◇本丸跡
金沢城には現在天守閣(本丸)は無くどこかさみ
しいが、歴史を探ると慶長7(1602)年、落雷により
天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸
には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災、また宝暦9(1759)年の火災
では、城のほとんどを焼失し、その後の再建では、
実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行わ
れ、本丸の櫓は再建されませんでした。
◇白鳥路
金沢城の白鳥堀は、石川門脇から新丸の尾坂門(お
さかもん)にかけての堀がそうでした。白鳥堀は江
戸城でも見られ、堀の名前は、敵の進入を察知す
るために、堀に水鳥を放したことによるといわれ
ています。金沢城の場合、寛文の頃に白鳥を放し
たと文献が残っています。この堀は、明治時代末
期に埋め立てられてしまい、現在は、市民の憩い
と散策の道、白鳥路となっています。
次は兼六園です。
■写真は白鳥路の金沢三文豪の像