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ゴーヤ

 今年は我が塾恒例の「サツマイモ掘り」ができないようだ。原因はイノシシ!ちょうどイモができ始めた頃に畑が荒らされて、ほとんど食べ尽くされてしまったそうだ。父がイノシシ対策に頭を痛めているのは知っていたし、フェンスで畑を囲ったとも聞いていたので、きっと大丈夫だろうと思っていたが、命がけのイノシシたちにはとてもかなわなかったらしい。毎年サツマイモ掘りを楽しみにしている塾生もいて、私も楽しい時間が過ごせるので残念極まりないが、父の落胆のほうがはるかに大きいだろうから、「仕方ないね」と諦めるしかない。憎きはイノシシ!と思いはするが、彼らも生き残るためには必死なのだろうから、ここは涙を飲むしかない・・。
 
 その代わりというわけではないだろうが、今年はゴーヤがやたらとできたそうだ。夏の盛りから今に至るまで、コンスタントに(時にはうんざりするほど山盛り)父が畑から持ち帰ってくる。それがどれも大きくて立派だから驚く。毎日せっせと畑に通って丹精込めた成果だと思うと有り難味もわくが、それにしても毎日の食卓にゴーヤでできた一品が必ずあるというのはかなり辛い。私はゴーや独特のあの苦さが苦手で余り好きではないが、手を変え品を変え食べやすいように工夫している妻の手前、半分目を瞑りながら一生懸命食べている。しかし、本当に苦い・・。
 それでも我が家だけではとても食べきれないので、機会があるといろんな人に手渡している。特に私の伯母がここ最近血糖値が上がって困っていたところ、その対策にはゴーヤを煎じて飲むといいと人から教えられて、「ゴーヤのお茶を飲もうと思っている」と言ったのを聞いた妻が、「じゃあ」と言って父がゴーヤを持ち帰るたびに、せっせと伯母のところへ運ぶようになった。父もそれに協力して、今までよりも多くのゴーヤを持ち帰るようになったから、さらにゴーヤが増えてしまい、家中ゴーやだらけのときもあるくらいだ。


 これでもか、というくらい持っていくので、ちょっと嫌がられたりはしないだろうか、と心配になるが、伯母はゴーヤを煎じて飲むようになってだんだんと血糖値が下がってきたと喜んでいる。自分の娘にも勧めて何人かで飲むものだから、いくらゴーヤがあってもいい、と持っていくたびに喜んでくれる。「どうやって作るの?」と私が聞くと、「ゴーヤを天日に干しておいて、水気が取れたなと思うくらいになったら、皮も種も丸ごと細かく切って、それを煎じるだけだよ。飲んでみる?」とコップに入れて持ってきてくれた。私は「苦くないの?」とかなり腰が引けたが、「苦いけど、飲めないほどじゃないよ」とすでに飲んだことがある妻が言った。「それじゃあ」と試しに飲んでみた。
 うん、確かに苦いがそれほどじゃない。咳止めの効果があるとされる露草を煎じたものよりもはるかに飲みやすい。煎じ薬独特の風味も仄かにして、いかにも薬効がありそうだ。「お父さんにも飲ませてあげて」と伯母がペットボトルに注いでくれたものを写真に撮ってみた。


 ペットボトルに入っているから濁っているように見えるが、実際はかなり透明度が高い。コップに注ぐと水と見間違えるほどだ。
 私の父は血糖値を気にしたことは今まで一度もないが、年が年だけに体にいいとされるものは何でも摂取したほうがいい。もらってきたものを飲ませてみたが、感想は一言、「まずくはないな・・」。このところ老化が進んできている気もするので、続けて飲んだほうがいいのかもしれない。
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