台風の影響が収まって、『パヴァロッティ 太陽のテノール』、を観に岡山イオンシネマへ。
(写真は全てwebからお借りしました&以下敬称略)
この映画、ちょっと気になってて観に行ったんだけど、ほんと「ちょっと」気になってたんだけど、、、
行ってよかったわーーーてかめちゃめちゃ良かったわーーー
イオンシネマには「ULTIRA」という映像も音響も他のスクリーンより上なスクリーンがあって、それで観れれば良かったんだけど、そこでの上映は9時台しかなく、普通のスクリーンでの鑑賞。
でもね、でもね、普通の映像と音でもね、もう十分に素晴らしいーーーー
まぁ、映画はドキュメンタリーで普通っちゃあ普通だったのかもなのに、何でこんなに良かったんだろうと不思議。
そして思うに、それはもう、パヴァロッティという人の魅力、これにつきると思う
映画を観て感じたのは、「テノール歌手パヴァロッティ」じゃなくて「人間パヴァロッティ」だった。このブログを書くにあたって公式サイトを見たけど、「貴重な映像から伝わるのは、歌唱力より高い人間力。」とあった。
そう、まさにその通りだった
パヴァロッティの魅力により、映画を観てる最中もクスッと笑えたり、ニヤニヤが止まらなかったりした。そして観終わったあとは、彼がもうこの世にいない事の悲しさで一杯になった
今までは「3大テノールの一人」というだけの認識だったんだけど、もうすっかりパヴァロッティの大ファン、彼の魅力の虜になってしまった。まぁ、まんまと映画の策略にハマっただけかもしれないが。
それでも、こんなに幸福で素晴らしい時間を与えてくれた、この映画に大感謝している。
もうね、「何なんですかね、あのチャーミングな人はっ」という感じでございます。
出来れば私はDVDなりBRなりが出たら買いたいわ。映画もあと何回かは観たいけど、上映期間が超短いときてる汗今後もいつかミニシアターででも上映される事を祈る。
以下ネタバレになるけど。
まず最初から笑ったのがパヴァロッティの父母のやりとり。
パヴァロッティの父は教会で歌うテノール歌手で、パヴァロッティも子供の頃に父に付いて一緒に歌ってたそう。
そしてそんなパヴァロッティ少年の歌声を彼の母は、「心に響く」と言う。その事に対して父が「家族だからじゃないかね?」と言うと、母はこう切り返す、「だってあなたの歌声は心に響かないもの」と。笑う所じゃないかもだけど、お父さん「グサッ」だよねw
で、パヴァロッティはその後小学校の先生になるが、歌も続けてたんだろうね。そんなパヴァロッティに父は都会で先生をやっていく事を勧める。父は自分の経験から歌手だけで食べていくのはとても困難だと知ってたから、こうアドバイスしたよう。
でも母はパヴァロッティの気持ちのまま自由にさせてくれて、結局パヴァロッティは歌手へと進む。
私はパヴァロッティは順風満帆に有名になったのかと思ってたけど、全く違うんだね。
1961年、レッジョ・エミリア国際コンクールで優勝した年に最初の結婚をしたけど、凄い貧乏生活だったと言ってた。
小さいアパートでトイレは共同だったと。奥さんが稼ぎ柱で生活を支えたみたいだけど、それでもいつもお金がなくて、どっちのか分かんないけど父にお金を借りての生活、少しだけ入るパヴァロッティの収入はその父への借金返済で消えたと。
こんな下積み時代を経て、成功を得るまでが意外にゆっくりだったんだーと知った。
そして映画の中では色んな人がパヴァロッティについて語ってて、私も「へー」と始めて知る事が多かった。
中でも「人間の声はソプラノとバリトンが普通。なのでテノールは作られた音。それをいかに自然な声に感じさせるかが技量」という部分。テノール歌手のヴィットリオ・グリゴーロさんは、「皆簡単だとか言うけど、テノールを歌う事に対してどれほど努力している事か」と言っていた。
又パヴァロッティはあるテレビ番組で、どうやって歌い方の基本を学んだかと訊かれて、「彼女(先生か?)が歌う時に体に触るんですよ」と答えた。これに会場に笑いが起こったが(私もジョークと思った。またこのイタリア男がぁ、みたいな)、実は真面目な話で、触って横隔膜の動きを確認すると言っていた。そしたらとっても良く分かるんだって。
あと、パヴァロッティは前妻との間に娘さんが3人いるけど、そのうちの一人ジュリアーナが難病になった時には、すべてのコンサートもオペラもキャンセルして、彼女の治療に付き添った。この時仕事をキャンセルした事により、パヴァロッティに対し心無い非難があったようだが、何と娘さんはその後病に打ち勝ち回復したんだって。良かったねー
でも、その心無い非難って、何?世知辛すぎる
で、私はパヴァロッティは普通に実力があったから、こんなに有名になったんだと思ってたけど、マネージャーによるところもあったんだと知った。
その名はハーバート・ブレスリン。彼は「オペラ業界では一番の嫌われ者」と評される辣腕マネージャー。彼が、それまで劇でしか歌った事のないパバロッティを、衣装も何もない歌のみによるリサイタルへと導き、アメリカ進出の後押しをした。
たった一人で歌うのは、パヴァロッティも色々と不安だったりとまどったりしたんだろう。このマネージャーに「左手はどうしたらいい?」と訊いたらしい。ブレスリンは「ハンカチでも持っておけば?」と答えて、パヴァロッティは受け入れ、のちもそうする様になったというのも「へー」だった。きっかけ、それか?みたいな。
その後はティボー・ルダスという興行主によって、パヴァロッティは世界のスーパースターへと駆け上がった。
ホセ・カレーラスが病気になった時には、お見舞いに行って(だったと思う。記憶曖昧)「早く良くなってくれよ。ライバルがいなくて困るよ」なんて言ったり。優しいなぁ。
カレーラスの回復をきっかけに、あの「3大テノール 世界の競演」が行われた事も初耳だった。
↑がその映像だが、3人とも、指揮者のズービン・メータも、とっても楽しそうだった。もちろん観ている私も超ハッピーな気持ちになった
映画ではダイアナ妃との親交も描かれてた。ダイアナ妃も来ていた、とある野外コンサートの事。あいにくの雨で傘をさしてる人が大勢いた。すると当然後ろの方は傘で前が見えなくて大ブーイング。その時マネージャーがマイクを取って「どうぞ傘をたたんで、この雨も楽しんで下さい」と言った。そしてその時、一番に傘をたたんだのがダイアナ妃で、それに続いて皆も傘をたたんでいったとか。ダイアナさんも素敵だなぁ。
当時パヴァロッティは世界の大スターになり、どんな無理難題でも通る状況で、自分でもどうしていいか分からず迷走してたらしい。しかしダイアナ妃の影響を受けてチャリティ活動に目覚め、一生懸命活動をし始める。そんな事、全然知らなかったわぁ。やっぱパヴァロッティいい人だなぁ。
チャリティ活動ではロックバンドの「U2」のボノとの親交も深めたみたい。そしてチャリティーコンサートでこういう異業種なロックバンドやポップスアーティストと一緒に歌ったりした事も、「オペラを貶めた」ってすごく世間のバッシングに会ったらしい。いーじゃんね、別に心が狭いなー。
あと誰だったか忘れたけど妻と娘(だったような。妻だけだったかも。記憶曖昧)を連れてコンサート後(だったような。記憶曖昧)のパヴァロッティの控室に行った時の事。パヴァロッティは連れて行った2人を残して他の人は部屋から出ていくように言った。そしてしばらくして出てきた妻が泣いていたので理由を尋ねると、パヴァロッティが2人のためにアリアを歌ってくれたと。このエピソードを語った方は、パヴァロッティはそのようにサービス精神が旺盛だったと言ってた。パヴァロッティほんまええ人やなぁ。
他にもカレーラスや愛人などからの、た~くさんの面白い話や「へー」なエピソードが満載だったけど、私がより強く印象に残ってるのは2つ。
1つはある質問に答えるパヴァロッティ。
その質問は「100年後に人々の心に残りたいか」というもの。パヴァロッティは「そうなったらいいね。批判もあったけど。レパートリーは広いけど現代ものには慎重で手を出さなかった。人々にオペラを届けた男という感じで残ってたらいいね(うろ覚えだが、こんな感じの内容だった)」と言ったんだけど、その時の顔が、あの人懐っこい顔じゃなくて、ひどく憂いを帯びた顔だったんだよね。この場面がわりと始めの方に出てきたので、「え?批判?」と疑問だったんだけど、娘さんの時のキャンセルや、ロック歌手などとのコンサートに対するものだったのかな。パヴァロッティのこの時の顔が何だか心に強く残った。。
2つ目は、パヴァロッティが晩年に病に倒れてからの事。
現在の奥さんのとの間に娘さん(アリス)がいるんだけど、その娘さんがまだ4歳なので、奥さんがパヴァロッティに「アリスに何か(手紙だったかも)書いて残して」と頼んだんだよね。そしたらパヴァロッティ、どう言ったと思う?答えは「書かない」だったんだけど、その理由が、なんか胸にくるんですよ。「文字で書いて残すと彼女がそれに縛られるから。彼女には自由でいて欲しい」ですってえーん 私が奥さんでも同じ事思うだろうし、逆に言われたら、いや言われなくても一生懸命何か書くわ。もちろん「書く」事が果たしていいのか悪いのかなんて誰にも分からない。いい場合もあるだろうし、もしかしたら良くなかった場合もあるだろう。だけど、私は何も考えずに「当然書く」派だったので、パヴァロッティの答えに「こういう考え方もあるんだ」と、目からウロコだった。
こういう思いやり、じーんときますね・・・
長々と書いてしまったが、この感動はもちろんパヴァロッティの魅力もさることながら、現在の最先端の録音技術を駆使して天才の歌声を再現した製作陣にもよるよね。
素晴らしい映画を作ってくれて本当にありがとーーです。
でも、まぁ、マイナーなカテゴリーなんだろね。私含めて3人しか観てなかった。まぁ、月曜だったってのもあるけどね。
とにかく「人間パヴァロッティ」に惚れたわ。
(写真は全てwebからお借りしました&以下敬称略)
この映画、ちょっと気になってて観に行ったんだけど、ほんと「ちょっと」気になってたんだけど、、、
行ってよかったわーーーてかめちゃめちゃ良かったわーーー
イオンシネマには「ULTIRA」という映像も音響も他のスクリーンより上なスクリーンがあって、それで観れれば良かったんだけど、そこでの上映は9時台しかなく、普通のスクリーンでの鑑賞。
でもね、でもね、普通の映像と音でもね、もう十分に素晴らしいーーーー
まぁ、映画はドキュメンタリーで普通っちゃあ普通だったのかもなのに、何でこんなに良かったんだろうと不思議。
そして思うに、それはもう、パヴァロッティという人の魅力、これにつきると思う
映画を観て感じたのは、「テノール歌手パヴァロッティ」じゃなくて「人間パヴァロッティ」だった。このブログを書くにあたって公式サイトを見たけど、「貴重な映像から伝わるのは、歌唱力より高い人間力。」とあった。
そう、まさにその通りだった
パヴァロッティの魅力により、映画を観てる最中もクスッと笑えたり、ニヤニヤが止まらなかったりした。そして観終わったあとは、彼がもうこの世にいない事の悲しさで一杯になった
今までは「3大テノールの一人」というだけの認識だったんだけど、もうすっかりパヴァロッティの大ファン、彼の魅力の虜になってしまった。まぁ、まんまと映画の策略にハマっただけかもしれないが。
それでも、こんなに幸福で素晴らしい時間を与えてくれた、この映画に大感謝している。
もうね、「何なんですかね、あのチャーミングな人はっ」という感じでございます。
出来れば私はDVDなりBRなりが出たら買いたいわ。映画もあと何回かは観たいけど、上映期間が超短いときてる汗今後もいつかミニシアターででも上映される事を祈る。
以下ネタバレになるけど。
まず最初から笑ったのがパヴァロッティの父母のやりとり。
パヴァロッティの父は教会で歌うテノール歌手で、パヴァロッティも子供の頃に父に付いて一緒に歌ってたそう。
そしてそんなパヴァロッティ少年の歌声を彼の母は、「心に響く」と言う。その事に対して父が「家族だからじゃないかね?」と言うと、母はこう切り返す、「だってあなたの歌声は心に響かないもの」と。笑う所じゃないかもだけど、お父さん「グサッ」だよねw
で、パヴァロッティはその後小学校の先生になるが、歌も続けてたんだろうね。そんなパヴァロッティに父は都会で先生をやっていく事を勧める。父は自分の経験から歌手だけで食べていくのはとても困難だと知ってたから、こうアドバイスしたよう。
でも母はパヴァロッティの気持ちのまま自由にさせてくれて、結局パヴァロッティは歌手へと進む。
私はパヴァロッティは順風満帆に有名になったのかと思ってたけど、全く違うんだね。
1961年、レッジョ・エミリア国際コンクールで優勝した年に最初の結婚をしたけど、凄い貧乏生活だったと言ってた。
小さいアパートでトイレは共同だったと。奥さんが稼ぎ柱で生活を支えたみたいだけど、それでもいつもお金がなくて、どっちのか分かんないけど父にお金を借りての生活、少しだけ入るパヴァロッティの収入はその父への借金返済で消えたと。
こんな下積み時代を経て、成功を得るまでが意外にゆっくりだったんだーと知った。
そして映画の中では色んな人がパヴァロッティについて語ってて、私も「へー」と始めて知る事が多かった。
中でも「人間の声はソプラノとバリトンが普通。なのでテノールは作られた音。それをいかに自然な声に感じさせるかが技量」という部分。テノール歌手のヴィットリオ・グリゴーロさんは、「皆簡単だとか言うけど、テノールを歌う事に対してどれほど努力している事か」と言っていた。
又パヴァロッティはあるテレビ番組で、どうやって歌い方の基本を学んだかと訊かれて、「彼女(先生か?)が歌う時に体に触るんですよ」と答えた。これに会場に笑いが起こったが(私もジョークと思った。またこのイタリア男がぁ、みたいな)、実は真面目な話で、触って横隔膜の動きを確認すると言っていた。そしたらとっても良く分かるんだって。
あと、パヴァロッティは前妻との間に娘さんが3人いるけど、そのうちの一人ジュリアーナが難病になった時には、すべてのコンサートもオペラもキャンセルして、彼女の治療に付き添った。この時仕事をキャンセルした事により、パヴァロッティに対し心無い非難があったようだが、何と娘さんはその後病に打ち勝ち回復したんだって。良かったねー
でも、その心無い非難って、何?世知辛すぎる
で、私はパヴァロッティは普通に実力があったから、こんなに有名になったんだと思ってたけど、マネージャーによるところもあったんだと知った。
その名はハーバート・ブレスリン。彼は「オペラ業界では一番の嫌われ者」と評される辣腕マネージャー。彼が、それまで劇でしか歌った事のないパバロッティを、衣装も何もない歌のみによるリサイタルへと導き、アメリカ進出の後押しをした。
たった一人で歌うのは、パヴァロッティも色々と不安だったりとまどったりしたんだろう。このマネージャーに「左手はどうしたらいい?」と訊いたらしい。ブレスリンは「ハンカチでも持っておけば?」と答えて、パヴァロッティは受け入れ、のちもそうする様になったというのも「へー」だった。きっかけ、それか?みたいな。
その後はティボー・ルダスという興行主によって、パヴァロッティは世界のスーパースターへと駆け上がった。
ホセ・カレーラスが病気になった時には、お見舞いに行って(だったと思う。記憶曖昧)「早く良くなってくれよ。ライバルがいなくて困るよ」なんて言ったり。優しいなぁ。
カレーラスの回復をきっかけに、あの「3大テノール 世界の競演」が行われた事も初耳だった。
↑がその映像だが、3人とも、指揮者のズービン・メータも、とっても楽しそうだった。もちろん観ている私も超ハッピーな気持ちになった
映画ではダイアナ妃との親交も描かれてた。ダイアナ妃も来ていた、とある野外コンサートの事。あいにくの雨で傘をさしてる人が大勢いた。すると当然後ろの方は傘で前が見えなくて大ブーイング。その時マネージャーがマイクを取って「どうぞ傘をたたんで、この雨も楽しんで下さい」と言った。そしてその時、一番に傘をたたんだのがダイアナ妃で、それに続いて皆も傘をたたんでいったとか。ダイアナさんも素敵だなぁ。
当時パヴァロッティは世界の大スターになり、どんな無理難題でも通る状況で、自分でもどうしていいか分からず迷走してたらしい。しかしダイアナ妃の影響を受けてチャリティ活動に目覚め、一生懸命活動をし始める。そんな事、全然知らなかったわぁ。やっぱパヴァロッティいい人だなぁ。
チャリティ活動ではロックバンドの「U2」のボノとの親交も深めたみたい。そしてチャリティーコンサートでこういう異業種なロックバンドやポップスアーティストと一緒に歌ったりした事も、「オペラを貶めた」ってすごく世間のバッシングに会ったらしい。いーじゃんね、別に心が狭いなー。
あと誰だったか忘れたけど妻と娘(だったような。妻だけだったかも。記憶曖昧)を連れてコンサート後(だったような。記憶曖昧)のパヴァロッティの控室に行った時の事。パヴァロッティは連れて行った2人を残して他の人は部屋から出ていくように言った。そしてしばらくして出てきた妻が泣いていたので理由を尋ねると、パヴァロッティが2人のためにアリアを歌ってくれたと。このエピソードを語った方は、パヴァロッティはそのようにサービス精神が旺盛だったと言ってた。パヴァロッティほんまええ人やなぁ。
他にもカレーラスや愛人などからの、た~くさんの面白い話や「へー」なエピソードが満載だったけど、私がより強く印象に残ってるのは2つ。
1つはある質問に答えるパヴァロッティ。
その質問は「100年後に人々の心に残りたいか」というもの。パヴァロッティは「そうなったらいいね。批判もあったけど。レパートリーは広いけど現代ものには慎重で手を出さなかった。人々にオペラを届けた男という感じで残ってたらいいね(うろ覚えだが、こんな感じの内容だった)」と言ったんだけど、その時の顔が、あの人懐っこい顔じゃなくて、ひどく憂いを帯びた顔だったんだよね。この場面がわりと始めの方に出てきたので、「え?批判?」と疑問だったんだけど、娘さんの時のキャンセルや、ロック歌手などとのコンサートに対するものだったのかな。パヴァロッティのこの時の顔が何だか心に強く残った。。
2つ目は、パヴァロッティが晩年に病に倒れてからの事。
現在の奥さんのとの間に娘さん(アリス)がいるんだけど、その娘さんがまだ4歳なので、奥さんがパヴァロッティに「アリスに何か(手紙だったかも)書いて残して」と頼んだんだよね。そしたらパヴァロッティ、どう言ったと思う?答えは「書かない」だったんだけど、その理由が、なんか胸にくるんですよ。「文字で書いて残すと彼女がそれに縛られるから。彼女には自由でいて欲しい」ですってえーん 私が奥さんでも同じ事思うだろうし、逆に言われたら、いや言われなくても一生懸命何か書くわ。もちろん「書く」事が果たしていいのか悪いのかなんて誰にも分からない。いい場合もあるだろうし、もしかしたら良くなかった場合もあるだろう。だけど、私は何も考えずに「当然書く」派だったので、パヴァロッティの答えに「こういう考え方もあるんだ」と、目からウロコだった。
こういう思いやり、じーんときますね・・・
長々と書いてしまったが、この感動はもちろんパヴァロッティの魅力もさることながら、現在の最先端の録音技術を駆使して天才の歌声を再現した製作陣にもよるよね。
素晴らしい映画を作ってくれて本当にありがとーーです。
でも、まぁ、マイナーなカテゴリーなんだろね。私含めて3人しか観てなかった。まぁ、月曜だったってのもあるけどね。
とにかく「人間パヴァロッティ」に惚れたわ。
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