多くの人たちは、自分の道をしっかり歩み、神の助けなど必要はない、と言われます。しかし、聖書は私たちの能力には限界があり、神エホバの導きが必要であり、神エホバに依り頼むことによって、歩む道が神エホバに依ってまっすぐにされることが記されています(エレミヤ10:23.箴言3:5,6)。
さらに、聖書のコリント人への第一の手紙の10章に、パウロは、モーセがイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から、エホバの保護によって導き出された、その民が、唯一真の神の救いの力を見ながら、偶像崇拝や性の不道徳を犯し、倒れる結果になったことが記されています。さらに、救いの神エホバへの不満のつぶやきをし、信仰の欠如から神エホバを試みる結果となり、彼らは滅びる結果になったことが記されています。そして、パウロは「これが書かれたのは、事物の体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」と、書き記し、次のように助言しました(コリント第一10:1~11)。
「それで、立っていると思う人は、倒れることがないように気をつけなさい」(コリント第一10:12)。
上の聖句に記されている「立っていると思う人」とは、神エホバへの信仰に固く立ち、そのご意志をしっかり守り行なっている、と思っている人たちのことです。そうした人たちに「倒れることがないように気をつけなさい」と助言をしています。それは、パウロが例証したように、エジプトの地から救出されたイスラエルの民は、神エホバの救いの業を直接身近に経験したにも関わらず、その神エホバへの信仰から離れ、偶像崇拝、性の不道徳、神エホバに不満を抱きつぶやき、神エホバを試み、倒れる結果になったことを考えるように警告しています。
聖書を学んでいる人たちは、神エホバへの信仰から離れた結末の事例から、倒れることがないように気を付けます。どのようにしてそうしますか。日々祈りの内にみ言葉・聖書を学び、エホバの教えを守り行なう「思慮深い人」として歩むことによって、倒れないように気を付けます(マタイ7:24,25)。さらに、神の王国と神エホバの義をいつも第一に求め、愛を動機として、イエスの教えられた通り神の王国の良い便りを宣明し、霊的に目覚めていることによって、倒れないように気を付けます(マタイ6:33;24:14、43,44;28:19,20)。あなたもそのようにして歩まれる方々のお一人であれば幸いです。
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ラクビーの 巨躯の疾走 ゴールなり 今日の一句
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妻の描いた「静物画」