庭では、カタバミの葉が繁り、黄色と赤紫のカタバミの花を咲かせています。
この草花は強く、野原から市街地の空き地や道辺や庭にまで、
どこにでも生える多年草です。しかし、緑の葉に調和し爽やかな花です。
山野草図鑑では花期は5月~9月と紹介されていますが、我が家では今も咲いています。
今日は黄色と赤紫のカタバミの花と妻の描いた点描画の「花」を紹介致します。
庭に咲いている「カタバミの花」
妻の描いた点描画「花」
- 構図が優れていると思います -
庭では、カタバミの葉が繁り、黄色と赤紫のカタバミの花を咲かせています。
この草花は強く、野原から市街地の空き地や道辺や庭にまで、
どこにでも生える多年草です。しかし、緑の葉に調和し爽やかな花です。
山野草図鑑では花期は5月~9月と紹介されていますが、我が家では今も咲いています。
今日は黄色と赤紫のカタバミの花と妻の描いた点描画の「花」を紹介致します。
庭に咲いている「カタバミの花」
妻の描いた点描画「花」
- 構図が優れていると思います -
本日も引き続き、イエスの教えた「誇り高い人々と謙遜な人々」について(その2)でお伝え致します。
イエスは続いて、コラジン、ベツサイダ、カペルナウムの3都市を挙げて非難されました。イエスはみ父エホバから託された強力な業の多くをそれらの都市で行っておられました。もし、フェ二キア人の都市であるティルスやシドンでこうした奇跡の業を行っていたなら、それらの都市は粗布をまとい灰をかぶって悔い改めていたであろう、とイエスは言われました。また、イエスの神の王国の良い便りの宣教期間中の本拠地であったと思われるカペルナウムを罪に定め、「裁きの日には、あなたよりソドムの地のほうが耐えやすいでしょう」と、宣言されました。
次にイエスは、天の父エホバを公に賛美されました。イエスがそうするよう心を動かされたのは、神エホバが尊い霊的な真理を、賢くて知能のたけた者たちには隠し、立場の低い人々、いわばみどり子たちにそれらの驚くべき事柄を啓示しておられるからです。
最後にイエスは、人の心に訴える招待を差し伸べられました。「すべて、労苦し、荷を負っている人よ、私のところに来なさい。そうすれば、私があなた方を爽やかにしてあげましょう」私のくびきを負って、私から学びなさい。私は気質が温和で、心のへりくだった(謙遜な)者だからです。あなた方は自分の魂にとって爽やかなものを見いだすでしょう。私のくびきは心地よく、私の荷は軽いのです」。
イエスは私たちをどのように爽やかにしてくださるのでしょうか。長い間、宗教指導者たちが人々に負わせてきた、人を隷属させる人間の哲学に基づく伝統から自由にすることによって、爽やかにしてくださるのです。例えば、当時は安息日を守るための誤った理解に基づく厳格な規定がありました。イエスは、当時政治権力による支配がもたらすひどい重圧や、良心をさいなむ罪の重圧を感じている人々に安らぎの道を示し、それらの苦しむ人たちに、どうすれば罪が赦されるか、どうすれば、神エホバとの貴重な関係を享受できるかを明らかにされました。
イエスが与える心地よいくびきとは、神エホバへの全き献身のくびきのことで、同情心に富み、憐れみ深い天の父エホバに仕えることを可能にすることです。さらに、イエスがご自分のもとに来る人々に与える軽い荷とは、永遠の命を得るための神エホバのご意志である、聖書に記録されている神エホバの教えを守り行なうことです。しかも、それは少しも重荷ではなく、軽いのです。イエスに見倣い謙遜な人として歩まれる方々は幸いです(マタイ11:16~30.ルカ1:15;7:31~35.ヨハネ第一5:3)。
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頭越え 一輪のバラ 帰り道 今日の一句
玄関の「活け花」
玄関入口の木製の植木鉢にパンジーを植えているのですが、
とても綺麗に咲き、鮮やかな花弁の色彩を楽しんでいます。
花図鑑では花期は2月~5月と紹介されていますが、この時期から楽しめています。
殖やし方は種子まきです。
用途は切り花、鉢植え、花壇です。
花言葉は「物思いにふける」と紹介されています。
今日は玄関のパンジーと妻の描いた超細密の「花」の点描画を紹介致します。
玄関入口の鉢植えの「パンジー」
妻の描いた超細密の「花」の点描画
イエスは、水のバプテスマを施す人ヨハネの徳について語った後、ご自分の周りにいる、誇り高くて気まぐれな人々に注意を向け、次のように言われました。「この世代・・・は、幼子たちが市の立つ広場に座って、自分の遊び仲間に叫ぶのに似ています。こう言うのです。「あなたたちのためにフルートを吹いたのに、あなたたちは踊らなかった、私たちが泣き叫んだのに、あなたたちは身をたたいて悲しまなっか」」。
イエスは何のことを言っておられるのでしょうか。イエスは次のように説明されました。「ヨハネが来て食べたり飲んだりすると、「彼には悪霊がいる」と人々は言い、人の子が来て食べたり飲んだりするなら、「見よ、食い意地の張った、ぶどう酒にふける男、収税人や罪人たちの友」と言います」。
得手勝手な人々を満足させることはできません。彼らを喜ばせるものは何もありません。ヨハネは、み使い・天使が「彼はぶどう酒や強い酒をいっさい飲んではいけない」と布告した通り、ナジル人として自制の求められる簡素な生活をしていました。ところが、ヨハネは悪霊につかれている、と人々は中傷しました。一方、イエスは他の人たちのように生活し、少しも苦行をしないので、節度がないと非難を受けました。
身勝手な人々を喜ばせるのは何と難しいのでしょう。彼らは子供の遊び仲間に似ています。ある子供の遊び仲間は、他の子供たちがフルートを吹く時に、それに応えて踊ることも、仲間たちが泣き叫ぶときに悲しみを表すことをしません。それでもイエスは、「知恵はその働きによって義にかなっている(正しい)ことが示されるのです」と、教えられました。確かに、証拠となる働きによって、ヨハネとイエスにもたらされている非難は偽りであることが明らかにされるのです(マタイ、ルカの福音書参照)。
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白菜の 漬物美味し 日課なり 今日の一句
庭で次々と咲いて来る「ランタナ」