聖書の「サムエル記第一」にはエルカナは神エホバを崇拝し、毎年自分の町からシロに上ったことが記されていました。引き続きエルカナについて次のように記されています。
「エルカナは(神エホバに)犠牲を捧げたある日、妻ベニヤミンとその息子や娘たち皆に犠牲の中からそれぞれの分を(食事として)与えた。一方、ハンナには特別の分を与えた。(エルカナは)ハンナを愛していたからである。しかしエホバは彼女に子供を授けていなかった。しかも、彼女(ハンナ)と張り合うベニヤミンが彼女を傷つけようとして、エホバから子供を授かっていないことをしきりにあざけっていた。毎年、エホバの家に上っていくたびにそのようにしていた。ハンナはひどくあざけられるので、泣いて、食事をしようとしなかった。夫エルカナは言った。「ハンナ、どうして泣いているのか。なぜ食事をしないのか。そんなに悲しまないでほしい。私がいるではないか。10人の息子がいるよりいいではないか」。」(サムエル記第一1:4~8)。
上の聖句に記されている通りエルカナの2人の妻の内ハンナを愛していましたが、ハンナには子供を授かることがありませんでした。それでハンナはエルカナのもう一人の妻ベニヤミンからあざけりを受けて泣いて過ごしていました。そうしたハンナの悲しみを知った夫のエルカナはハンナに、「私がいるではないか。10人の息子がいるよりいいではないか」と、励ましを与えています。
さて、事態はどのように展開するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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