イエス・キリストは群衆に向かって、人々の良く知っている例えを使って真理を教えられました。そのため人々の心深くに真理が入り、人々を動かす力となりました。
イエスは種まき人の例え話しを始め、岸辺にいる群衆に対し話しを続け、さらに二つの例えを話されました。「天の王国・神の王国」は、人が植えるからしの種粒に似ている、とイエスは説明し、それはあらゆる種の中で一番小さいにもかかわらず、あらゆる野菜のうちで一番大きくなる、と教えられました。それは木のようになり、鳥たちが来てその枝の間に宿を見つけます。
現在の人の中には、からしの種粒よりも小さい種がある、とイエスの話しに異議を唱える人もいます。しかし、イエスは植物学の講義をしておられるわけではありません。当時のガリラの人々がよく知っている種の中で、からしの種粒は実際に一番小さい種なのです。それで、人々は、イエスの例えを用いた話しの中で、言われる驚異的な成長のことが良く分かるのです。
最後にイエスは、「神の王国」を、女性が取って大升一杯の麦粉に混ぜるパン種に例えられました。やがてそのパン種は、練り粉全体に広がると、イエスは説明されます。
イエスは五つの例えを用いて話されてから、イエスは群衆を解散させ、ご自分が滞在しておられる家に戻られました。ほどなくして、十二使徒や他の人々がイエスのもとにやって来ました。
イエスが浜辺の群衆に対する話しを終えられると、弟子たちはイエスの例えを用いた教え方に関心を抱いて、イエスのもとにやって来ました。弟子たちはイエスが例えを使って話されるのを以前にも聞いたことはありましたが、今回のように沢山の例えを用いた話しを聞くのは初めてでした。それで弟子たちは、「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」と、イエスに尋ねました。
イエスがそうなさる一つの理由は、「私は例えをもって口を開き、世の基が置かれて以来隠されてきた事柄を言い広める」という預言者の言葉が成就するためです。しかし、これにはさらに他の理由があります。例えを使うことは、人々の心の態度を明らかにするのに役立つのです。
実際、ほとんどの人は、単に優れた話し手、また奇跡を行う人として、イエスに感心を持っているだけで、主人として仕え、私欲を捨てて、イエスに従うために関心を持っているのではありません。人々は、自分たちの考え方や生き方には触れてもらいたくはないのです。イエスの教える真理の教えがそこまで入り込むのは好まないのです。
それで、イエスは、次のように言われました。「私が例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味をさとることもないからです。イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べられています。「・・・この民の心は受け入れる力がなくなってしまったからである」」。イエスは言葉を続けられます。「しかし、あなた方の目は見えるゆえに、またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです。あなた方に真実に言いますが、多くの預言者や義人たちは、あなた方が見ているものを見たいと願いながらもそれを見ず、あなた方が聞いている事柄を聞きたいと願いながらそれを聞かなかったのです」。
引き続き次回にイエスの説明を紹介致します。
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