2年生のRちゃはいつものように
「こんにちは」と言ってお部屋に入って来ました。
他の子のように「あけましておめでとうございます」の挨拶が無かったので
私の方からしました。
でも、Rちゃんはそれには答えず、困ったような顔をしました。
「これは訳ありだな」と思いました。
未だ、前の生徒さんのレッスン中だったので、そこはそのままスルーしておきました。
二人っきりになったらRちゃんは直ぐにこう言いました。
「年賀状出しちゃった」
そう、Rちゃんからは元旦にとっても可愛い年賀状が届いてます。
「出しちゃった」という言い方は
「出してはいけなかった」という事です。
さっきの困った顔(おめでとうと言えなかったから)
年賀状を出しては行けなかった
もうこれしかないですよね。
「Rちゃん、もしかして誰か死んじゃったの?」と聞きました。
Rちゃんは「うん、川口のおじいちゃん」と言いました。
川口のおじいちゃん・・・そうだったんですか・・・
川口のおじいちゃんとおばあちゃんのお話しはよく聞いてましたので
なんだかお会いしたことがあるような気がしてました。
未だ65歳という若さ、突然のことだったようです。
心からお悔み申し上げます。
Rちゃんは「その日」の事、そして年が明けてからの葬儀の事を
一生懸命話してくれました。
その「大きな目」に涙を一杯浮かべながら・・・
Rちゃんの話は大変判り易かったです。
それを聞きながら
年中さんで、あんな小さかった子がこんなにも、「きちんと」話せるようになったこと
その場にいなかった人間にその状況を判り易く「説明出来る」ようになったことに
別の意味で感動を覚えました。
Rちゃんの次のレッスンは1歳上のお姉ちゃんですが
お姉ちゃんは、そのことに全く触れなかったです。
良い・悪いでは無く。お姉ちゃんはそうゆうタイプのお子さんなんです。
お姉ちゃんは実に「感性」の豊かな子で
ピアノの演奏も独特の世界を持ってます。
そうゆうお子さんですので、多分、私に話したい、と思う内容も
彼女ならではの物があるように感じてます。
ですから諸々の情報は、いつも妹さんの方からのものです。
同じ姉妹でも全く違う、というのは判り切ってる事ですが
同じ両親を持っていて、同じ環境で育って、なぜにこうも違うのか
何十年たっても不思議ですし、そこに「神秘的」なものを感じます。
兄弟でこれだけ違うのですから、生徒さんが全員違うは当然の事ですし
その「違う」一人一人に「違う」対応をするのも当然の事だと思ってます。
「変化」を見逃さないこと。
毎週会ってれば、それも何年もあってれば割と自然に判ってくるような気がします。
「観察している」というと、なんだか「実験台」にしているみたいですので
「見つめている」という言い方が一番いいような気がします。
そういつもいつも皆の事を「みつめています」
多分、みんなは私の事を「みつめている」と思います(笑)
お稽古ごとの先生には、そういった意味では可なり共通してる部分があると思います。
ある男の子のお母様が言ってらっしゃいました。
その子が、ちょっと精神的に不安定な状態になったことがありました。
その時
「大丈夫ですか?ちょっと変ですよ」
とお母様に声をかけたのが、私と、お習字の先生だったそうです。
学校の先生は意外と気づかないかもしれません。
ご近所やお友達は、もし、気づいても中々言えないかもしれません。
私達、お稽古ごとの先生は「言いやすい」立場にいると思います。
ならば、気づいた事があったら、直ぐにお伝えしたいと思ってます。
話はそれてしまいましたが・・・
Rちゃんのお家には11月に4人目の赤ちゃんが産まれてます。
女の子三人の後の待望の男の子です。
おじいちゃんが、自分の代わりにこの世に残して下さった
大切な大切な「宝物」だと思います。
沢山のお孫さんに見守られ「旅立たれた」おじいちゃんは
本当にお幸せでしたね。
「おばあちゃん一人になっちゃうんだ」とRちゃんはとても心配してました。
なんて心の優しい子なんだろう、と思いました。
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「こんにちは」と言ってお部屋に入って来ました。
他の子のように「あけましておめでとうございます」の挨拶が無かったので
私の方からしました。
でも、Rちゃんはそれには答えず、困ったような顔をしました。
「これは訳ありだな」と思いました。
未だ、前の生徒さんのレッスン中だったので、そこはそのままスルーしておきました。
二人っきりになったらRちゃんは直ぐにこう言いました。
「年賀状出しちゃった」
そう、Rちゃんからは元旦にとっても可愛い年賀状が届いてます。
「出しちゃった」という言い方は
「出してはいけなかった」という事です。
さっきの困った顔(おめでとうと言えなかったから)
年賀状を出しては行けなかった
もうこれしかないですよね。
「Rちゃん、もしかして誰か死んじゃったの?」と聞きました。
Rちゃんは「うん、川口のおじいちゃん」と言いました。
川口のおじいちゃん・・・そうだったんですか・・・
川口のおじいちゃんとおばあちゃんのお話しはよく聞いてましたので
なんだかお会いしたことがあるような気がしてました。
未だ65歳という若さ、突然のことだったようです。
心からお悔み申し上げます。
Rちゃんは「その日」の事、そして年が明けてからの葬儀の事を
一生懸命話してくれました。
その「大きな目」に涙を一杯浮かべながら・・・
Rちゃんの話は大変判り易かったです。
それを聞きながら
年中さんで、あんな小さかった子がこんなにも、「きちんと」話せるようになったこと
その場にいなかった人間にその状況を判り易く「説明出来る」ようになったことに
別の意味で感動を覚えました。
Rちゃんの次のレッスンは1歳上のお姉ちゃんですが
お姉ちゃんは、そのことに全く触れなかったです。
良い・悪いでは無く。お姉ちゃんはそうゆうタイプのお子さんなんです。
お姉ちゃんは実に「感性」の豊かな子で
ピアノの演奏も独特の世界を持ってます。
そうゆうお子さんですので、多分、私に話したい、と思う内容も
彼女ならではの物があるように感じてます。
ですから諸々の情報は、いつも妹さんの方からのものです。
同じ姉妹でも全く違う、というのは判り切ってる事ですが
同じ両親を持っていて、同じ環境で育って、なぜにこうも違うのか
何十年たっても不思議ですし、そこに「神秘的」なものを感じます。
兄弟でこれだけ違うのですから、生徒さんが全員違うは当然の事ですし
その「違う」一人一人に「違う」対応をするのも当然の事だと思ってます。
「変化」を見逃さないこと。
毎週会ってれば、それも何年もあってれば割と自然に判ってくるような気がします。
「観察している」というと、なんだか「実験台」にしているみたいですので
「見つめている」という言い方が一番いいような気がします。
そういつもいつも皆の事を「みつめています」
多分、みんなは私の事を「みつめている」と思います(笑)
お稽古ごとの先生には、そういった意味では可なり共通してる部分があると思います。
ある男の子のお母様が言ってらっしゃいました。
その子が、ちょっと精神的に不安定な状態になったことがありました。
その時
「大丈夫ですか?ちょっと変ですよ」
とお母様に声をかけたのが、私と、お習字の先生だったそうです。
学校の先生は意外と気づかないかもしれません。
ご近所やお友達は、もし、気づいても中々言えないかもしれません。
私達、お稽古ごとの先生は「言いやすい」立場にいると思います。
ならば、気づいた事があったら、直ぐにお伝えしたいと思ってます。
話はそれてしまいましたが・・・
Rちゃんのお家には11月に4人目の赤ちゃんが産まれてます。
女の子三人の後の待望の男の子です。
おじいちゃんが、自分の代わりにこの世に残して下さった
大切な大切な「宝物」だと思います。
沢山のお孫さんに見守られ「旅立たれた」おじいちゃんは
本当にお幸せでしたね。
「おばあちゃん一人になっちゃうんだ」とRちゃんはとても心配してました。
なんて心の優しい子なんだろう、と思いました。
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