やっと長い2日間が終わってほっとしているkおばちゃん。
考えて見ると、この1月のスケジュール、自分で忙しくしてしまったんですよね。
若かったころはへっちゃらだったとおもうスケジュールも、今のkおばちゃんには答えますね。
昨日も、打ち上げの飲み会から早く帰りたくて帰りたくてしょうがありませんんでした。
とにかく、先週は自分の実力のなさ・・と努力の足りなさをひしひしと感じた1週間。
無事に終わって良かったよかった・・
それにしても気が付けば2月に入ってしまいましたね。
○12月31日(水)
kおばちゃんの辿り着いたのはビュイック・ハンBÜYÜK HAN (THE GREAT INN) と呼ばれるところです。
中に入るとこんな感じです。
こんな感じ・・と言われてもね・・わかり辛いですね。
四方をぐるりと2階建ての建物に囲まれ、中庭になったいるところです。
その庭の真ん中にはこのような建物も立って降ります。
ここは、もともとは1571年にキプロスを支配下に納めたオスマントルコ帝国دولت عالیه عثمانیه Devlet-i Âliye-yi Osmâniyyeの最初のキプロスの統治者のMuzaffer Pashaにより翌年の1572年に建設された、商人(商隊)のための宿泊所のようなものらしいです。通商館のようなもので、1階が事務所のような実務を行う場所。そして2階は宿泊施設となっていたようです。
中庭を囲んで68の部屋があるそうです。
オスマントルコの建築物だから、真ん中にあるのは小さなモスク礼拝堂ですね。
からだを清める泉 şadrvan も併設されているようです。
きっと当時は、賑やかだった事でしょう。ここもほぼこのレフコシアの中心地ですからね。
その後、この島が英国支配の植民地だったときにはその堅牢な造りから『中央刑務所』として利用されていたとか・・・なんとなく判ります。
近年になって、若手の芸術家を支援するセンターのような役割を果たす建物に生まれ変わったようです。
これが改装前の様子でしょうかね。
現在は中庭の一角にカフェもあります。
一階にはお土産物か芸術品か・・・判断はそれぞれでしょうけれど・・お店屋さんが数軒開いておりました。
この様なものを売るお店もありましたし、
この様なモノを売るお店もありました。
これじゃ何だか判りませんかね??アップにするとこのようなもの。
小さな四角?の布の端を繋ぎあわせて・・ちょうど摘み簪のような感じですが・・真ん中ワインのボトルを入れたり、ろうそく立てを入れたり・・と言うようなものでした。
kおばちゃんこれを買おうかどうしようか散々迷ったのですが、こちらの(北側)の品物というか物価にしては結構なお値段のような気がして、やめてしまいました。
その他にも古代パピルスを利用したカードとか・・です。
庭の片隅にはこんな花も咲いており、やはりここは暖かいところなんだなあ・・と実感しました。
2階は回廊でぐるりと囲まれ、それに沿って小さいお部屋が沢山あります。
本来は無機資で個性の無い様な、そうまるで刑務所のような造りですが、よーく見るとさすが芸術家の集団がお使いになっている建物。
各お部屋の入り口に個性を感じるものもあります。
全部撮影したかったけど・・・気に入ったのだけ・・
これなんかシンプルだけど素敵ですよね。
2階の回廊から下を望むとこんな感じです。
ふと、見上げると・・さっきの『SEiMiYE CAMii』が望めます。
そしてその塔の間には2つの国旗が並んではためいています。
別の方角を見ると・・気になる物体が・・でも、これじゃ判りませんね。
ではあっぷで・・これです。
建物の屋上にアンテナ類のてんこ盛りですね。これはもすると・・・そう・・この方向は・・なんて気になったkおばちゃんです。
次ぎはこの正体を確かめにゆきましょうかね?
ビュイック・ハンは旅人達が夢見る場所、そして囚人達が外の自由を夢見る場所だったところ。そして現在は若き芸術家達がその成功を夢見る場所と変わってきているのですね。
それを見守ってきたのはここの住人でしょうか?横切ってゆきました。
お前さんの先祖は、いったいこの場所で何人の夢を覗いて来たんでしょうかね?
考えて見ると、この1月のスケジュール、自分で忙しくしてしまったんですよね。
若かったころはへっちゃらだったとおもうスケジュールも、今のkおばちゃんには答えますね。
昨日も、打ち上げの飲み会から早く帰りたくて帰りたくてしょうがありませんんでした。
とにかく、先週は自分の実力のなさ・・と努力の足りなさをひしひしと感じた1週間。
無事に終わって良かったよかった・・
それにしても気が付けば2月に入ってしまいましたね。
○12月31日(水)
kおばちゃんの辿り着いたのはビュイック・ハンBÜYÜK HAN (THE GREAT INN) と呼ばれるところです。
中に入るとこんな感じです。
こんな感じ・・と言われてもね・・わかり辛いですね。
四方をぐるりと2階建ての建物に囲まれ、中庭になったいるところです。
その庭の真ん中にはこのような建物も立って降ります。
ここは、もともとは1571年にキプロスを支配下に納めたオスマントルコ帝国دولت عالیه عثمانیه Devlet-i Âliye-yi Osmâniyyeの最初のキプロスの統治者のMuzaffer Pashaにより翌年の1572年に建設された、商人(商隊)のための宿泊所のようなものらしいです。通商館のようなもので、1階が事務所のような実務を行う場所。そして2階は宿泊施設となっていたようです。
中庭を囲んで68の部屋があるそうです。
オスマントルコの建築物だから、真ん中にあるのは小さなモスク礼拝堂ですね。
からだを清める泉 şadrvan も併設されているようです。
きっと当時は、賑やかだった事でしょう。ここもほぼこのレフコシアの中心地ですからね。
その後、この島が英国支配の植民地だったときにはその堅牢な造りから『中央刑務所』として利用されていたとか・・・なんとなく判ります。
近年になって、若手の芸術家を支援するセンターのような役割を果たす建物に生まれ変わったようです。
これが改装前の様子でしょうかね。
現在は中庭の一角にカフェもあります。
一階にはお土産物か芸術品か・・・判断はそれぞれでしょうけれど・・お店屋さんが数軒開いておりました。
この様なものを売るお店もありましたし、
この様なモノを売るお店もありました。
これじゃ何だか判りませんかね??アップにするとこのようなもの。
小さな四角?の布の端を繋ぎあわせて・・ちょうど摘み簪のような感じですが・・真ん中ワインのボトルを入れたり、ろうそく立てを入れたり・・と言うようなものでした。
kおばちゃんこれを買おうかどうしようか散々迷ったのですが、こちらの(北側)の品物というか物価にしては結構なお値段のような気がして、やめてしまいました。
その他にも古代パピルスを利用したカードとか・・です。
庭の片隅にはこんな花も咲いており、やはりここは暖かいところなんだなあ・・と実感しました。
2階は回廊でぐるりと囲まれ、それに沿って小さいお部屋が沢山あります。
本来は無機資で個性の無い様な、そうまるで刑務所のような造りですが、よーく見るとさすが芸術家の集団がお使いになっている建物。
各お部屋の入り口に個性を感じるものもあります。
全部撮影したかったけど・・・気に入ったのだけ・・
これなんかシンプルだけど素敵ですよね。
2階の回廊から下を望むとこんな感じです。
ふと、見上げると・・さっきの『SEiMiYE CAMii』が望めます。
そしてその塔の間には2つの国旗が並んではためいています。
別の方角を見ると・・気になる物体が・・でも、これじゃ判りませんね。
ではあっぷで・・これです。
建物の屋上にアンテナ類のてんこ盛りですね。これはもすると・・・そう・・この方向は・・なんて気になったkおばちゃんです。
次ぎはこの正体を確かめにゆきましょうかね?
ビュイック・ハンは旅人達が夢見る場所、そして囚人達が外の自由を夢見る場所だったところ。そして現在は若き芸術家達がその成功を夢見る場所と変わってきているのですね。
それを見守ってきたのはここの住人でしょうか?横切ってゆきました。
お前さんの先祖は、いったいこの場所で何人の夢を覗いて来たんでしょうかね?