ここ数日、朝晩に寒さを感じるようになりました。庭の金木犀から芳しい香が漂ってきます。家から眺めても山々の色づきの変化には気づきませんが、ドライブをすれば心なしか街路樹が色づき始めたような気がします。
愈々秋本番を迎えつつあります。季節が進むとともに広葉の木々は、夏を惜しむかのようにそれぞれに化粧を施し、初冬の木枯らしに身を任せ、ハラハラと舞い散る様は、人の一生との重なりを思わせるかのようです。
秋は何となく人を感傷的にさせてくれるようです。落ち葉は人生の黄昏をイメージさせます。これまで木を成長させるためせっせと働き、時の経過とともに自らその役割を終わらせ、そして散っていくのです。しかし、舞い降りた落ち葉は、小動物や微生物で分解され、大地に還元され栄養分として吸収され、木々を成長させます。
落ち葉でさえ、大自然において大きな役割を果たしています。それに比べて、我々人間は何の役割を果たしているのでしょうか。いや、むしろ大自然に対して害悪とはなっていないだろうか。大自然にとって不要のもの、悪さをするものに対しては、必ずや最悪の審判が下ることを覚悟すべきか?
<2015/11/24 追記>
「落ち葉さえ朽ちて大地の糧となる」が良かったかな?
「落ち葉でも」って語感が良くないですね。
愈々秋本番を迎えつつあります。季節が進むとともに広葉の木々は、夏を惜しむかのようにそれぞれに化粧を施し、初冬の木枯らしに身を任せ、ハラハラと舞い散る様は、人の一生との重なりを思わせるかのようです。
秋は何となく人を感傷的にさせてくれるようです。落ち葉は人生の黄昏をイメージさせます。これまで木を成長させるためせっせと働き、時の経過とともに自らその役割を終わらせ、そして散っていくのです。しかし、舞い降りた落ち葉は、小動物や微生物で分解され、大地に還元され栄養分として吸収され、木々を成長させます。
落ち葉でさえ、大自然において大きな役割を果たしています。それに比べて、我々人間は何の役割を果たしているのでしょうか。いや、むしろ大自然に対して害悪とはなっていないだろうか。大自然にとって不要のもの、悪さをするものに対しては、必ずや最悪の審判が下ることを覚悟すべきか?
<2015/11/24 追記>
「落ち葉さえ朽ちて大地の糧となる」が良かったかな?
「落ち葉でも」って語感が良くないですね。