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「本当の環境問題」

 昨年5月に池田清彦著「環境問題のウソ」を読んだ感想を書いた。環境問題について新しい座標を私に示してくれた書であったが、当時はなんだか天邪鬼の詭弁のように思えた。しかし、1年半近くたった現在、猫も杓子もエコを唱えるようになってしまうと、「エコ」という言葉が免罪符のようになってその裏に隠れている諸事情というものが見えなくなってしまっているのではないかと思うようになった。自分たちの住んでいる環境を住みやすいものに保とうとする思いは人間誰もが持つ本能のようなものであろう。しかし、そればかりを錦の御旗のように掲げ、それに反対するものはすべて切り捨ててもいい、というまさに大政翼賛的な雰囲気を醸成した勢力に異議を唱えることは大事ではないかと思う。
 そんな折、池田清彦が養老孟司との共著で出版した「本当の環境問題」(新潮社)を読んでみた。今年3月に初版が発行されて以来、私が買ったのが第16版であるから、相当な人が本書を買ったことになる。それだけ環境問題に多くの人がナーバスになっているとも言えるかもしれない。ノーベル平和賞を受賞したアル・ゴアの「不都合の真実」が明らかにした地球温暖化の「実態」は私たちに大きな衝撃を与えたが、本書の冒頭にそのゴア自身が豪邸に住み、毎月何十万円も光熱費を使っている事実を示して、「地球温暖化が脅威だなどとは本心では思ってはいない」などと軽いジャブで読者の多くが持つエコ神話を崩しにかかる。池田の展開する理論は「環境問題のウソ」を読んだ私には、何も目新しいものではないが、さらに舌鋒を鋭くさせた分だけかなりの説得力を持っている。
 
 「つくったあとのことしか考えないで、そこだけを強調して、それがエコロジカルだと言っているだけである。さまざまなエコグッズもそうだけれども、その「環境にやさしい」と言っている製品をつくるために、どれだけのエネルギーが投入されたのか、使われたエネルギーにそのエコグッズは見合っているのか、ということはあまり考えられていない。ただ「環境にやさしい」という言葉だけにつられて、エコグッズを使おうなどとキャンペーンに引っかかっている人が多い」(P.87)

などという一節を読めば、巷間喧伝されている「エコ」運動がなにやらまやかしのように思えてくる。もちろん限りある資源を節約して枯渇してしまう時期を少しでも先送りすることは大切であろうが、それよりももっと大切なことがたくさんある、というのが端的にいえば作者の考えである。
 一つの例としてCO2排出量の問題がある。日本は京都議定書で決められたCO2削減目標を批准したものの、自国の努力だけでは達成できる見込みなどとてもなく、CO2排出権を他国から大金を払って買わねばならない事態に陥っている。(こんなわけの分からぬ権利を買うのに多額の税金を投入するなと誰しも言いたくなるだろう・・)。日本の省エネ対策は世界で一番であるからこれ以上CO2を削減しようとすれば、産業を停滞させるしかない。それはできない相談であるから、排出権などを買うお金を、諸外国に優れた省エネ技術をどんどん紹介していくのに使うのが日本のなせる最大の国際社会、そして地球環境に対する貢献であるのかもしれない。

 「環境問題というのは、もともと各自がミクロ合理性を追求したことによって、マクロが非合法になるということでしょう。いまの環境問題というのは、環境問題自体がまさに大きな問題なんだよ。環境問題を理由にミクロ合理性を追求することによって、マクロに見るととんでもないような問題が生じているのだから。
 やっぱり、もっとシンプルに科学的に考えたほうがいい。エネルギー資源の問題をどう担保するか、とか、食べ物をどうするか、とか、本来はそれがいちばん問題でしょう。ところが、いまは、もはや個人の倫理観とか道徳とかモラルとかの話にまでなっている」(P.164)

 今の日本社会は「温室ガスによる地球温暖化」というシナリオだけで動いているように思える。だが、そこには必ずお金儲けをしようとする勢力が見え隠れしている。石油市場に流入した資金が次にはCO2排出権市場に向けられるという観測もあるようだが、そうした胡散臭さにも本書を読めば気付けるように思う。
 一読して損はない書だと思う。
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