イエスはご自分の臨在の日はノアの日と同じように、人々は食べたり、飲んだりの日常生活に明け暮れいる時や、またロトの日と、同様であることを説明されました。
イエスは、ノアの日(ノアの大洪水の日)やロトの日の人々が、食べたり、飲んだり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりする通常の生活を行ったというだけの理由で、滅ぼされたと説明しておられるのではありません。ノアやロトや彼らの家族もそうした日常の生活を行いました。しかし、他の人たちはノアやロトと異なり、神エホバのご意志に何の注意も払わないで日常生活を続けました。それが理由で多くの人々は滅ぼされました。同じ理由で多くの人々は、間もなく臨むこの事物の体制の大患難の際に、イエス・キリストが表し示されるとき、地上から滅ぼされるでしょう。
イエスは、将来ご自分が神の王国の権力を執って臨在する時の証拠に急いでこたえ応じる大切さを強調して、「その日、屋上にいる人は、家財が家の中にあっても、それを取りに戻ってはならず、野に出ている人も、後ろのものに戻ってはなりません。ロトの妻のことを思い出しなさい」と、付け加え、説明されました。
これから生じるイエス・キリストの臨在の証拠が明らかになる時、物質の所有物に関する愛着が妨げとなって、敏速な行動が取れないようであってはなりません。ロトの妻はソドムから出る途中、後に残してきた所有物を慕って後ろを振り返りました。そのためロトの妻は塩の柱になりました。
イエスは、ご自分の将来の臨在の際に見られる状況の説明も続けて、弟子たちに次のように説明されました。「その夜、二人の男が一つの寝床にいるでしょう。一方は連れて行かれ、他方は捨てられるのです。二人の女が同じ臼でひいているでしょう。一方は連れて行かれ、他方は捨てられるのです」。
連れて行かれることは、ノアと家族の計8人が箱舟に入って救われたことや、み使いたちが義にかなったロトとその家族をソドムの滅びから救い出したことに相当します。一方、捨てられることは、神エホバの裁きの日に、滅びを被ることを意味しています。
ここでイエスの弟子たちは、「主よ、どこでですか」と、尋ねました。イエスは、「死体のあるところ、そこには鷲も集まっているでしょう」と、話されました。救いのために「連れて行かれ」る者たちは、「死体」に集まるという点で、遠くまで見通せる鷲のようです。「死体」は、目に見えない様で、神の王国の権力を執って臨在される真のキリスト、及びエホバ神が備えられる霊的な宴と関係があります。(ルカ17:20~37.創世記19:28)。
WWW.JW.ORG
小さくも 爽やかなりや 丁字草 今日の一句
近くの道辺の「八重桜」