人生において、最も悲しい出来事は愛する家族を亡くる時です。中でも親がわが子に先立たれることが起きた時が最も悲しく辛い時です。そうした言葉では言い表せない嘆きと悲しみの経験をされた方々も、神エホバがイエスを通して与えてくださっている復活の希望は、愛する家族に再び会える保証された希望を与えてくれるでしょう。
イエスはついに、エルサレムから3キロほど離れたベタニアの村の外れまで来られました。友人ラザロが死んで埋葬されてから数日しかたっていません。ラザロの姉妹であるマリアとマルタは、まだ嘆き悲しんでおり、大勢の人が二人を慰めるために二人の家に来ていました。
ラザロの死を嘆き悲しんでいる時、イエスがこちらに向かっておられることがマルタに知らせました。それでマルタは、そのことを妹には知らせなかったようです。そこで家を出て急いでイエスを迎えに行きます。そして、イエスの所まで来ると、マルタとマリアがこの四日間何度も口にしたに違いない言葉を繰り返し、「もしここにいてくださったなら、私たちの兄弟ラザロは死ななかったでしょう」と、言いました。
しかしマルタは、イエスなら今でも自分の兄弟ラザロのために何かできるかもしれないという望みを言い表し、「あなた(イエス)が神にお求めになることは、神がみなお与えになることを知っています」と、強い信仰を言い表しました。
すると、イエスは「あなたの兄弟はよみがえります」と、約束されました。イエスはアブラハムや神エホバの他の僕たちも待ち望んだ将来の地上における復活のことを話しておられるものと、とマルタは考えました。それでマルタは、「彼(ラザロ)が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と、答えました。
しかしイエスは、「私は復活であり、命です」と、答えて、直ぐに復活させるという希望をお与えになりました。そして、「私(イエス)に信仰を働かせる者は、たとえ死んでも、生き返るのです。そして、生きていて私に信仰を働かせる者は、みな死ぬことがありません」と、述べて、神エホバがイエスに死を制する力をお与えになっていることをマルタに思い起こさせました。
イエスはマルタに、その時生きている忠実な人々は決して死ぬことはない、と言っておられるのではありません。むしろ、イエスが話しておられるのは、ご自分に信仰を働かせることは永遠の命につながるということです。ほとんどの人は、ハルマゲドン以降に地上が義の宿る楽園に回復された以降に、復活させられることにより、永遠の命を享受する機会が与えられます。しかし、地上でこの事物の体制の終わりを生き残る忠実な人々もいらっしゃることでしょう。それらの人々にとって、イエスの約束の言葉は文字通りの意味で真実となります。イエスの贖いの死に信仰を働かす人々は永遠の命を享受する機会が与えられるのです。イエスはこの驚くべき言葉を述べた後、「あなたはこれを信じますか」と、マルタにお尋ねになりました。
マルタは、「はい、主よ。私はあなたが神の子キリスト、世においでになるはずの方であることを信じてまいりました」と、イエスに答えました。
それから、マルタは急いで妹・マリアを呼びに戻り、「師(イエス)が来られ、あなたをお呼びです」と、そっと彼女に伝えました。マリは直ちに家を出ました。他の人たちはマリアが出て行くのを見ると、「記念の墓(ラザロの葬られた墓)」に行くのだろうと思い、その後に付いて行きました。
マリアはイエスの所まで来ると、泣きながらその足元にひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださったなら、私の兄弟(ラザロ)は死ななかったでしょう」と、言いました。マリアとその後に付いてきた大勢の人たちが泣き悲しんでいるのをご覧になった、イエスは深く心を動かされて次のように言われました。「あなた方は彼(ラザロ)をどこに横たえたのですか」と、お尋ねになりました。
大勢の人たちは、「主よ、おいでになって、ご覧ください」と、言いました。イエスは涙を流されました。そのためユダヤ人たちは、「御覧なさい、彼(ラザロ)に対して何と愛情を抱いておられるのでしょう」と、言いました。
ある人たちは、数か月前のエルサレムの幕屋の祭りの時に、イエスが生まれつき目の見えない若者を癒されたことを思い起こして、「盲人の目を開けたこの人が、彼(ラザロ)の死ぬのを防げなかったのだろうか」と、言いました(ヨハネ5:21;6:40;9:1~7;11:17~37)。
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春の日や キジ鳩のどか 鳴きており 今日の一句
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近くの通信線に止まって「鳴いているのどかなキジ鳩」