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ホルモー

 半年ほど前に、竜虎の母さんのブログで紹介のあった「鴨川ホルモー」を読んだ。作者の万城目学は、1976年生まれで私の卒業した大学の18年後輩にあたる。18才も違えば時代感覚や視点などに大きな懸隔があって当然のはずだが、どういうわけだか、本書からうかがえる彼が過ごした学生生活と私の過ごした学生生活とでは、オーバーラップするところがかなりあるようで、本書を読んでいるとあまりの懐かしさに切なくなり、胸がいっぱいになることもしばしばであった。
 4年前、娘の住まいを探すために久しぶりに訪れた百万遍辺りは、まるで30年近くも時計を戻したかのように昔のままだった。大学構内には新しく立派な校舎が林立していたが、漂う空気はまるで同じだった。あれはいったいどうしてなんだろう。道行く学生も、服装や髪型に違いはあるものの、かもし出す雰囲気が私の頃の学生たちに近いものがあった。今現在学生である娘と話していると、親子で物の見方や捉え方が似ている点を差っ引いたとしても、学生気質と呼ぶべきものは私と共通するものがかなりあるような気がする。それが校風なんだと言われればそうなのかもしれないが、京都という町が持つ独特の時間の流れの中で学生時代を過ごした者たちが共有する特異な感覚があるのかもしれない。卒業してずいぶんたったが、初めてそんな思いを持ったのも、「鴨川ホルモー」を読んだおかげだった。
 物語としては、他愛もない筋立てだと思う。京大青竜会と名付けられたサークルに集まった男女の青春グラフィティーを、かつて流行った「ピクミン」というTVゲームを連想させる、部員以外の目には見えない小さなオニを何百匹も戦わせる「ホルモー」という競技(?)を織り交ぜながら描いたもの、とでも要約できるだろう。それを少々頭でっかちで、実際には何の行動もできない、傍から見れば典型的なダサい京大生、安倍の目を通して描いていく。今どきの大学生の恋愛が、こんなにウブで純粋なのだろうかと訝しくなるくらいナイーブな安倍の思いも、京大キャンパスでは現実のものかもしれない。もちろん一部例外はあるだろうが、おおむねこの作品に描かれたプラトニックな恋愛観は京大の中では今でも主流であると、娘の話を聞いている限りでは想像できる。その辺りの事情は私の頃とあまりかわっていない印象を受けて思わず笑ってしまうのだが。
 この作品の文体は、いかにも京大生が書くような衒学的な印象を受けるが、それが作者の意図したところであるとしたなら、万城目学の文才はかなりのものだと思う。所々に冗漫で陳腐な表現も見受けられるが、安倍がホルモー仲間の楠木ふみから告白される次のくだりは、忘れられない珠玉の場面になっていると思う。

「すまない・・・俺が無神経だった。このとおりだ。ごめん――」
「違う」
彼女は唇を噛みながら、激しく首を振った。
「何で、そんなことばかり言うの?わ、わたしが好きなのはあ、安倍――お前なの!」
楠木ふみは一瞬、身体を大きく震わせ、叫んだ。
頭上で、ひときわ大きく雷が鳴った。楠木ふみの背後で、木々が風に煽られ、ごおっと音を立てた。
楠木ふみは髪をかき上げ、一歩、二歩、三歩と足を進め、俺の前で足を止めた。あまりのことに声も出ない俺の顔を楠木ふみは憎らしげに睨み上げ、メガネを手にしていない右手を大きく振り上げた。
次の瞬間――俺は楠木ふみの渾身の力をこめたビンタをくらっていた。

 
 こんな恋ができる若さが羨ましい。

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