私が子供の頃はハンセン病(らい病)は恐ろしい病気と言われていました。私が40歳代半ばに、あるお家は高い木製の塀で囲まれていました。どうしてだろうと思いました。お家の高い板塀に空いている箇所があり、お庭の様子が見えました。そのお庭にはお顔をハンセン線を患われた痕のある方が座っておられ、高い板塀が施されている意味を理解しました。実際にハンセン病を患らった方を見たのはその時が初めてでした。イエスの時代、イエスに癒された10人のハンセン病の人について学ぶと、教訓を得ることができます。
イエスはエルサレムを去って、エフライムという都市に向かわれたため、イエスを殺そうとするサンヘドリンの企ては失敗しました。エフライムはエルサレムの北東わずか25キロほどの所にありました。イエスは敵たちから離れて、弟子たちと共にそこに留まりました。
しかし、西暦33年の過ぎ越しの祭りの日が近づいていたので、イエスはやがて移動し、サマリアを通ってガリラヤに上っていかれました。イエスが亡くなられる前に、イエスがこの地方を訪れるのはこれが最後っです。イエスと弟子たちは、ガリラヤにいる間に、過ぎ越しの祝いのために、エルサレムに向かう人々に加わるようです。一行はヨルダン川の東のベレア地区を通る道を行きました。
イエスが旅に出て間もなく、サマリアかあるいはガリラヤのある村に入る際、ハンセン病(らい病)を患っている10人の男性にお会いになりました。この恐ろしい病気にかかると、手足の指、耳、鼻、唇といった体の各部が徐々に腐ってゆきます。当時他の人にうつらないようにするため、ハンセン病(らい病)人に関し、その病気を明らかにし、一般の人から「離れて住むべきである」、つまり隔離すべきであると教えられていました。
10人の男性のハンセン病(らい病)の人は、当時の教えを守って、イエスから遠く離れた所に留まっていました。それでも彼等は大声で、「イエスよ、先生、私たちに憐れみをおかけください!」と、叫びました。
イエスは遠くにいる彼らを見て、「行って、自分を祭司たちに見せなさい」とお命じになりました。イエスがそのように言われたのは、当時の神の律法によれば、祭司たちには、ハンセン病(らい病)人がその病気から回復した場合、治ったということを宣言する権限があったからです。こうしてそれらの人々は、健康な人たちとまた一緒に暮らしても良いという承認を得ることができました。
さて10人の男性のハンセン病(らい病)の人はどのように行動するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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