愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

やぶ椿と鮮やかな黄色のカタバミ

2019-02-13 01:34:20 | 四季折々の花々

 ご近所の庭に珍しいやぶ椿の花が咲いています。

侘助にも似ていますが、やぶ椿のようです。

やぶ椿は私の手持ちの花図鑑には紹介されていません。

やぶ椿は小さめの花びらですが、気品の感じる椿の一種です。

 今日はやぶ椿と鮮やかな黄色のカタバミを紹介致します。

                       ご近所の庭の「やぶ椿」

                  庭に次々と咲く「鮮やかなカタバミ」

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聖書のサムエル第二:陰謀を強めたダビデ王の息子アブサロムはどのような死を迎えたか?

2019-02-13 01:11:37 | 神の言葉・聖書

 ダビデ王の息子アブサロムは、陰謀を増々強くしたので、ダビデ王は逃亡しました。ダビデ王は通報によってヨルダン川を渡り、難を逃れます(サムエル第二17:21,22)。そして、ダビデ王は息子アブサロムとの内戦の準備を進めました(サムエル第二18:1~4)。それでも、ダビデ王は息子アブサロムのことを気遣い、僕たちに「わたした(ダビデ)のために若者アブサロムを優しく扱ってくれ」と命じました(サムエル第二18:5)。内戦は始まり、戦闘が拡大、ダビデ王の民はアブサロムの隊を討ち破りました(サムエル第二18:6~8)反逆していたアブサロムはどのような結末を迎えたでしょうか。次のようにサムエル第二に記録されています。

 「やがて、アブサロムはダビデの僕たちの前にいることに気がついた。ときに、アブサロムはらばに乗っていたが、そのらばは巨大な大木の網の目のように入り組んだ大枝の下に来たので、彼(アブサロム)の頭は大木に固く引っ掛かり、彼(アブサロム)は天と地の間につまみ上げられた。下にいたらばが通り過ぎて行ったのである。それから、ある人がそれを見て、ヨアブに告げて言った、「ご覧ください、わたしはアブサロムが大木に吊るされているのを見ました」。そこで、ヨアブは自分に話しているその人に言った、「それも、何と、お前はそれを見たのに、どうしてそこで彼(アブサロム)を地に討ち倒さなかったのか。そうすれば、お前に銀十枚と帯一本を与えるのがわたしの務めとなっただろうに」。しかし、その人はヨアブに言った、「それに、たとえわたしが銀十枚をたなごころで量っていたとしても、わたしは王(ダビデ)の子息(アブサロム)に対して手は出しません。わたしたちの聞いているところで、王(ダビデ)はあなた(ヨアブ)とアビシャイとイッタイに命じて、「だれでも、あの若者、アブサロムを見守ってくれ」と言われたからです。そうでなければ、わたしは彼(アブサロム)の魂(命)に対して不実なことをしたでしょうか。このすべてのことは王(ダビデ)から隠せなかったでしょうし、あなた(ヨアブ)は味方とはほど遠い態度を取られたでしょう」。これに対してヨアブは言った、「このようにしてお前の前でわたし(ヨアブ)の前わたしをとどめないでもらおう!」。そうして、彼(ヨアブ)はたなごころに三本の矢柄を取り、大木の真ん中でなお生きていたアブサロムの心臓にそれを刺し通した。それから、ヨアブの武器を運ぶ十人の従者が周りにやって来て、アブサロムを殺そうとしてこれを討った」(サムエル第二18:9~15)。この後、ダビデ王の僕ヨアブは、アブサロムを「森で大きなほら穴に投げ込み、その上に非常に大きな石を積み上げた」ので

す(サムエル第二18:16,17)。ダビデ王は後に、息子アブサロムが死んだことを知ると、「このわたし(ダビデ)が、お前(アブサロ)の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム、我が子よ、我が子よ!」と、泣き悲しんだことが記されています(サムエル第二18:33)。ダビデ王の深い悲しみが伝わって来ます。

 ダビデ王は反逆した息子アブサロムを気遣い、「若者アブサロムを優しく扱ってくれ」と僕のヨアブたちを通して前もって命令を出していました(サムエル第二18:5)。アブサロムが大木の枝に吊り下がった状態を見つけた人は、忠節心を働かせ、その事をダビデ王の僕ヨアブに伝えました。ヨアブはダビデの命令を踏み越えてダビデ王の息子アブサロムを従者と共に殺したことが記されています。

 この出来事の記録は、忠節を守る者は、必ずしもダビデ王の直属の僕ではなく、一般の名の記されていない民であったことが分ります。忠節を通せるかどうかは身分ではないことを教えています。ヨアブは忠節を守れなかったのです。この事から、イエスの教えられた通り、日毎にみ言葉の聖書を学び、その教えを守り行なう霊性の高い「思慮深い人」として歩む必要のあることが分ります(マタイ7:24,25)。

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