聖書にはサウル王の息子ヨナタンは、父親の意に反し、ダビデを安全に逃れさせたことが記されていました。引き続き聖書には次のように記されています。
「ダビデはノブにいる祭司アヒメレクの所に行った。アヒメレクはダビデを恐れつつ迎え、言った。「どうしてお独りなのですか。お供はいないのですか」。ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王(サウル)からある指示を受けたのですが、「おまえに与えた任務と指示について、誰にも何も話してはいけない」と言われました。私はある場所で部下たちと落ち合う約束をしています。今もしパンが5っありましたら、頂けませんか。あるいは何でもある物で構いません。祭司はダビデに言った。「普通のパンは手元にないのですが、聖なるパン(祭司が神エホバの神殿に捧げるパン)があります。部下の皆さんがしばらく女性から離れてきたならば、差し上げられます。ダビデは祭司に言った。「今までの戦いのときと同じく、私たちは女性から離れています。通常の任務の時に部下たちの体は聖なる者なのですから。このたびも当然、聖なる状態です」。そこで祭司は聖なるパンを渡した。供えのパン以外にパンがなかったからである。それは、新しいパンと取り換える日にエホバの前から取り下げられたパンだった。」(サムエル記第一21:1~6)。
上の聖句に記されている通り、ダビデは腹をすかせた状態で祭司アヒメレクの所に行き、5っのパンを所望しています。その時、祭司アヒメレクは神エホバへの聖なるパンのみしか、持っていなく、ダビデと部下たちが「聖なる者」かどうかを確認し、聖なるパンを与えています。この祭司アヒメレクのパンを与えた行動から、神エホバはお腹の空いた人に、聖なるパンであっても、与えてお腹を満たすようにすることが重要であることを教えています。この手本は、私たちは、お腹を空かしている人にはまず食べさせてあげることが重要なのです。
ダビデはどのように行動するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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