温暖化が進み、かかり付けの医院の庭の鉢植えのバラが
冬になっても咲いています。バラは春と秋に咲く花として知られていますが、
こちらではこの時期になってもバラの花が咲き、
長く楽しむことが出来ています。
バラの花言葉は「深い愛情」と紹介されています。
今日は冬のバラとホトケノザを紹介致します。
冬になっても咲いている「バラ」
冬の道辺に咲いている「ホトケノザ」
- 通常ホトケノザは春に咲きます -
温暖化が進み、かかり付けの医院の庭の鉢植えのバラが
冬になっても咲いています。バラは春と秋に咲く花として知られていますが、
こちらではこの時期になってもバラの花が咲き、
長く楽しむことが出来ています。
バラの花言葉は「深い愛情」と紹介されています。
今日は冬のバラとホトケノザを紹介致します。
冬になっても咲いている「バラ」
冬の道辺に咲いている「ホトケノザ」
- 通常ホトケノザは春に咲きます -
イエス・キリストは、有名な山上の垂訓の締めくくりの教えの中で、誰でも理解の出来る例えを用いられました。それは、イエスの教えるみ言葉の真理を聞いて学び、守り行なう「思慮深い人」を「岩塊の上に家を建てた人」に例えられました。聖書のマタイの福音書に次の通り記されています。
「それゆえ、わたし(イエス)のこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です。そして、雨がどしゃぶりに降って洪水が来、風が吹いて打ち付けても、その家は崩れ落ちませんでした。岩塊の上に土台だ据えられていたからです」(マタイ7:24,25)。
上の聖句に記されている通り、イエスの教えるみ言葉・真理を聞いて学び、守り行なう者はみな、思慮深い人であると教えられました。その「思慮深い人」を「岩塊の上に家を建てた人」に例えられました。思慮深い人は、家を建てる時に地盤を調査し、当時も岩塊の上に土台を据え、家を建てました。そうすれば、イエスの説明通り、どしゃ降りの雨が降り、洪水が来て風に打ちたたかれても、家が崩れ落ちることはありませんでした。
イエスの養父のヨセフは大工であり、イエスはおよそ30歳まで、大工の仕事をし、家族の生活を支えましたので、家を建てる時の基礎の重要性を熟知していました(マタイ13:55)。イエスは誰もが身近に知っている事柄を例えに用い、真理を証しされました(マタイ13:34)。イエスの教えを聞いた人々は、イエスの教えを聞いて学び、守り行う「思慮深い人」になる必要があることを容易に理解できたに違いありません。私たちも容易に真理が理解できるのではないでしょうか。
イエスが教えた「岩塊の上の土台」は、イエスが都市から都市、村から村、会堂で証しされた「神の王国の良いたよりの真理」おも示唆しています(マタイ4:23.ルカ4:43;8:1)。神の王国の良いたよりの真理に堅く立つ人たちは「思慮深い人」であり、事物の体制の「終わりの日の対処しにくい危機の時代」に生活する私たちの直面する試練、困難に最後まで耐えることが出来ます(テモテ第二3:1~5.マタイ24:13)。そのような「思慮深い人」は義の宿る地上の楽園の新しい社会に招き入れられます(ペテロ第二3:13)。
あなたも、岩塊の上に家を建てた思慮深い人たちのお一人であれば幸いです。
茶の花や 葉陰に静か 咲きし様 今日の一句
美味しい「愛媛のみかん」
私の子供の頃は、工作で本立てや本箱やこけしを作ると
クチナシの実を取って来て、そのクチナシの実を切って
磨いた木目に刷り込みました。すると温かみのある艶が出て
素敵な作品に仕上がりました。その子供の時代を思い起こす
クチナシの実が近くの生垣に実を結んでいます。
今日はクチナシの実と切り花の菊を紹介致します。
近くの生垣の「クチナシの実」
道の駅の切り花の「菊」
あなたも、幼いころからご両親の懲らしめや導きによく聞き従ってこられた方でしょうか。そうであれば、物事が順調に進み、きっとご両親に喜びをお与えになられている方と思います。
聖書の箴言(しんげん)には、次の言葉が記されています。この教えを守り行なっている方々は、永続する満足のゆく道を歩めます。
「我が子よ、あなたの父の懲らしめに聴き従え、あなたの母の律法を棄て去ってはならない。それ(親の真理の教え)はあなたの頭にとっての優美な花冠であり、あなたののどにとっての立派な首飾りだからです」(箴言1:8:9)。
上の聖句の「父の懲らしめに聴き従え」とは、どのような意味でしょうか。それは、父の教える真理に基づく「悪から離れエホバのご意志を学び善を行う」教えに聴き従え、という意味です(詩編1:1~3)。「母の律法を棄て去ってはならない」とは、同様に母の教える真理の律法を学び守り行なうように、という意味です。そうすれば、親から教えられるみ言葉の真理は、頭の優美な花冠、のどの立派な首飾りとなるのです。頭ものども人体にとって目立ち、とても重要な部分となります。そのことから、「優美な花冠」、「立派な首飾り」の言葉から、エホバの誉れとなることを表わし、頭やのど美しい飾りとなることは保護となり、つまり命を守ることになることを教えています。
両親の真理の言葉に聴き従い、守り行なうことがなぜ重要なのでしょうか。それは、聖書の申命記の中で、親は次のように命じられているからです。
「・・・あなた(親)は、心をつくし、魂(命)をつくし、活力をつくしてあなたの神エホバを愛さねばならない。そして、わたし(エホバ)が今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれ(エホバの律法・真理)を自分の子に教え込み、家で座るときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときもそれ(エホバの律法・真理)を話さねばならない」(申命記6:5~7)。
上の聖句で命じられている通り、まず親は心から神エホバを愛し、エホバの律法・真理を自分の心に置き、その真理を子供に、あらゆる生活の場面で教え込まなければならいのです。ですから、親が教える真理に子供は聞き従い、守り行なうなら、神エホバの誉れとなり、命に至ることを箴言は教えています。
あなたも、箴言の教えに聴き従い、守り行なう方々のお一人であれば幸いです。
道の駅 老婦みかんを 出荷せり 今日の一句
北海道の姉妹から届いた「美味しいリンゴ」