植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇春の寺町-①長久寺、妙典寺、本長寺、妙立寺(忍者寺)

2021-04-12 04:31:10 | 金沢・石川の観光


いしかわの観光スポットレポート(No.1981)

◇春の寺町-①長久寺、妙典寺、本長寺、妙立寺(忍者寺)

〇寺町寺院群概要
寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、68の寺社(2020.1現在)が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



1)鶴雲山長久寺

長記によれば、慶長13年(1608)創建。高畠石見守定吉の後室長久院(生前は長寿院)のために栖覚寺を郊外にあたる大豆田高畠氏の下邸に建てたが、その化粧料300石を寺領として寄進し、その15年後長久寺と改めた。宝永12年(1635)には泉寺町(現寺町)の玉泉寺前に転じ明暦元年(1655)寺封を増して50石とし、覚源寺の遺址である現在地に移って長久寺を建立したとある。当寺は、前田利春の三女で、前田利家の妹津世の菩提寺である。境内には芭蕉の「秋涼し 手毎にけむや 瓜茄子」句碑がある。また樹齢400年近くになる金沢市保存林の銀木犀があり9月には開花する。(看板より)高畠石見守御夫婦の肖像画が市の文化財。







2)正栄山妙典寺

天正十三年(1585)、仏蔵院日敬が越中高岡で創建。神保氏張の室が開基となった。 慶長十四年(1609)、三輪長好が加賀藩三代藩主・前田利常に請うて、金沢河原町に移り、元和二年(1616)、現在地に転じた。 宝暦九年(1759)に焼失したが、後に再建された。 当寺にある釜師宮崎彦九郎義一の「鋳造三具足」は、金沢市の指定文化財である。(看板より)







3)長遠山本長寺

享徳2年(1453)、越中砺波福光城主・石黒氏が、菩提寺として創建したと伝えられる。その後、一向宗との抗争で何度も焼失、蓮沼・守山・富山などに移転・再建を繰り返し、天正13年(1585)に金沢に移った。元和元年(1615)現在地に寺領を拝領し、再建した。現在の本堂は、宝暦12年(1762)出火により焼失の後、文化9年(1812)らにより再建されたもの。境内裏庭には、推定樹齢二百年余り、樹高九メートルの大楓(いろはかえで)がり、昭和56年、金沢市から保存樹に指定された。境内には、芭蕉の「春もややけしきとのふ月と梅」の句碑が建っている。境内墓地に、加賀藩の農制書「河合録」を著した河合祐之の墓がある。長尾流躰術中興の祖・雨屋夜覚右衛門の墓がある。(看板より)2007年より本堂内の壁28面にフレスコ画を描いて彩っている。













4)正久山妙立寺(忍者寺)

加賀藩第三代藩主前田利常が創建した。複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺(にんじゃでら)とも呼ばれる。





(つづく)


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