連れ合いとの気ままな写真日記
第22回土門拳文化賞奨励賞受賞 m
第26回土門拳文化賞奨励賞受賞」Y
これが何かお分りだろうか?
オオバギボウシの葉と花(実)の
枯れた姿なのです。
この葉は「ウルイ」とも言い、
春には若芽を採ってオシタシなどにも
する。
それが秋にはこのような姿になるとは
ちょっと驚きでした。
Y
昨日今日と雨模様。
こういう日は4時を過ぎると
次第に明るさが薄れ、
同時に色彩もなくなって
どんよりとした暗さの中に
飲み込まれていく。
これは晴れた日の田舎の夕暮。
同じ晴れでも空の姿は毎日違う。
一枚目は10日ほど前、
二枚目は先週木曜日、
三枚目は二枚目を撮った20分ぐらい後のもの。
今度行ったときはどんな空に出会えるだろうか・・
Y
わからないかもしれませんが・・
私にはなんとなくわかります。
ここへ衝突したのです・・
小鳥の形がうっすらと残って
光の中に浮かびあがりました。
身近でたびたび遭遇する
小さな生き物の死・・
昔、この中部地方は渡り鳥で
空が真っ黒になるほどだったと
聞きました。山の尾根の低いところから
わぁぁと渡ってきたそうです。
そのころは自然が生き生きと
していたのですね。想像するだけで
凄い光景です。
m
田舎へ帰ったら鳥が死んでいました。
たぶん何か大きな鳥に追われたのだと
想像します。菊と夕日とで
小さな小さなお弔いをしてあげました・・
そういえば去年はオオルリが
犠牲になっていました。
その美しい青紫色の羽を持った
小さな体が硬直していました。
この鳥は何という名前の鳥か
よくわからないのですが・・
腹の白さが目立って美しかったです。
m
これは一週間ほど前の家の前の画像。
この辺りではめったに霧は出ないが、
前夜の雨が上がって、晴れてくる前、
周りが霧に包まれていた。
今日は朝から冷たい雨。
いつの間にかすっかり晩秋の気配となったが、
この雨でまた季節が進むだろう。
Y
忘れ咲きではなくって
咲き残りの花です。
杜若・・咲き終わったものを
下から刈り取ると新しく
蕾をつけます。そうやって
初夏から時節を持ちこして
ずっと咲き続けています。
シュウメイギクの花の散った後が
ユニークです。この後どうなるのか
記憶にないと思ったら・・
なんとYが根元から切っていると言います。
どおりで記憶がないはずです。
一番下は本当の残り咲きの
シュウメイギクです。
秋・・最後の花かもしれません。
m
mが書いていたように、
我が家の裏山にある柿の木が
今年は大量の実をつけた。
平種無しという品種の渋柿だが、
植えてから10年以上たつのに
去年でも70個、その前はせいぜい
数十個の実しかつけなかった。
ひどい年には3個など言うこともあった。
それが今年は鈴なり,採っても採っても
まだ実がたくさんついている。
恐らく400個以上実ったのだろう。
二階の東と南の三面の窓に干し、
カーポートに干場を作ったが、
まだ十分に70個以上木に着いたままだ。
熟れて熟柿になりかけたものは、
柿酢の材料にした。あとは鳥の餌か・・・?
Y
柿の色は本当にいい秋の色です。
ところが、今年は豊作のところと
不作のところがあるみたいですね。
我が家の渋柿は近年にない
豊作で採っても採ってもきりがありません。
したがって干し柿ように剥いていますが・・
これが沢山ありすぎて、結構大変です。
この柿・・干し柿にするのに
水分が多く、黴がきたりこ蠅がきたりで
なかなか上手くできないのですが
できあがるととても柔らかく
甘く上品な高級干し柿になるのです。
空家に柿が沢山なっていました。
食べる人のいない柿です。
寂しいですね。でも採るわけには
いきません。撮るだけです。
m
稲刈りがやっと終わって
案山子さんの出番は
すっかり色褪せましたが
一体だけ取り残されていました。
服が汚れていないところを見ると
これは柿を守るために
最近立てられたものかもしれません。
頭部だけは集められて小屋へ・・
美人なのが物悲しいですね。
毎年行われるアジアの映画祭に行って
「鳥の道を超えて」という記録映画を
観に行ってきて・・映画はカスミ網猟が
岐阜地方や福井県の伝統的な文化の一つである
というもので面白かったのですが・・
胃腸風邪を拾ってきてしまいました。
やれやれ、まだ少しおかしい体調です。
m
収穫の終わった田んぼの隅に
一体の案山子が立っていた。
その近くには地面に横たわった案山子。
遠くから見ていると、多分この田と案山子の
持ち主らしい人が出てきて、
二体の案山子を抱えて歩き出した。
その様子を撮らせてもらっていると、
家には象が居るので見ていきなと言われた。
イヌツゲで仕立てた象だった。
作り方を聞いたが、随分手間暇をかけて
作られたものだった。
Y