金沢の観光スポット体験レポート その71(No.167)
◇前田家野田山墓地体験レポート(その2完)
前田家の墓はいずれも土を高く盛り上げた土饅頭(どま
んじゅう)形式で、特に藩主とその正室の墓は四角形の土
檀(どだん)を階段状に重ねた特徴的な外観をしており、
一見すると古墳時代の方墳によく似たものとなっている。
墓の周囲には溝を廻らせて外界と墓域を区画しており、大
きさも、利家墓で一辺約19メートル、他の藩主墓でも一辺
約16メートルと、他藩では類を見ない大規模なものとなっ
ている。
■写真は三代藩主利常(としつね)の墓
現在、野田山・加賀藩主前田家墓所の面積は約8.6ヘクタ
ール。墓域内には約80基の墓が建てられ。藩祖前田利家の
墓は前田家墓所内の最も標高の高い一角に築かれて、その
すぐ横には利家の正室・まつの墓が、さらにその横には利
家とまつの長男で加賀藩前田家2代利長の墓が位置してい
る。
■写真は四代藩主光高(みつたか)の墓
代々の加賀藩主の多くは野田山の前田家墓所に葬られま
した。4代藩主光高と9代藩主重靖(しげのぶ)は金沢市内
の天徳院に葬られましたが、昭和20年代に天徳院から野田
山へと改葬され、現在、全ての加賀藩主の墓を野田山の前
田家墓所でみることができます。(14代まで)
■写真は六代藩主吉徳(よしのり)の墓
お盆やお彼岸の時期になると、野田山墓地には多くの墓
参の人びとが訪れ、木枠に紙を貼ったキリコと呼ばれる灯
籠を墓前に捧げます。このキリコを吊す風習は金沢独自の
もので、正面には「南無阿弥陀仏」と六字名号(ろくじみ
ょうごう)が書かれており、側面には、「献上」または
「献灯」に続いて墓参した人物の名前を書き入れることに
なっています。
■写真は十三代藩主斉泰(なりやす)の墓
●桃雲寺(とううんじ)
1600年(慶長5年)加賀初代藩主前田利家墓守の寺として
建立され、はじめは野田宝円寺と号したが、のち前田利家
の戒名を取り高徳山桃雲寺と改称した。1615年(元和元年)
焼失し、芳春院により再建されたが、1869年(明治2年)再
び焼失し、現在では規模の小さいものになっている。
■写真は桃雲寺