かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

古代国家の見方が変わる?②~虎尾達哉著『古代日本の官僚』

2022年01月27日 | 旧ブログ記事(その他)
“古代国家の見方が変わる?”の2回目です。

ところで皆さん、古代日本の政治を支えていた官僚、専門用語でいえば律令官人となりますが、彼らにどんな印象をお持ちでしょうか?

真面目で、政府への忠誠心が強く、黙々と仕事をこなす・・・・といったものかもしれません。

現在日本経済新聞では、安部龍太郎氏『ふりさけみれば』という小説が連載されています。

遣唐使の一員として中国に渡るも、帰国できないまま彼の地で没した阿部仲麻呂が主人公の歴史小説です。
(詳しくは、副読本をご覧ください。)
その中で、主人公の阿部仲麻呂と、本来仲麻呂が一緒に帰国するはずだった遣唐使の一員・中臣名代との会話に、こんなくだりがありました。

仲麻呂「おおせの通りでございます。さすがに名代どのは中臣家のお生まれでございますね。祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心を持っておられる」
名代「仲麻呂どのにはとても及びませんが、その心だけは片時も忘れてはならぬと肝に銘じています」(連載171回、2022年1月15日付け)

作者の安倍氏も、律令官人には『祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心』があると考えているのでしょう。
これは特殊な見方ではなく、一般的なものと言えます。
かくいう、かねうりきちじも同じです。というより、あまり考えたことはなく、ぼんやりそんなものだろうというのが正直なところでした。

しかし、すべての律令官人が仲麻呂や名代のようではなかったらしい、副題にあるとおり『結構怠惰な面々』が結構いたというのが、今回紹介している『古代日本の官僚』の主張です。

ではなぜ、律令官人が怠惰だと古代国家の見方が変わるのでしょうか?

簡単に言ってしまえば、日本の古代国家は、中国から法律(専門用語で「律令」といいます)を学び、それに基づき天皇が官僚を手足として、中央集権的に本州から九州まで支配した専制君主国家だと考えられています。

法に基づき、「祖国や帝への、ひとかたならぬ忠誠心を持って」官僚が動く、それが専制君主国家なのですが、官僚のすべてがそうではない、むしろ怠惰な官僚の方が多かったとすれば、どうでしょうか?

官僚が怠惰だから専制君主国家ではないと考えればよいではないか、そう考えることもできるかもしれません。

けれども古代の日本が律令に基づく国家が樹立した直後、本州から九州の各地域には、郡家(ぐうけ)という今でいえば市町村庁舎が造営されます。

その郡家の構造がどこも似通っていて、古代政府が各地を画一的・均質的に支配した結果だと考古学的には(文献史学としても)されています。

こうした支配が可能だったのは天皇が専制君主として振る舞ったからだと考えられています。

つまり、古代の日本は専制君主国家でありながら、怠惰な律令官人によって回っていたのです。

かねうりきちじが、本書に衝撃を受けた理由は、怠惰な官僚によって画一的な政治支配が行われるという事実からです。

もしかしたら、本書は古代に限らず日本の社会の捉え方に再考を迫るきっかけを作るものになるかもしれません。

次回は、怠惰な官僚と専制君主国家の矛盾と言うことについて、もう少し詳しく説明したいと思います。
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