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「クローズZERO」

 小栗旬主演の「クローズZERO」を WOWOW で見た。昨年劇場で見ようとして果たせなかった映画がこんなにも早くTVで見られるのは嬉しい。日曜日は明るいうちからビールを飲み始め、8時過ぎには人事不省になっていることが多いので、果たして見ることができるのか心配していたが、何とか倒れることなくTVの前に座ることができた。さあ、と気持ちを高めて見始めたが、もう始まった瞬間から引き込まれてしまった。とにかく面白い。全身の血が逆流してくるような気がするほどワクワクする。「面白い」と言っても、先日見た「ユメ十夜」の面白みとはかなり違う。別に「ユメ十夜」が高尚な映画だとは思わないが、「クローズ・ZERO」の持つ面白さは、暴力を主題にした映画の持つ典型的な面白さだ。一概に暴力と言っても、戦争から個人的な殴り合いまでかなりの幅があるが、この映画は鈴蘭高校という悪たれどもが集まってくる高校で頂上(てっぺん)を獲るためにひたすら殴りあう高校生たちを描いたものである。権謀術策による手管を使おうとする者もいるにはいるが、そんなものなど一気に突っ切って、拳ですべてを決めようとする高揚感に満ちている。やるかやられるか、そんなギリギリのところで凌ぎを削る彼らの姿に共感などもてはしないが、どうしても惹きつけられてしまう。何故だろう?
 私は、もともとこうした暴力を主題にした映画を見るのが好きである。私の愛する松田優作が名を成した初期の作品はみな暴力にあふれている。後期の一歩引いた演技が松田優作の真骨頂だと思いはするが、初期の荒々しい松田優作の作品にも今なお心ときめかしてしまう私であるから、こうした暴力を主題にした映画が松田優作なみにかっこいい俳優で演じられるなら、どうしても見たくなる。
 ならば小栗旬はどうだ?などという意気込みで見始めた私をあざ笑うかのように小栗くんはひたすらかっこよかった。何がどうかっこよかったなどとあれこれ詮索する者に耳を傾ける必要もない。とにかく絶対的にかっこいい。虚無的な殺し屋を演じた頃の松田優作に匹敵するほどかっこいい。
「顔の造作としてはそんなにきれいじゃないけど、演技に入るとすっとその役になりきっちゃうんだよね。そこがすごい!」と妻がよく言うが、彼の舞台を何度か見たことがあるだけに実感がこもっている。私もこの映画を見て、初めて「小栗旬てかっこいい!」と心から思った。


 しかし、どうしてこうした映画に惹かれてしまうのだろう。よく考えれば、全編暴力シーンばかり、ただただ殴りあうばかりなのに、不思議と嫌悪感は湧いてこない。だが、一つ気づいたことがある。これだけ殴り合っても誰一人として死なないのだ。あんなに本気で殴り合えば死人が出ても当然なのに、お約束といっていいほど誰も死なない。殺すまでは殴らない、という不文律があるかのようだ。そのためどれほどひどく殴り合っていても平気で見ていられたのかもしれない。言わば、プロレスをショーとしてみているような感覚、血も流れるしハラハラはするが、決して命のやり取りまではしないという安心感を見る者に与えてくれるのだ。残忍な結末には決してならないと分かっているから、己の意志を通すために殴りあうしかない彼らの姿に、潔さと爽快感さえ感じるのかもしれない。
 目を覆いたくなるような残虐な映画ではないし、殴りあった者たちが抱き合って友情を確かめ合う、などという安っぽい結末にもなっていない。ならば、入場料を払ってまで映画館で見たいか?と問われたら、一瞬迷うかもしれない。でも、やっぱり「うん」と答えてしまうだろう、だって私はもういつでも1000円で見られるから。



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