毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「曲芸師ハリドン」
夏休みが終わったある日、久しぶりにゆりかりさんのブログに立ち寄った。「相変わらずゆりかりさんはすごいなあ・・」といくつかの記事を読んで思っていたところ、コメント数がものすごく多い記事を見つけた。それは「曲芸師ハリドン」(あすなろ書房)という本年度の中学生対象の課題図書になっている本についての記事で、コメントをざっと読んだところ、読書感想文を書こうとする中学生たちからの問い合わせが多かった。私も夏休みの終わりになると「何か感想文ありませんか?」と不埒なことを言ってくる生徒にヒントめいたものを言ったりするが、この「ハリドン」という本のことはまったく知らなかった。記事に添えられた表紙の写真を見ているうちに、一輪車に乗って銀の玉をジャグリングしているハリドンが妙に印象深くなってきて、一度読んでみようと思った。
さすがゆりかりさんが取り上げられただけあって面白かった。児童書などという範疇を超えた深い味わいのある物語だった。なによりも訳者・菱木晃子の訳が良い。「訳者あとがき」で彼女は「作者ヴェゲリウスの硬質で淡々とした文体に惹かれた」と書いているが、原作者の文体のもつイメージを十分に表現できる、しかも読む者をぐいぐい物語世界の中に引っ張っていくだけの力を持った日本語に移植しているのは素晴らしい力量だと思う。原書を読みたくもなるが、スウェーデン語などまったく知らない私ではかなわぬ夢だし、ひょっとすると日本語訳の方が文学的な表現の緻密さは優っているかもしれない、と思いたくなるほど完成度の高い訳書である。
あらすじは、
「曲芸師ハリドンが夜半に夢にうなされて目覚めると、父とも慕うかつて劇場支配人であった『船長』が帰宅していないのに気づく。ハリドンがいくら叫んでも『船長』の乗った列車は走り去って行く--そんな予兆夢ともいうべき夢見に胸をざわつかせながら、急き立てられるようにして『船長』を探しに真っ暗な闇の世界へ飛び出していくハリドン・・。
途中、公園のベンチで<船長>が置き忘れた帽子の中で寝ていた犬がハリドンに加わり、『船長』探し協力しようとするが、かえって足手まといになったりもしながら、夜明け近くになってやっと『船長』の近くにたどり着くまで、ハリドンの後を影のようについていく」
場面がテンポよく次々と展開していくため、たった一晩のことなのに様々な出来事が起こる。そうした試練を乗り越えるたびに、『船長』を探し出したいと願うハリドンの気持ちが強くなっていき、それを感じる私もいつの間にか、「こんなことをしてたら<船長>に会えないぞ、ハリドン!」と声をかけたくなるほど物語の中に入り込んでいた。船長が乗ってしまったとハリドンが思い込んだ貨物船エスペランサ号が出港して行った場面では、まさしく「エスペランサ=希望」がハリドンの手元から逃げていくようで、悲しくなってしまった。自分でもおかしいくらいこれほど物語の中に引き込まれてしまったのは久しぶりだ。
などとかなり心動かされた物語なので、すぐにでもここに感想文を書こうかと思ったが、もう少し客観的に考えられるように時間をおこうと思った。それと感想を書き終えるまではゆりかりさんの記事は読まないでおこうと思った、感想文はやはり自分の言葉で書かなくてはいけないから・・(これが基本だよ、感想文に悩む学生諸君!)
で、少しばかり時間をおいて自分なりにまとめた感想を簡単に記しておく。
「夢は実現させるものだよ」という<船長>の言葉はこの物語において重要な役割を果たしている。ハリドンは『船長』を探すうち、彼が己の夢を実現させるために家を出たのかもしれないと思うようになる。それがハリドンの見た夢のワンシーンとオーバーラップして自分が一人取り残されてしまうのではないかという強迫観念めいたものにまでなってしまい、狂ったように<船長>を探す。ハリドンは「船長と離れたくない」というのが自分の「エスペランサ=希望・夢」であることを実感し、その夢の実現のために凍えるほど寒い闇の中を走り回るのだが、今一歩のところで「エスペランサ=希望・夢」は去っていってしまう・・。
だが、『船長』はハリドンの元に返ってくる!!結局はすべてハリドンの思い過ごしであり、一人相撲であったことが分かるのだが、ハリドンにしてみれば「己の夢=『船長』とともに暮らすこと」を実現できたことになる。「よかったね、ハリドン」とその労をねぎらいたくなるが、『船長』が帰宅したのも知らずにぐっすり眠っているハリドンの姿からは、自らの「エスペランサ=希望・夢」を全身全霊を賭して実現させた者のみが持つ充足感を感じ取ることができる。また、そうした満ち足りた気分が、この物語を読み終えた後に感じる爽快感に繋がっているのではないだろうか。
ゆりかりさん、素敵な本の紹介ありがとう!!
さすがゆりかりさんが取り上げられただけあって面白かった。児童書などという範疇を超えた深い味わいのある物語だった。なによりも訳者・菱木晃子の訳が良い。「訳者あとがき」で彼女は「作者ヴェゲリウスの硬質で淡々とした文体に惹かれた」と書いているが、原作者の文体のもつイメージを十分に表現できる、しかも読む者をぐいぐい物語世界の中に引っ張っていくだけの力を持った日本語に移植しているのは素晴らしい力量だと思う。原書を読みたくもなるが、スウェーデン語などまったく知らない私ではかなわぬ夢だし、ひょっとすると日本語訳の方が文学的な表現の緻密さは優っているかもしれない、と思いたくなるほど完成度の高い訳書である。
あらすじは、
「曲芸師ハリドンが夜半に夢にうなされて目覚めると、父とも慕うかつて劇場支配人であった『船長』が帰宅していないのに気づく。ハリドンがいくら叫んでも『船長』の乗った列車は走り去って行く--そんな予兆夢ともいうべき夢見に胸をざわつかせながら、急き立てられるようにして『船長』を探しに真っ暗な闇の世界へ飛び出していくハリドン・・。
途中、公園のベンチで<船長>が置き忘れた帽子の中で寝ていた犬がハリドンに加わり、『船長』探し協力しようとするが、かえって足手まといになったりもしながら、夜明け近くになってやっと『船長』の近くにたどり着くまで、ハリドンの後を影のようについていく」
場面がテンポよく次々と展開していくため、たった一晩のことなのに様々な出来事が起こる。そうした試練を乗り越えるたびに、『船長』を探し出したいと願うハリドンの気持ちが強くなっていき、それを感じる私もいつの間にか、「こんなことをしてたら<船長>に会えないぞ、ハリドン!」と声をかけたくなるほど物語の中に入り込んでいた。船長が乗ってしまったとハリドンが思い込んだ貨物船エスペランサ号が出港して行った場面では、まさしく「エスペランサ=希望」がハリドンの手元から逃げていくようで、悲しくなってしまった。自分でもおかしいくらいこれほど物語の中に引き込まれてしまったのは久しぶりだ。
などとかなり心動かされた物語なので、すぐにでもここに感想文を書こうかと思ったが、もう少し客観的に考えられるように時間をおこうと思った。それと感想を書き終えるまではゆりかりさんの記事は読まないでおこうと思った、感想文はやはり自分の言葉で書かなくてはいけないから・・(これが基本だよ、感想文に悩む学生諸君!)
で、少しばかり時間をおいて自分なりにまとめた感想を簡単に記しておく。
「夢は実現させるものだよ」という<船長>の言葉はこの物語において重要な役割を果たしている。ハリドンは『船長』を探すうち、彼が己の夢を実現させるために家を出たのかもしれないと思うようになる。それがハリドンの見た夢のワンシーンとオーバーラップして自分が一人取り残されてしまうのではないかという強迫観念めいたものにまでなってしまい、狂ったように<船長>を探す。ハリドンは「船長と離れたくない」というのが自分の「エスペランサ=希望・夢」であることを実感し、その夢の実現のために凍えるほど寒い闇の中を走り回るのだが、今一歩のところで「エスペランサ=希望・夢」は去っていってしまう・・。
だが、『船長』はハリドンの元に返ってくる!!結局はすべてハリドンの思い過ごしであり、一人相撲であったことが分かるのだが、ハリドンにしてみれば「己の夢=『船長』とともに暮らすこと」を実現できたことになる。「よかったね、ハリドン」とその労をねぎらいたくなるが、『船長』が帰宅したのも知らずにぐっすり眠っているハリドンの姿からは、自らの「エスペランサ=希望・夢」を全身全霊を賭して実現させた者のみが持つ充足感を感じ取ることができる。また、そうした満ち足りた気分が、この物語を読み終えた後に感じる爽快感に繋がっているのではないだろうか。
ゆりかりさん、素敵な本の紹介ありがとう!!
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