イエスは弟子たちに、りっぱな種をまく者は人の子イエスのことであり、畑は世界、りっぱな種は神の王国の子たちであることを説明されました。
引き続いてイエスは、探究心のある弟子たちにさらに三つの例えを話されました。まず最初に、「天の王国・神の王国は畑に隠された宝のようっです。人はそれを見つけたら隠しました。そして、喜びのあまり、出かけて行って自分の持つ全てを売り、それからその畑を買うのです」と、説明されました。
次にイエスはこう語られました。「また天の王国はりっぱな真珠を探し求める旅商人のようです。価の高い真珠一つを見つけると、去って行って自分の持つすべてのものを即座に売り、それからそれを買いました」。
イエスご自身は、隠された宝を見いだす人や、価の高い真珠を見つける商人に似ています。イエスは、いわばすべてのものを売り、身分の低い人間になるために天の誉れある地位を後にしました。その後、地上で人間として、非難や憎悪に満ちた迫害を受けて苦しみ、神の王国の王になるのにふさわしいことを証明されました。
イエスの追随者たちも、イエス・キリストの共同支配者か、また神の王国の地上の臣民かのどちらかになるという大きな報いを得るために、全てのものを売るかどうかという挑戦を受けています。私たちは、神の王国の祝福を受けることを生活上の何よりも価値のある事柄、つまり非常に高価な宝や真珠のようにみなすのです。
最後にイエスは、「天の王国」をあらゆる種類の魚を寄せ集める引き網に例えられました。魚をより分ける際、ふさわしくない魚は投げ捨てられますが、良い魚は取っておかれます。それでイエスは、事物の体制の終結の時にもそうなると教えられました。天使たちは邪悪な者たちと義人・正しいことを行う人たちとをより分け、邪悪な者たちは滅ぼしつくされるために別にされるのです。
イエスご自身、人をすなどるこの事業を開始し、「人をすなどる者」となるよう最初の弟子たちを招かれました。この「人をすなどる業」は、天使たちの監督のもとに幾世紀にも亘って続けられ、最後に「引き網」をたぐり寄せる時が訪れますが、その「引き網」は、自分たちは真のクリスチャンであると主張する地上の組織を象徴的に表しています。
ふさわしくない魚は投げ捨てられ、滅ぼされますが、感謝すべきことに、真のクリスチャンたちは、取っておかれる「良い魚」とみなしてくださるのです。イエスの弟子たちが、さらに多くの知識と理解を求めたのと同様の誠実な願いを表すなら、私たちんもさらに多くの真理の教えを受けて祝福されるだけではなく、永遠の命という、神エホバからの祝福に預かれるのです(マタイ13:1~52.マルコ4:1~34.ルカ8:4~18.詩編78:2.イザヤ8:9,10)。
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里芋の 煮物は母の 味を継ぐ 今日の一句
庭の「モチノキの実」