神エホバはモーセを通して、イスラエルの民が幸福に生きることを願って、一般に十戒として知られている十のおきてを与えられました(出エジプト記20:1~17)。シナイ山の山で神エホバがモーセに十のおきて・十の言葉を与えられている間、イスラエルの民は神エホバは命じられた通りに、シナイ山に神エホバが下っておられる畏怖の念を抱く光景を見て「わななき、離れた所に立っていた」様子が次のように記されています。それはイスラエルの民が神エホバに対して健全な恐れを抱き、イスラエルの民が罪をおかさないようにするためでした。
「さて、民は皆、雷、稲妻のようなひらめき、角笛の音、煙る山を見ていた、それを見て民はわななき、離れた所に立っていた。
そしてモーセに向かってこう言いだした。「あなたがわたしたちに話して、それ(十のおきて)をわたしたちが聴くようにさせてください。神(エホバ)がわたしたちに(直接)話されることがないようにしてください。そうしないとわたしたちは死んでしまいます」。それでモーセは民に言った、「恐れてはいけません。あなた方を試みるためにまことの神(エホバ)は来られたのです。またそれは、神(エホバ)への(健全な)恐れが常にあなた方の顔の前にあって、あなた方が罪をおかさないようにするためなのです」。それで民は離れた所にずっと立っていたが、モーセはまことの神(エホバ)のおられる暗い雲海に近づいて行った」(出エジプト記20:18~21)。
シナイ山に神エホバが下りられた様子は、イスラエルの民にとって経験したことのない畏怖の念を抱く光景だったに違いありません。その光景を見たイスラエルの民が「わななき、離れて立っていた」のは、止むの得ないことです。しかし、シナイ山にイスラエルの民が近づかないように、というのは神エホバのご指示でしたので、イスラエルの民はそのご指示を守り、シナイ山から離れて立っていました。
しかしながら、イスラエルの民は不必要に恐れを抱いていました。そのため、モーセはイスラエルの民に「恐れてはなりません」と伝え、神エホバがイスラエルの民がエホバの指示を守るかどうかを試みるために来られたことを伝えました。加えて、モーセはイスラエルの民に、神エホバへの健全な恐れが常に顔の前にあって、「あなた方が罪をおかさないようにするため」であることを銘記させました。その間も、イスラエルの民は神エホバの指示を守り、シナイ山から離れた所に立っていました。イスラエルの民は、モーセに教えられた通りに、神エホバへの健全な恐れが常にある限り、神エホバの教えは守り行い、祝福を得ることになっていました。
モンシロ蝶 忙しく舞う 朝の庭 今日の一句
ふくい真珠店の「活け花」