goo

中也星・みすゞ星

 2週間ほど前に新聞の記事に、
 「久万高原天体観測館(愛媛)の中村彰正さんが、発見した2つの小惑星に中原中也と金子みすゞの名前を付け、国際天文学連合に正式に登録された」
という記事が載っていた。この2人の詩人はともに、中村さんの故郷山口が生んだ誇りであり、特にみすゞについては「娘の教科書で知り、声に出して読んでみたらすっかり好きになった」ため、命名したとの中村さんの談話も紹介されていた。
 中原中也と金子みすゞという私の愛する詩人が二人とも星になったというのは、実に感慨深い。人は死ねば星になると言われることもあるが、実際に星になった詩人というのは多くはないであろう。ついつい自分のことのようにうれしくなってしまう。
 金子みすゞの詩には星を歌ったものが多いが、やはり最初に心に浮かんでくるのは「みえない星」だろう。

   「みえない星」

  空のおくには何がある。

    空のおくには星がある。

  星のおくには何がある。

    星のおくにも星がある。
    眼には見えない星がある。

  みえない星は何の星。

    お供の多い王様の、
    ひとりの好きな たましいと、
    みんなに見られた踊り子の、
    かくれていたい たましいと。

 久しぶりに読み返してみたが、目にみえるものしか今そこにあるものとして認められない日ごろの己の迂闊さが恥ずかしくなる。そこにあるべきものも、そこにあってはならないものも、すべて己の作り出した思い込みに過ぎず、その思い込みによって元々そこにあったものまでも見えなくなってしまっている自分の姿が浮き彫りになってきて思わず身震いしてしまった。目に見えるものだけが実体を持つわけではなく、目に見えないだけで事実そこに存在するものを知覚できるだけの感性を常に磨いておかなければならない、改めてそんな思いに駆らた。
 
 ところで、中原中也は星を歌っただろうか?しばらく考えてみたが、すぐには浮かんでこない。月ならいくつも思い浮かんでくるが・・。

   「湖上」

  ポッカリ月が出ましたら、
  舟を浮べて出掛けませう。
  波はヒタヒタ打つでせう、
  風も少しはあるでせう。

  沖に出たらば暗いでせう、
  櫂から滴垂る水の音は
  昵懇しいものに聞こえませう、
  ――あなたの言葉の杜切れ間を。

  月は聴き耳立てるでせう、
  すこしは降りても来るでせう、
  われら接唇する時に
  月は頭上にあるでせう。

  あなたはなほも、語るでせう、
  よしないことや拗言や、
  洩らさず私は聴くでせう、
  ――けれど漕ぐ手はやめないで。

  ポッカリ月が出ましたら、
  舟を浮べて出掛けませう、
  波はヒタヒタ打つでせう、
  風も少しはあるでせう。

 中也にとって星は夜空で輝く月の陰に隠れてしまっているようだ。まるで星など眼中にないようにさえ思える。中也は星と語ったことはなかったのだろうか。正岡子規が「われに向かいて光る星あり」と歌ったような体験はなかったのだろうか・・。
 
 今の季節なら、中也星とみすゞ星は、夕方西の空低くにあるという。とは言え、肉眼では見ることはできない。しかし、その方向に向けて語りかけたら、詩人が何か答えてくれるかもしれない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和史

 自衛隊の田母神俊夫・前航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」という論文が問題になったのは、記憶に新しい。彼の個人的な考えを述べた論文らしいので、言論の自由の保障された日本ではとやかく言う筋合いのものではないのかもしれない。ただ、どうしたって公人たる役職を担っている人物であるから、もう少し世間の反響を考えた行動を取るべきだったのではないか、と思う。(まあ、それを狙ったのなら、彼の思い通りだから何も言うべきことはさらにないのだが・・。)
 その影響を受けて、と言うわけでもないが、私としては珍しく昭和史をテーマにした新書『「昭和」を点検する』(講談社現代新書)を読んでみた。保阪正康と半藤一利という「昭和史研究の第一人者」たる二人の人物の討論形式でまとめられたものであるが、教科書程度の歴史知識しかもっていない私には、なかなか刺激的な書であった。
 「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはおまえの仕事だろう」「しかたなかった」という私たちが日常生活でよく耳にする5つの言葉をキーワードとして、昭和史を読みとろうという試みのもとに対話は進められていくが、これらの言葉が、日本の戦争へと突入していった過程を如実に表しているのには驚いた。驚いたと言うよりも、戦争へと突き進んでいった軍部の指導者たちが、これらの言葉に収斂されるほどの無責任さと無自覚さに満ち溢れていたというのは、恐ろしいことであり、情けなくもあり、悲しいことでもあると思った。
 映画「私は貝になりたい」は、戦争の記憶が生々しい時代に撮影されたかつての名作と比較すればどうしたってアラが見えるのは仕方ないことであるが、それでも、日本の軍隊のありようを少しでも知るためには多くの若者に見てもらいたい映画だと思う。映画では、アメリカ軍捕虜を殺害した咎で戦争裁判にかけられた上官たちの多くが、「しかたなかった」とか「それはおまえの仕事だろう」などと言って、己の責任をより弱い立場の者たちになすりつけようという責任逃れに終始する醜い姿勢が描かれているが、そうした己の行動にまったく責任を持とうとしない無自覚な態度が、軍部の中枢を担う者たちの間にも蔓延していたというのが本書を読んで痛いほどよく分かった。
 もちろん潔くすべてを己の責任として、一切の罪科を一身に引き受けようとした人々も多くいただろうが、それよりもはるかに多くの者たちが、責任の所在をうやむやにしようとしたのは、長い間私が不思議に思っていたことだ。いやしくも軍隊として命令系統は整備されていたはずであったから、少し調べれば誰が命令を下したのかなどすぐに分かるだろうに、何故それをしないのだろう・・。日本軍が内外でとった行動に言い訳ができないことも山ほどあっただろうに、それを平気で我関せずといった態度ができる人々が多くいたのはどうしてなのだろう、不思議でたまらなかった。
 それに対する答えが本書でやっと見つけられた。

 保阪:昭和20年8月14日の閣議で、行政や軍事機構の末端まで、資料を焼却せよという命令を出したんですね。大本営から発せられた命令のなかにもすべての資料や文書を焼却せよという通達が流れています。全部燃やしているわけですよ。
 半藤:8月14日から16日にかけて、どこの地域の官庁からも煙が上がっていた。
 保阪:日本の戦争に関する資料はほとんど残っていない。軍事裁判での戦争責任の追及を恐れたんでしょうが、次の時代に資料を残して、判断を仰ぐという国家としての姿勢がまったくなく、燃やせということを平気でやる。
 半藤:こんな国はありませんよ。
 保阪:記録がないから事実が存在しないということはありません。記録がないからといって居直るようなスカスカの歴史認識、史実についての不勉強を、国際社会に対して平気で言う神経が私には信じられません。(中略)私は基本的には政治・軍事の当事者たちが、自分の時代しか見ていなかったのだと思います。それは歴史に対する責任感の欠如ではないか。
 半藤:ポツダム宣言の実施でわれわれは裁かれる軍事裁判がおこなわれる、それが怖いから都合の悪い資料は残さない、燃やしてしまえというのは、明らかに自分の時代しか考えていない、「おれの時代」しか考えない、後世への信義にかける。

 これ以上何をか言わん・・。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永世竜王

 私は将棋が苦手だ。何手も先を読むなんて芸当は私にはできない。当然将棋は弱い。弱ければ研究して強くなればいいものを、先を読むことがどうにも苦手で、いつからか将棋を指すこと自体もやめてしまった。
 そんな私がどうして竜王戦に興味を持ったのだろう。12月11日の午前9時過ぎ、起きたばかりのボーっとした頭でTVのチャンネルをあちこち変えていたら、たまたまNHK-BS2で竜王戦の中継をやっていた。何気なく見ていたら、渡辺明竜王に羽生善治名人が挑戦して6局目になっているのが分かった。戦績は羽生が3連勝した後渡辺が巻き返して2連勝し、通算成績は羽生の3勝2敗という状況だった。「大盤解説」解説と称して、プロ棋士があれこれ説明してくれるが、私にはちっとも分からない。普段ならすぐにチャンネルを変えてしまっただろうが、渡辺は現在竜王位を4期連続で獲得しており、今年も防衛に成功すると「永世竜王」の称号を獲得すると何度も繰り返される。一方の羽生も過去6回竜王位を獲得しており、今回竜王位を奪還すれば、通算7回獲得したことになるので、規定により彼も「永世竜王位」に就くことになるのだそうだ。すなわち、どちらが勝っても史上初の永世竜王が誕生するということになるため、将棋界やその関係者のかなり興奮している様子がTVの画面を通して伝わってきた。
 「これは面白い!」
と細かなことは何も知らない私ではあるが、思わずTV画面から目を離せなくなってしまった。と言っても、早打ちの将棋などではないので、まったく一手も進まぬうちにどんどん時間が過ぎていってしまう。しかし、長考しているそれぞれの棋士の真剣な面持ちは、半分寝ぼけていた私の頭をかなりしゃきっとしてくれた。と同時に、今まで味わったことのない将棋の面白さに、ほんの少しではあるが、目覚めさせてくれたようにも思った。
 その日は結局渡辺竜王が勝ち、3勝3敗のタイになり、勝負は第7局に持ち越されることになった。決戦の場所は将棋の駒の生産地として有名な天童市。まるで始めから意図されたような段取りには驚かされたが、私も初日の17日には午前9時からの中継開始を心待ちにしていた。「竜王」が将棋界の最高峰のタイトルであり、どちらが勝つにせよ、この7局で「永世竜王」が誕生するわけだから、その勝負の行方を少しでも知りたいと少なからずワクワクしていた。
 初日は9時から10時までで中継が終わってしまったが、「難解な中盤」から始まった第二日目は9時から1時間だけでなく、午後4時からも3時間近く中継する予定だという。慌てて録画の予約をしたが、将棋の中継を予約録画したなんてことは今まで一度もない。なんとかして歴史的瞬間に立ち会いたいという思いがそうさせたのかもしれない。中継が終わった後も、少しでも戦況を知りたくて、ネットで調べたりしたが、棋譜を見せられても私にはちんぷんかんぷんだ。どちらが有利なのかさえ教えてくれればいいのだが、そうしたサイトは見つからなかった。
 どうなったんだろうな?と戦いの様子が伝わってこない苛立ちが募り始めた頃、
 「将棋の第21期竜王戦七番勝負の第7局が17日から山形県天童市の「ほほえみの宿 滝の湯」で行われ、18日午後7時半、140手で渡辺明竜王(24)が挑戦者の羽生善治名人(38)を降し、4勝3敗で防衛した。渡辺は5連覇を達成し、初代の永世竜王の資格を獲得した。羽生の史上初の「永世7冠」はならなかった」
という記事をPCで見つけた。「そうか、渡辺が勝ったのか!3連敗したあと4連勝したのか、すごいな!」と胸が熱くなった。これは将棋のタイトル戦七番勝負史上初の大逆転勝利なのだそうで、まさしく私も歴史的な勝負を見守ったことになる。なんだかうれしい・・。
 TVの解説で、「渡辺竜王は竜王戦になると120%の力が出るようだ」と評していたが、羽生名人に土壇場まで追い詰められたのを凌いで、大逆転をしてしまうのだから、この若者は真に強い力を持った男なんだろう。いや、ひょっとした「魔太郎」の実写版として何か得体の知れない力を持っているのかもしれない。

  

 よく似てるよなあ、本当に・・。おめでとう!!
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予防接種(3)

 ここ最近、インフルエンザにかかって休む生徒が多くなってきた。それは全国的な傾向らしいと、次のニュースが教えてくれた。

 「近畿、中国地方でインフルエンザ患者が多数報告され、全国で本格的な流行シーズンに入ったことが国立感染症研究所の調査で17日、分かった。調査開始以来3番目に早い時期での流行入りとなった。流行のピークは1月下旬から2月上旬ごろとみられ、厚労省は「今からでも間に合うのでワクチンの接種や、手洗いうがいなど予防に努めてほしい」と呼びかけている。
 流行が立ち上がる時期と、流行の規模の関連性はないとみられ、昨シーズンは最も早い流行ということもあり、大流行も心配されたが、ピークは例年通り1月下旬で、患者数はむしろ最近10年で2番目に少なかった」

 あまり寒くはないが、いやな季節になったな、と実感した。受験生と毎日接する者としてインフルエンザは大敵だ。子供がかかると一週間は勉強できなくなってしまうし、私自身がかかってしまったら、どれだけの生徒に感染してしまうかもしれない。それだけは避けねばならないので、まずは予防接種をうつようにしている。少し前までは、インフルエンザなど無縁なものだと思って予防接種などしたことはなかった。それでも無事冬を乗り越えてこれたが、ここ数年は寄る年波で己の体力に少しずつ自信がなくなってきたので、予防接種をうつようになった。もちろんそれだけで万全だとは思わないので、できる限りうがいと手洗いは励行するようにしている。
 うがいに関しては、妻が少し前から「紅茶でうがいをするといいらしいよ」と実践していたので、私も時々妻がティーポットに入れておく紅茶を使わせてもらうようになった。果たして本当に効能があるか、ちょっと調べてみた。

 「お茶に含まれているしぶみの成分であるカテキンは,緑茶を発酵させて紅茶にすると作用が強化される。紅茶を通常の飲用の5倍ほどに薄め、体温程度にあたためてうがいをすると、カテキンがウイルスの赤血球凝集素に結合して、のどの細胞の鍵穴と結合しなくしてしまう。要するにワクチンと同じ働きをするのだ。ワクチンはウイルスの型と一致しないと効かないが、カテキンは型に関係なく効果が期待できるので、トリ型でもブタ型でも勿論ヒト型でも効くと言われている。
 これは今から15年くらい前の実際にヒトを使った実験で、紅茶でうがいをした集団は血液中の抗体価の検査で明らかに感染が少なかったという結果が出たそうである。ちなみに紅茶を飲むのではだめで、ミルクティーも効き目がないと言われている」

 これが定説として認められているかどうかは分からないが、何らかの効果はあるものと期待して、この冬は続けてみようと思っている。
 かと言って予防接種を打たないわけにはいかない。昨日、予約しておいた病院に行ってきた。病院は例によって婦人科であるが、これで3年連続となる。眼科も併設している病院なので、男の私が待合室に座っていても違和感はない。むしろ眼科の患者のほうが多いので、何で男の人が?と不思議そうに見られたりしないから安心だ。3年前、妻を検診に車で乗せて来た折に、「ついでに予防注射を打ってもらえば」という言葉に従ったのがきっかけで、毎年お世話になることになった。何よりもさほど待たずに注射を打ってもらえるのがいい。簡単な問診表に記入して、体温を測って、聴診器で診てもらって「お元気ですか?」という常套句に「はい」と答えれば、すぐに注射を打ってもらえる。スピーディこの上ない。待つことが嫌いな私にとっては本当に有難い病院だ。
 しかも不思議なくらい注射が痛くない。注射が嫌いで子供の頃は泣き喚いていた私だが、全くと言っていいくらい痛くないから拍子抜けしてしまうほどだ。これもまた有難い。
 今週から冬期講習が始まった。来週になれば、年末までまさしく怒涛のスケジュールが始まる。風邪なんて引いていられないし、ましてやインフルエンザなどもってのほかだ。予防接種をしたから大丈夫、などと安心せず、できるだけ早く寝て睡眠時間を十分とるようにしなければいけない。
 
 頑張ろう!!




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状づくり ’08

 12月に入って、めまぐるしく時間が過ぎていく。どうしてこんなに時間がないのかよく分からないまま、毎日毎日へとへとになる。それでも、やらねばならないことが次から次にできてくる。どれもこれも手を抜くわけにも行かないから、ますます時間がなくなり、心まで疲弊してくる。「ちょっと勘弁してよ」と思わず言いたくもなるが・・。
 そんなこんなでやっと手を付けることができたのが、年賀状作り。素材を集めた本はもうずっと前に買っておいた。昨年は墨絵タッチのねずみをメインにした年賀状を作った。また今年も同じような趣向では面白みがないから、なるべく多くの素材が載っている本を買ってきた。しかし・・、あまりに多すぎるのも、目移りばかりしてなかなか決められない。ぐずぐずしている時間はないから、これでいいや!と決断したのは、


 干支である牛のほのぼのした表情とその周りを囲む独楽や松竹梅のカラフルさから明るい印象を受けて、なにかと暗い予想しか立てられていない2009年を少しでも楽しい年にできるような気にさせてくれる。少し軽すぎるかな、と思わないでもないが、明るい明日を信じて頑張るしかないのだから、反ってこれくらい呑気な感じがするほうがいいのではないか、そう思って選んでみた。
 素材さえ決まれば後は去年作ったとおりにやっていけばいいはずだ・・。と思ったのが私の浅はかさだった。去年は「筆ぐるめ」を使って年賀状を作ったのだが、今年買ってきた本は「宛名職人」というソフトを使って作るのだそうだ。付属のCDをインストールするのに多少手間取ったが、それでもソフトを立ち上げてしまえばこちらのものだとその時は考えていた。「筆ぐるめ」用のソフトが付いている本を買ってくるのが一番よかったのだろうが、それでもたいした違いはないと軽く考えていた。だが・・、
 枠を作ってその中に文章を作成し、フォントや大きさ・色を選択して、枠を上下左右に動かしながら、その文章のレイアウトを決めていく、という手順は去年と同じようだ。塾の年賀状の新年の挨拶としてはもう定番となった、「今年も一生けんめい勉強しましょう」という文言を「江戸勘亭流」のフォントで入力して、「Happy New Year」の下に同じ色で並べてみたら、なかなか収まりがいい。次は塾の住所と塾長の名前を入れようとしたが、同じ枠内にはうまく収まらない。字の大きさや色を名前のところだけ変えようとしても全部の字が変わってしまう。何度やってもうまくいかない。う~~ん・・。
 きちんと説明書を読んでやっていればこんなことで戸惑ったりはしなかったのだろうが、去年作った自惚れがあって説明書など必要ないとばかりにいい加減に始めたのがいけなかった。でも、ソフトが違っても作業法はあまり変わっていないようだから、去年どうやったかを思い出せばいいだけだ・・。う~~ん、どうだったかな、去年は・・。などとしばらく呻吟していたが、何とか思い出せた。分かれば簡単なことだった。
 「別の枠を作ればいいだけ!!!」
 なるほどと思いながら早速試してみたら、すぐに新しい枠が作れた。そこに名前を書き込んで、体裁を整えて、枠を移動したら、おお!上出来だ。さらには日付を別枠で入れたら、あっという間に完成してしまった。と言っても、去年年賀状印刷に使って以来、カラープリンターの接続は外してあったから、すぐに印刷することはできなかった。とりあえず出来上がった年賀状は「保存」しておいたが、果たしてちゃんと保存されただろうか。新しいソフトは使い方に慣れるまではおっかなびっくりだ。
 とりあえず、年賀状作りは完了したから、あとは時間がある時に印刷し、さらには宛名書きをして、元旦に届くよう準備万端怠りなくしなければならない。

 あ!!しまった、肝心の年賀状をまだ買ってない。郵便局に走れ!!
 

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草花三題

 塾舎の二階から隣接する工場を眺めていたら、狭い空き地に雪をかぶったような枯れ草が何本か生えているのに気づいた。


 あれは確かセイタカワダチソウだったように思うが、定かではない。ひょろ長く伸びた茎がいかにもセイタカアワダチソウのようだ。だが、黄色い花が枯れた後にあんな綿のようなふわふわができたりするのだろうか?望遠を最大限にして撮ってみた。


 実際に近くまで行って手で触ってみるべきなんだろうが、そこまで行くには愛犬弁慶の住家を通っていかなくてはいけないので何となく面倒だ。それに近くで見たらあまりきれいなものではなさそうなので、遠目で楽しむだけにしておいたほうが無難だろう。
 枯れ草に美を感じられるなら、塾舎を出たところにひっそりと生えている小さな葉牡丹のけなげさを愛でることもできるのではないか。


 アスファルトのわずかな切れ目に根を張っているようだ。これは多分毎年父が作ってくれる門松に添えられている葉牡丹の種子が飛んできて芽を出したものだろう。しばらく前に気づいていたが、ちっとも大きくならないのは肥料などまったく与えていないからだろうか。ならば肥料を与えたら立派な葉牡丹に成長したりするのだろうか?試してみようかな・・。
 だが、今の私はシンビジュウムの世話で手一杯だ。

 

 11月21日の記事で見つけたシンビジュウムの新芽、その時は花の芽なのか、葉の芽なのか、私には分からなかった。それがここにきてかなり大きくなってきて、とうとう花の芽だと分かるようになって来た。これはもう間違いない、花の芽だ。しかし問題なのはこれからだ。今までも蕾が膨らみかけて喜んでいたら、結局開花せずに終わったことが何度かある。それは私の世話がいい加減なせいでもあるのだろうが、最後までうまく咲かせるのはそれほど簡単なことではないように思う。だが、今回はこんな寒い時期にまさか花が咲くなどと思ってもみなかっただけに、何としてでも首尾よく開花させてやりたい。そのために栄養剤を鉢に挿してあるし、水遣りも忘れずに定期的に行っている。なるべく日のよく当たる所に鉢を置いてもいる。粗忽者の私ではあるが、できる限りの世話をしているつもりだ。しかし、果たしてこれだけで十分なのか、まったく自信がない。だが、決して油断することなくきちんと世話を続けていけば、もう少しできれいな花を見ることができるものと信じている。咲いたら嬉しいなあ・・・。
 もしかして新年と同時に開花するかもしれない。そうしたら、「こいつは春から縁起がいいわい!!」と見得を切ったりできるのだが・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カメレオン」

 藤原竜也主演の「カメレオン」を見た。
 妻が一人で劇場まで見に行き、「よかった」「おもしろかった」と絶賛していた映画がDVD化されたものが発売と同時に我が家に届いた。もちろん、藤原竜也ファンの妻が予約したものであるが、私も見に行きたいと思っていた映画だったので(あまりに上映期間が短くて時間が取れなかった・・)、私にとっても好都合だった。
 これは脚本家丸山昇一が故・松田優作のために書き下ろしたものだそうだが、彼の死によって長くお蔵入りしていたものを藤原竜也の主演で映画化されたものであると言われている。松田優作ファンとしては一度は見ておかねばならない作品だと思っていたが、松田優作と藤原竜也では、生きている時代がまったく異なり、役者として持つ資質も違うから、映画を見ながら彼ら二人を比べてはいけないと戒めていた。だが、そうした製作エピソードを知ってしまうと、どうしたって比べざるをえない。確かに松田優作が演じていたならきっとこうやって演じただろう・・、とついつい思ってしまう場面もいくつかあって、少々物足りなさを感じてしまった。やはり藤原竜也のベビーフェイスでは、ちょび髭もなんだか安っぽいし、体がスマートすぎて線が細いのはどうしようもない。初期の松田優作のハードボイルドさを藤原くんに求めるのは酷かな、とないものねだりをしてしまうのは私が旧世代に属する証なのかもしれない。

 『幾度となく変化を繰り返してまるでカメレオンのように生きる伍郎(藤原竜也)は、ターゲットに疑いすら持たせずに欺いて金を稼ぐ、あてのない人生を送っていた。ある日偶然、政府要人の拉致現場に居合わせてしまった伍郎の詐欺グループは事件を目撃したことが原因で仲間を殺されてしまい、伍郎は復讐を計画するが……』
 
という、ストーリーなどこうしたアクション映画にとってはどうでもいい。ただただラスト15分の血沸き肉踊るクライマックスまでの前振りでしかない。ラスト15~20分でどれだけハードな演技を見せてくれるかを、観客は期待しているのであって、初期のアクション俳優としての松田優作はそうした観客の思いをすべて満たしてくれるものであった。見終わった後のカタルシスはまさに恍惚感にも似ていた・・。
 そうした観点から言えば、この「カメレオン」もかなり私の期待にこたえてくれた。藤原竜也が殺された仲間の復讐の塊と化して、鬼の形相で敵に立ち向かう様はまさに鬼気迫る迫力があった。


 しかし、どうにも中途半端だ。もっともっと悪人たちを徹底的に追い詰めなければ、己や仲間が受けた無念を雪ぐことはできないのではないか、そんな気がしてならなかった。
 松田優作の映画では、終わりの20分息もつかせぬ展開で、「最高だ!」とうなり声を上げたことが何度となくある。そうした思いを味あわせてくれるのではないかと、淡い期待をもってこの映画を見た私の思いは少なからず裏切られた。監督が松田優作のアクション映画を数多くて手がけた村西透だったらもっと違った作品になっていたのではないか、などという感想を見終わってすぐに持ってしまった・・。
 一緒に見ていた妻は、「映画館ではもっと迫力があって面白かったんだけどなあ・・。でも藤原くんがかっこいいから私は満足!!」などとのたまっていたが、松田優作の、例えば「遊戯シリーズ」のDVDを見たら、どれだけ松田優作のほうがかっこいいかを果たして分かってくれるだろうか?

 きっと無理だよなあ、それは・・。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入浴ストレッチ

  私が風呂に入るたびに眠ってしまうこと、ひどい肩凝りに悩まされることが年に何度かあることは、このブログで何度も書いてきた。今現在肩はあまり凝っていないが、風呂で眠るのは相変わらずで半ば習慣になってしまっている。毎晩、湯船に漬かって少し気を緩めるとその瞬間に眠りに落ちている。以前のように鼻の中に湯が入ってきて慌てて飛び起きたりはしなくなったが、それでも眠りこけてだらしなく首を傾けてしまい、髪がびっしょり濡れるのはいつものことだ。
 なぜこんなことを書いたかといえば、先日毎日新聞に「全身浴10分 肩こり解消」というタイトルで、肩の凝りや痛みを解消する効果的な入浴法が紹介されていたからだ。国士館大の須藤明治准教授が推奨する入浴中のストレッチの方法も図解入りで載っていたので、風呂の中で眠っているくらいなら、こうしたストレッチを実践して、少しでも肩こり予防に努めるべきではないか、と思った。そこで、ここにそのやり方を写しておくことにした。

「首まわりの筋の弛緩」 
首を左右・前後にゆっくり倒し、その後左回り、右回りに回す。足は組む。

「大胸筋・背筋などのストレッチ」
1.両手を頭の後ろで組み、息を吸いながら両腕を広げる。
2.息を吐きながら顔を下げ、両手は頭の後ろで組んだまま、ひじを前方に倒す。

「肩のリラックス」
1.呼吸を整えてから両手を胸の前で合わせて合掌する。
2.息を吐きながら、指先を前方にゆっくりと倒す。
3.今度は息を吸いながら、指先を自分の体に向けて倒す。

 肩凝りは血行不良が原因で起こるとされるが、入浴中は筋肉が弛緩し血管が広がり血行が促進されるため、地の流れが潤滑になり、さらには水中で静脈が水圧を受けるため、心臓に戻る血流量が増え、心臓の負担も軽くなる。准教授が胸下まで15分間、35度前後のお湯につかった約10人で測定したところ、肩周辺の血流量が10~20%増えることも確認できたそうで、入浴中のストレッチは肩凝り予防の効果はかなりあるようだ。
 私の肩凝りは姿勢が悪いからだと妻によく言われる。居間でTVを見ている時も知らず知らずのうちに寝転がってしまい、首や肩で体を支えることが多い。妻が近くにいるとすぐに「ちゃんと座って!」と注意される。「こんな姿勢でいるから、肩が痛くなるんだよ。自業自得だね」と文句が続くが、ほぼ毎日言われているとさほど気にもならなくなる。しかし、妻の言葉の正しさも認めざるを得ないから、座りなおすようにしているが、それでもやっぱりしばらくすれば元の姿勢に逆戻りしているから救いようがない・・。
 そんな私ではあるから、こうした簡単にできるストレッチ法を紹介してもらえるのは有難い。早速試してみようと、何日か風呂に入ってみたものの、いつの間にか眠ってしまい、未だ一度も試したことがない。情けない話ではあるが、やっぱり生活習慣を改めるほうが先決のような気がしなくはない・・。
 それよりも眠気覚ましのストレッチ法を探したほうがいいかな。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンタのおじおばさん

 金曜日、高校生の問題集と双子の甥と姪たちへのクリスマスプレゼントを買うために、名古屋に出かけた。センター対策用の問題集は地元の書店では売っていないため、冬休みが間近になると名古屋の大型書店まで出向くのが年末の恒例となっている。途中コンビニに寄ったりしながら、ゆっくりと運転していった。交差点で信号待ちをしていると、「桜!!」と妻が叫んだ。「どこ?」「あそこ」と指差す方を見ると本当に桜が咲いている。このところ暖かいから桜が勘違いをしたのだろうか・・、なんとも不思議な光景だった。すぐに信号が変わってしまったので、写真に収めることはできなかったが、いくらなんでも季節外れだろう。
 そんな能天気な桜とは裏腹に、今愛知県では「トヨタショック」という嵐が吹き荒れている、と新聞などで連日報道されている。
「トヨタ自動車は、2009年3月期の業績予想を売上高は前期比12.5%減の23兆円、営業利益は73.6%減の6000億円と大幅に下方修正するとともに、3000人規模のリストラ策を発表した」
 米国発の金融危機に伴う世界的な消費低迷や急激な円高が原因だと言われているが、トヨタの業績がこれほどまでに悪化すれば、愛知県の元気が一気にしぼむのも当然だろう。書店で問題集を買った後で行った松坂屋の駐車場がいつになくガランとしているのを見て、「本当に景気が悪いんだ・・」と実感した。いつもなら所狭しと置いてある外車の姿もあまり見当たらず、お歳暮商戦で毎年混み合っている松坂屋の面影はどこにもない。何だか寂しい気がして、いつもは買い物にやって来ると感じるワクワク感が心に湧き起こってこない・・。
 店内に入っても、例年のような賑わいはない。心なしか、店員さんたちの顔も元気がないように見える。「なんだかなあ・・」しかし、そうは言っても甥っ子たちにクリスマスプレゼントくらいしなくちゃ伯父としての沽券にかかわる。少し抑え目にして、何か子供たちが喜ぶものはないか、と子供フロアーをあちこち探してみた。すると、子供たちによくプレゼントするCastel Bajac の店に可愛いキャップが置いてあるのを見付けた。「これはあーちゃんに似合いそうだね」と言う妻の言葉に促されて手に取ってみると、なかなか格好いい。「あの子なら赤がいいな」と鶴の一声。「じゃあ、ひまちゃんにはこれかな」と迷うことなく姪にはニット帽を選んだ。自分で被ってみて、「これはいい」などとご満悦なのは、先日ひまちゃんが初めて懐いてくれたからなのだろう。「下の子はリュックでいいね」とあっという間に3人分が決まってしまった。

  

 これらを全部一箱に入れてもらったら、素敵なプレゼントになった。


 これだけ不況、不況と言われると、ついつい心が重くなってしまうし、お金を使うことが怖くなる。このプレゼントも例年よりは少しばかり節約したものになった。しかし、プレゼントは金額じゃない、心なんだ、とその夜に弟からかかってきた電話で教えてもらった。弟によれば、甥も姪もプレゼントの箱を開けるなり、帽子に大喜びして、予防接種に行った病院までそのまま被っていったそうだし、弟が仕事から帰ってきた時もまだ被っていたそうだ。その話を妻から聞いた時、本当に嬉しかった。
 「小さいくせに私たちの気持ちをきちんと受け止められるこの二人はなかなか偉いぞ!」などと妻と二人で妙に感心しあったのは、おじばか・おばばかなんだろうな、やっぱり・・

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

センサー式ライト

 しばらく前から、家の角にある新聞受けの上に、センサー式の明かりが取り付けてある。


 これは人が近づくと感知して、丸い部分からLEDの青い光をビームのように出す仕組みのものだ。しかし、最近電池の残量が少なくなったのか、光が徐々に弱くなり、存在感がなくなってきた。もともと、夜暗くなって新聞を取りに行く際に足元が危なくて仕方ないと、長い間訴えていた妻が通販で取り寄せたのを私が取り付けたものだ。光が弱くなったら私が電池をすぐに取り替えさえすればいいはずなのだろうが、このところ色々忙しい私は、なかなかそちらに気が回らない。それにLEDの青色があまり好きではないので、初めからあまりこのセンサーライトを気に入っていなかった。このまま電池切れにしてしまって、もっと性能のいい別のライトを取り付けたほうが反っていいと思うようにさえなった。
 そんな折も折り、別の用事で立ち寄ったホームセンターで、これは!と思う物を見つけて小踊りした。これだ。

 

 ハロゲンビーム式の電球が2個ついたセンサー式のライト、店員さんに聞いたら、かなり明るいと言う。何よりもこれで2000円以下というのが気に入った。コンセントから電気を引く形式なので配線が大変そうだが、値段と性能を比べたら、これが一番いいように思い、買ってみた。
 家に戻って、早速脚立に跨って作業を始めた。まず、軒下の梁に本体をねじで留めてから、ハロゲン電球を2つ捻じ込んだ。

 

 問題は配線だ。家の外にコンセントは玄関横の父の部屋の窓の下にしかないため、15m近くも離れている。どうしようか・・、と考えながら、父の作業所をあちこち漁っていたら、運良く20m以上もある導線を見つけた。その時父は家にいなかったので、使っていいものかどうか了承を取れなかったが、家周りが明るくなれば父も嬉しがるだろうと独断して、それを使うことにした。
 ライトから伸びている導線とつないで、それをコンセントまでどうやって伸ばしていこうか妻とあれこれ考えてみた。地中に埋めるか、それとも・・と、その時私に名案が浮かんだ!!雨どいを支える器具に導線を通していけば途中たるむことなく、コンセントまで伸ばせていけそうだ。妻もそれに賛成してくれたので、早速作業に励んだ。すると・・、


 我ながらなかなかの出来栄えだ。素晴らしい・・。暗くなるのが楽しみだ。

 で・・。

 

 ハロゲンライトってこんなにも明るい!!ちょっとびっくり。後はセンサーの角度の微調整を随時行っていけば、きっとベストポイントが見つかるだろう。
 これでもう足元は大丈夫かな。


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ 次ページ »