ばしい現象ではないように思う。
(先週末には、「茶髪い」などという言葉を女子中学生が使っているのを耳にした。「あの人たちはみんな茶髪いから」などと言っていたのには、しばし唖然としてしまった)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )