愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

聖書のサムエル第二:ダビデ王とギレアデ人バルジライの謙遜と善良さを示した行動♪

2019-02-14 23:47:27 | 神の言葉・聖書

 ダビデ王は、多くの試練を経験した後、王はエホバのご意志を行わなければならないことを自覚し、かってダビデに災いを求めたシムイを許すようにしました(サムエル第二16:5~8.19:21~23)。そのダビデ王がエルサレムに帰還する時、高齢で80歳になっていたギレアデ人バルジライのダビデ王に示した謙遜で善良な行動、同じくダビデ王も謙遜で善良な行動で応じたことが聖書のサムエル第二に、次のように記されています。

 「ときに、ギレアデ人バルジライもロゲリムから下って来た。王(ダビデ)と共にヨルダンに進み、ヨルダンまで彼(ダビデ王)に付き添うためであった。ところで、バルジライは非常に年を取っており、八十歳であったこの人(バルジライ)が、王(ダビデ)がマハナイムに住んでいた間、王(ダビデ)に食物を供した。彼(バルジライ)は非常に大いなる人だったからである。そこで王(ダビデ)はバルジライに言った、「あなたもわたしと共に渡って来てください。そうすれば、わたし(ダビデ)は必ずエルサレムのわたしのもとであなたに食物を供しましょう」。しかし、バルジライは王(ダビデ)に言った、「わたしの命の年はどれほどのものなので、わたしは王と共にエルサレムに上るべきなのでしょう。わたしは今日八十歳です。わたしは善を識別できるでしょうか。あるいは、この僕は、自分の食べるものや飲むものを味われるでしょうか。あるいは男女の(神エホバへの)歌うたいの声をまだ聴けるでしょうか。ですから、どうして僕(バルジバイ)がこれ以上、王なる我が主(ダビデ)の重荷になれるでしょう。この僕が王(ダビデ)をヨルダンにお連れできるのは、ほんのわずかの道のりなのですから、王はどうしてこのような報酬をもってわたしに報いてくださらなければならないのでしょう。この僕を、どうか帰らせてください。わたしの父と母の埋葬所のすぐそばのわたしの都市で、わたしを死なせてください。しかし、ここにあなたの僕キムハムがおります彼(キムハム)を王なる我が主と共に渡って行かせてください。あなた(ダビデ王)は自分の目に善いことを彼(キムハム)になさってください。

 それゆえ王(ダビデ)は言った、「キムハムはわたしと共に渡って行くことになります。わたし(ダビデ)があなた(バルジライ)の目に善いことを彼(キムハム)にしましょう。あなたがわたしに負わせるのを好むことすべてを、わたしはあなたのために致しましょう」。そうして王ダビデも民もヨルダンを渡り始め、ダビデ王は「バルジライに口づけして、彼を祝福した」その後バルジライは自分の場所に帰りました」(サムエル第二19:31~40)。

 上の聖句に記録されている通りダビデ王とギレアデ人バルジライの交わした言葉と行動に思いを巡らしてくだされば幸いです。バルジライは忠節であり、謙遜で善良な人であることが分ります。かつ、バルジライは利他的な人でした。また、同時にダビデ王も忠節な僕バルジライの願いを受け入れた謙遜で善良な王、エホバのご意志を行う王にもどっていたことを示しています。

 私たちも、立場に関わりなく、いかなる時も謙遜で善良な振る舞いをしたいものです。

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      菜の花や 洪水に耐え 咲きし土手 今日の一句

                     かかりつけの医院の「バラ」

 

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西日本豪雨で氾濫した広見川土手の菜の花とサイネリア

2019-02-14 01:36:22 | 四季折々の花々

 宇和島市の隣町の松野町広見川は、昨年7月の西日本豪雨時に

氾濫し、住宅が床上浸水しました。今は以前の静かな川に

戻り、その土手に菜の花が何事もなかったように咲いていました。

豪雨による川の氾濫にも菜の花の種は耐えたことが分ります。

広見川の土手で菜の花が咲き、春の到来を告げていました。

 今日は西日本豪雨で氾濫した広見川土手の菜の花とサイネリアを紹介致します。

            西日本豪雨で氾濫した松野町「広見川土手の菜の花」

                      鉢植えの「サイネリア」

 

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聖書のサムエル第二:ダビデ王に語ったダビデから親切を受けたメピボセテの義の言葉🎵

2019-02-14 01:08:04 | 神の言葉・聖書

 ダビデ王は、息子アブサロムのによって悲しみの苦難を経験しましたが、次第に民の心もダビデに戻り、王としての対応ができるようになりました(サムエル第二19:4,14~23)。そうした中で、ダビデ王が以前にサウル王の孫メピボセテに憐れみを示し、自分の食卓でパンを食べるように取り計らいましたが、そのメピボセテがダビデ王を迎えに来て語った義の言葉が聖書のサムエル第二に、次のように記されています。メピポセテの義の言葉に学ぶことが出来ます。

 「サウルの孫メピボセテは、(ダビデ)王を迎えるために下って来た。彼(メピボセテ)は王(ダビデ)が去って行った日から、無事に帰って来られる日まで、自分の足の手入れもせず、口ひげの手入れせず、その衣も洗っていなかった。そして、彼(メピボセテ)が王(ダビデ)を迎えるためエルサレムに来た時、王(ダビデ)は彼(メピポセテ)に言ったのである。「メピボセテよ、あなたはなぜわたしと共に行かなかったのか」。これに対して彼(メピボセテ)は言った、「王なる我が主(ダビデ)よ、私(メピボセテ)の僕がわたしをだましたのです。この僕は、「わたしの雌ろばに鞍を置かせてくれ。わたしがそれに乗って、王(ダビデ)と共に行くためだ」と言っておいたのです。僕(メピボセテ)は足が不自由ですので。それで、彼(メピボセテの僕)はこの僕(メピボセテ)のことを王なる我が主(ダビデ)に中傷しました。しかし、王なる我が主は真の神(エホバ)のみ使いのような方っですから、あなたの目に善いことを行なってください。私(メピボセテ)の父(サウル王)の家の者は皆、王なる我が主にとって、ほかならぬ死に定められた者でしたでしょうに、それでもあなた(ダビデ王)はこの僕(メピボセテ)をあなたの食卓で食べる者たちの中に置いてくださったからです。ですから、私には、この上、王(ダビデ)に呼び求める正当な権利として何があるでしょうか」。

 ところが王(ダビデ)は彼(メピボセテ)に言った、「あなたはなぜ自分の言葉を語り続けるのか、わたしはまさしく言うが、あなた(メピボセテ)とチバは畑を分け合わなければならない。そこでメピボセテは王(ダビデ)に言った、「王なる我が主(ダビデ)が無事に家に帰って来られたのですから、彼(チバ)に全部でも取らせてください」(サムエル第二19:24~30)。

 上記に記されている通り、サウル王の孫メピボセテは両足の不自由な人で、ダビデ王が無事に帰還するのを待ちわびていたことが分ります。メピボセテはダビデの命を狙ったサウル王の孫であるにも関わらず、ダビデ王はメピボセテに憐れみを示したことを、ぺピボセテは忘れたはいなかったのです。それだけではありません。ダビデ王がメピボセテに、自分の畑をチバと分け合うように、と指示されると、全部をチバに取らせて良いと答えています。メピポセテのこの答えは、義なる人の実証となっています。ダビデ王に倣って利他的な人になっていました。

 様々な状況の変化があっても義を守る、利他的な生き方を示すことが出来る人たちは幸いです。

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      春光や 脊髄ドナー 増える報 今日の一句

                      松野町「広見川」

                   - 昨年7月の西日本豪雨時には

                     この川が溢れ住宅地で

                     床上浸水しました -

 

 

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