ダニエルは神エホバの預言者として用いられました(ダニエル書参照)。そのダニエルは、神エホバのみ使いから「あなたは休む」と保証の言葉が与えられました(ダニエル12:13)。このダニエルにとって、「あなたは休む」とは、どのような意味でしょうか。
神エホバの預言者ダニエルも高齢になり死ぬことを知っていました。アダムの時代から現代に至るまで、アダムから「罪と死」が人類に受け継がれています(ローマ5:12)。この事物の体制下では、だれも死を避けて通れないものです。ですから、聖書は適切にも死を「最後の敵」と呼んでいます(コリント第一15:26)。しかし、ダニエルにとっては、「死ぬ」ということは、周囲のバビロニア人の場合とは全く異なる意味がありました。バビロニア人はおよそ4,000の偽りの神々の複雑な崇拝に染まっていました。彼らにとって、死はあらゆる種類の恐怖の元でした。不幸な生活を送って来た人や非業の死を遂げた人は、死後に復讐に燃える霊となり、生きている人に取りつくと信じていました。
(伝道の書9:5)。さらに、聖書の詩編には、死んだ人は、「地面に帰り」、その人の考えはもはや消え去ることが記されていました(詩編146:4)。ですから、ダニエルは、み使いによって告げられた通りになるのを理解していました。死は眠りと同じ休みを意味することを知っていたのです。
「死ぬ」ということが、ダニエルにとって恐怖でなかった別の理由もあります。聖書には、「名は良い油に、死ぬ日は生まれる日に勝る」と記されています(伝道の書7:1)。どうして死ぬ日は、喜ばしい誕生の日に勝ると言えるのでしょうか。「名」ということばがかぎとなります。「良い油」は非常に高価な場合があります。ラザロの姉妹マリアはイエスの両足に、ほぼ1年分の賃金に相当する高価な香油を塗りました(ヨハネ12:1~7)。人の「名」がどうしてそれほど貴重なのでしょうか。「名」とは「良い名」のことです。大きな価値があるのは、単なる「名」ではなく、その「名」が生き方になって表れてくるからです。ご承知の通り、人が誕生した時は、良い評判も、優れた業、行いによる業績に記録もなく、「名」を付けられた人の人格や特質に関する高く評価される思い出もありません。しかし、その人の人生が終わる時、人の名はこれらすべてを表わします。それが、神エホバの観点から「良い名」であれば、どんな物質も所有物も及ばない、はるかに高い価値を持つことになります。
ダニエルはその生涯中、神エホバのみ前で良いな名を得るために、できることを何でも行いました。神エホバはそれを一つも見過ごされませんでした。神エホバがダビデになさったと同じように、ダニエルの心を調べられました(詩編139:1,2)。ですから、神エホバのみ使いは、ダニエルを「大いに望ましい人」と二度も呼んでいます(ダニエル10:11,19)。これは、ダニエルが神エホバに愛されていたことを意味していました。ですから、ダニエルは自分が神エホバのみ前で良い名を得ていることを理解していたので、満ち足りた気持ちで休むことができました。
この事物の体制下の死は、神エホバにとって眠りと同じく、単に休んでいる状態であり、眠り同じく後に目覚める、つまり復活することになります(ヨハネ11:11,13.使徒24:15)。
私たちもダニエルの模範に見倣って、神エホバのみ前に良い名が得られるように、日毎にみ言葉聖書を学び、その教えを黙想し、神エホバのご意志を守り行ないたいものです(詩編1:1~3.マタイ7:21,24,25)。あなたもそのような神エホバのご意志を守り行なう方々のお一人であれば幸いです。
白菜と 大根豊作 道の駅 今日の一句
12月下旬の「バラ」