私たちは、この事物の体制下で生活しているので、次々と思い煩いや苦しみに直面することがあります(詩編49:1.マタイ6:34)。それでも、パウロが霊感を受けて書き記した、「今の時期のいろいろな苦しみは、・・・取るに足りないものと考えます」と述べた根拠から、確かな希望に堅く立つことが出来ます(ローマ8:18)。パウロは保証された希望をローマ人への手紙の中で書き記しています。この言葉は、直接的には、油注がれた14万4千人のクリスチャンへの言葉ですが、「ほかの羊の大群衆」の真のクリスチャンたちにも適用されます(ヨハネ10:16.啓示7:4、9)。
「それゆえ、今の時期のいろいろな苦しみは、わたしたち(油注がれたクリスチャン)のうちに表し示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものとわたし(パウロ)は考えます。創造物(人類全体)は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。・・・すなわち、創造物(人類全体)そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ、神の子供の栄光ある自由を持つようになることです」(ローマ8:18~21)。
使徒パウロは、色々な苦しみは取るに足りないと考える理由を明らかにしています。その理由は、①油注がれた14万4千人のクリスチャンに表し示されようとして栄光と比べて、のことです。パウロに記した「栄光」とは何でしょうか。それは、天に設立される神の王国政府でイエスを王とし、14万4千人のクリスチャンと共に共同相続人・共同支配者となる栄光のことです(ローマ8:17.啓示5:5~12;11:15;14:1~5)。②神の王国は「腐朽への奴隷状態」、つまり、人類はアダムから罪と死を受け継ぎ、死から逃れることが出来ない状態から自由にされるのです(ローマ5:12)。「自由にされる」とは、イエス・キリストの贖いの死の犠牲の適用によって、この事物の体制の終結以降に罪と死からの解放をされることです(ヨハネ3:16.啓示21:4)。
油注がれたクリスチャンたちは天で神の王国政府の共同支配者となり、「ほかの羊の大群衆」の真のクリスチャンは、地上の楽園で真の自由、真の平和と永遠の命を享受することになるからです(啓示7:9,14;21:4)。
パウロが色々な苦しみは取るに足りないと考えた理由がお分かりのことと思います。聖書には神の王国がどのように真の自由、平和を実現するかが、証拠を示し、明らかにしています(マタイ24:3~14.ペテロ第二3:9~13.啓示17:1~6;18章~20:3,10)。間もなく地上に神の王国によって義の宿る楽園が回復されますので、保証された希望に堅く立つ方々は幸いです(ペテロ第二3:13)。
二月にも 海辺集落 雪残る 今日の一句
- 越後の海辺の集落の写真を見て -
鉢植えの「シンビジウム」