金沢の観光スポットレポート その720(No.1082)
◇兼六園 こばなし(翠滝、海石塔)
■写真は瓢池
■写真は翠滝と海石塔
○翠滝
霞ヶ池から流れ出て瓢池に注ぎ込む、園内最大の滝です。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を楽しませてくれます。その荘厳さと迫力は他庭にはないスケールで、兼六園の中でも特に優れた庭景の一つです。別名「紅葉滝」とも呼ばれています。
第11代藩主治脩(はるなが)が安永3年(1774)に宝暦の大火で焼失した夕顔亭復興と翠滝を設置したもので、滝の音にこだわり、滝壺がなく滝の上部などに工夫がされている。
■写真は翠滝の上部
滝の上部は中心部が滝流が速いため長く、両端が短くなっており先端部分がギザギザとなっている。(写真参照)
■写真は滝壺のない翠滝
兼六園の中で一番歴史のある夕顔亭
■写真は夕顔亭
○瓢池海石塔と奥野八幡神社七重塔
□瓢池海石塔
瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられています。3代藩主・利常(としつね)がつくらせ、金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説と、朝鮮出兵の際、加藤清正(かとうきよまさ)が持ち帰ったものを、のちに豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、前田利家(まえだとしいえ)に贈ったという説があります。
また、利常が小松城内に設置した一対の一つを兼六園に、一つは奥野八幡神社にという説もあるが、定かでない。
■写真は兼六園海石塔
撮影日:2017.8.5-12
□奥野八幡神社「七重塔」(能美市寺井)
境内に建立されている七重塔について、下記のような石碑、説明分がある。
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役1592~1595)の際に前田のなにがしが持ち帰った。また加藤清正が持ち帰り前田家に贈呈したものとの両説があり、当初は二基対をなしていたとされ、1基は兼六園瓢池の「海石塔」であると言われている。
前田利常が小松城に移る際に、これを持参愛賞したが廃藩置県の結果、明治5年(1872)に一般に払い下げたのを寺井村の綿谷平蔵氏が買収し、村民挙げて運搬し、奥野八幡宮に奉納した。なお、この一部(二重)は小松城内に埋没しているとの説もある。能美市教育委員会
■写真は奥野八幡神社
■写真は奥野八幡神社「七重塔」
撮影日:2016.10.1
(つづく)