このところ、トリノオリンピックのことで
頭の半分以上が埋まっている。
今朝も午前四時に目覚ましをかけ、高橋君の演技を待った。
しかし最終滑走だったので、出番は六時台。
もっとよく調べておけばよかった。
そして四分の一は巻き寿司。
これはトリノが終われば、半分以上になるかもしれない。
「去年の私でいたくない」は
フィギュアスケートペアでアメリカ代表で登場した
日本人女性の井上選手の言葉だ。
井上選手は92年のアルベールビル五輪にペア、
そして94年のリレハンメルではシングルで日本人選手として出場。
しかし、長野五輪では落選し、再起を目指しペアのパートナーを求めて
アメリカに渡った。
渡米直後に肺がんを宣告され、今回のトリノはそれを克服しての五輪出場だ。
井上選手は父を同じ病気で亡くし落ち込む母を元気づけるため、
母の喜ぶ顔が見たいと、自らの病名はふせ、
苦しい闘病生活を続けながらも、リンクに立ち続けたと言う。
もちろん、ペアの相手であり、リング外でもパートナーとなったボルドウィンの
存在は大きいと思う。
その彼女の口癖が「去年の私でいたくない」。
いろんなドラマが一人ひとりの選手になるのだな~と、しみじみ思う。
頭の半分以上が埋まっている。
今朝も午前四時に目覚ましをかけ、高橋君の演技を待った。
しかし最終滑走だったので、出番は六時台。
もっとよく調べておけばよかった。
そして四分の一は巻き寿司。
これはトリノが終われば、半分以上になるかもしれない。
「去年の私でいたくない」は
フィギュアスケートペアでアメリカ代表で登場した
日本人女性の井上選手の言葉だ。
井上選手は92年のアルベールビル五輪にペア、
そして94年のリレハンメルではシングルで日本人選手として出場。
しかし、長野五輪では落選し、再起を目指しペアのパートナーを求めて
アメリカに渡った。
渡米直後に肺がんを宣告され、今回のトリノはそれを克服しての五輪出場だ。
井上選手は父を同じ病気で亡くし落ち込む母を元気づけるため、
母の喜ぶ顔が見たいと、自らの病名はふせ、
苦しい闘病生活を続けながらも、リンクに立ち続けたと言う。
もちろん、ペアの相手であり、リング外でもパートナーとなったボルドウィンの
存在は大きいと思う。
その彼女の口癖が「去年の私でいたくない」。
いろんなドラマが一人ひとりの選手になるのだな~と、しみじみ思う。