いしかわの観光スポットレポート(No.1982)
◇春の寺町-②泉野菅原神社、恵光山西方寺、大亀山玉龍寺、犀川桜橋
〇寺町寺院群概要
寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
5)泉野菅原神社
本神社は建武元年越中国守畠山卜三、同国新庄に社殿を造営して菅原道真の神像を祀りたり。慶長10年前田利長富山に在城し給い玉泉夫人と共に菅神を崇敬し給いしにより、利長高岡へ入城の後慶長16年社殿を同地に移さる。利長死後玉泉夫人金沢へ移ると共に泉野に社殿を造営し高岡より遷座せらる。
6)恵光山西方寺
前田利家公は天正2年(1574年)越前一向一揆の鎮圧に従事し越前小丸城入城した頃、仏の教えを被(こうむ)る為 比叡山の僧盛尊和尚を城に招いた所、その法徳に深く感銘を受け、盛尊和尚を心の師と仰ぎ親交を深め西方寺を自身の信仰の場とした。元和2年(1616)現在地移転。
7)大亀山玉龍寺
前田長種の父長定が尾張(愛知県)前田村において創建、桂厳慧芳長老を懇請して開山とした。長定の嫡男長種祖父が尾張蟹江の合戦に自害して後、加賀藩初代藩主前田利家の家臣となった。その後、越中守川・富山・加賀小松とを共にし、後に金沢の法船寺町に移って、慶安元年(1648)、現在地に寺地を受けた。長種は利家の長女・幸姫をめとり、慶長六年(1601)には従五位下対馬守に任ぜられている。前田長種家の菩提寺である。寺号は長定の戒名玉龍寺殿から名付けられた。 山門は薬医門、脇塀付桟で、慶安年間に近いものと見られる。精巧かつ華麗な作で、朱塗厨子厨子入舎利塔がある。玉龍寺、天徳院の住職から永平寺の 、曹洞宗の官長となった名僧・森田悟由の墓がある。当寺に長種夫妻の宝 印塔をはじめ、前田村から移された合同碑がある。(看板より)
8)犀川桜橋
(つづく)