近くの道辺の畑に珍しい花びらのダリアの花が咲いています。
この花びらのダリアの花は、この場所以外で見たことが有りません。
もちろん手持ちの花図鑑にも紹介はされていません。
ダリアの花は3万種もあると言われていますので、多彩な花と思います。
今日は珍しい花びらのダリアの花と愛好家のバラ(その2)を紹介致します。
近くの道辺の畑の「珍しい花びらのダリア」
鉢植えの「愛好家のバラ(その2)」
近くの道辺の畑に珍しい花びらのダリアの花が咲いています。
この花びらのダリアの花は、この場所以外で見たことが有りません。
もちろん手持ちの花図鑑にも紹介はされていません。
ダリアの花は3万種もあると言われていますので、多彩な花と思います。
今日は珍しい花びらのダリアの花と愛好家のバラ(その2)を紹介致します。
近くの道辺の畑の「珍しい花びらのダリア」
鉢植えの「愛好家のバラ(その2)」
山上の垂訓を続けておられたイエスは、敬虔な態度をひけらかす人々の偽善を非難して、「施しをする時には、偽善者たちが・・・するように、自分の前にラッパを吹いてはなりません」と、言われました。
イエスはさらに、「また、祈る時、あなた方は偽善者たちのようであってはなりません。彼らは、人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好むのです」と述べ、むしろ「祈る時には、自分の私室に入り、戸を閉めてから、ひそかなところにおられるあなた方の父(エホバ)に祈りなさい」と、教えられました。イエスご自身が公の祈りを捧げられたことがあるので、そうした祈りを非としておられるのではありません。イエスが非難しておられるのは、信仰を鼓舞する心からの感謝の祈りではなく、自分に称賛の言葉を得るための祈りです。
さらに、イエスは、「祈る際には、諸国の人々がするように同じことを何度も繰り返し言ってはなりません」と、諭されました。イエスは、繰り返すこと自体が悪いと言っておられるのではありません。イエスご自身が祈る際に「同じ言葉」を繰り返しお用いになったことがありました。それで、イエスが非としておられるのは、祈りの文句を機械的に繰り返しながら数珠をつま操る人々のように、暗記した文句を「何度も繰り返し」祈ることです。
イエスは聴衆が祈るのを助けるため、七つの請願を含む模範的な祈りを捧げられます。初めの三つの請願は、神エホバの主権と神の目的を正しく認めるもので、神エホバのお名前が神聖なものとされることを願うもの、神の王国が来ること、そして神エホバのご意志が行われることを願うものです。残る四つは個人的な願いで、日毎の食物、罪を許し、忍耐できないような誘惑に遭わないこと、邪悪な者から救い出されることを求めるものです。
続いてイエスは、物質の所有物を過渡に重視するわなに注意を向けられ、「あなた方は自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは、蛾や錆が食い尽くし、また盗人が押し入って盗みます」と、教えられました。そうした宝は朽ちやすいものであるばかりか、神エホバの御前に功績を積むことにはなりません。ですから、イエスは、「むしろ、自分のために天に宝を蓄えなさい」と教えられました。これは、神エホバへの奉仕を生活の中で第一にすることによってできます。こうして神エホバのみ前に積み上げられた功績や、その素晴らしい報いはだれも取り去ることはできません。それから、イエスは、「あなた方の宝のある所、そこにあなたの心もあるのです」と、説明を加えられました。
イエスはさらに、物質主義のわなに注意を向け、次の例えを話されました。「体のともしびは目です。それで、もし目が純一であれば、あなたの体は明るいでしょう。しかし、目がよこしまであれば、あなたの体全体は暗いでしょう」。正常に働く目は、体にとって暗い場所にあるともしびのようです。しかし、物を正しく見るためには目が純一でなければなりません。つまり、焦点が一つのものに合っていなければならないのです。目の焦点がそれに合っていないと、物事の評価を誤り、神エホバへの奉仕よりも物質の追及を優先するようになります。その結果、「体全体」が暗くなるのです。
イエスは説得力のある次の例えを語ってこの問題を最高潮にもってゆかれます。「だれでも二人の主人に奴隷として仕えることはできません、一方を憎んで他方を愛するか、一方に堅く付いて他方を侮るかのどちらかだからです。あなた方は神と富とに奴隷として仕えることはできません」。イエスはこのように諭した後、神エホバへの奉仕を常に第一にするなら物質の必要物について思い煩う必要はないことを聴衆に保証されました。イエスは、「天の鳥をよく観察しなさい。種をまいたり、刈り取ったり、倉に集め入れたりはしません。それでも、あなた方の天の父(エホバ)はこれを養っておられます」と、述べてから、「あなた方はそれらより価値のあるものではありませんか」と、諭されました。
次にイエスは、野のゆりに注意を向けられ、「栄光を極めたソロモンでさえ、これらの一つほどにも装ってはいない」ことを指摘し、「では、神が・・・野の草木にこのように衣を与えておられるなら、ましてあなた方に衣を与えて下さらないことが有るでしょうか。信仰の少ない人たちよ」と、話されました。それで、イエスは結論として、次のように話されました。「思い煩って、「私たちは何を食べるのか」、「何を飲むのか」、「何を身に着けるのか」などと言ってはなりません。・・・あなた方の天の父(エホバ)は、あなた方がこれらのものを全て必要としていることを知っておられるのです。ですから、王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば、これら他のものはみなあなた方に加えられるのです」。(マタイ、ルカの福音書参照)。
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