残念ながらお休みは終わり。困ったもんだ。
今日もお天気は良い見たい。こう言う良い陽気にじっとしてるのは・・何だかもったいない気もしますね。
まあ、せいぜい英気でも養いましょう。
そうそう、ここのところ左膝というか間接のあたりが余り調子よくなかったのだが(靭帯が一部切れている)ちょっと痛かったけど屈伸運動を心がけたら・・随分と楽になった。
痛いからといってほうっておいちゃダメみたいね。
ああ、年寄りだ!
●7月2日(木)
夕べはだいぶ遅かったので・・・でもまた外の自動車の音で朝はばっちり目が覚めてしまった。
とりあえず、朝食がしまわれないうちに食べに行かないと・・9時近くに朝食会場に向うが・・例に寄って誰もいない。
他に宿泊客はいないのか??いえ、子ども連れの声なんぞがしてたらかいることはいるでしょう。
この町では大型のホテルだと思うし・・
kおばちゃんが朝食を食べていたら・・夕べのご夫婦も登場。やっぱり夜が遅かったからね。
kおばちゃんは早々に食事を切り上げて・・荷造りにお部屋に戻ります。
今日はこのホテルとさよならです。
ネットでちょこちょこっと調べ物とメールチェックもしたかったし・・
このホテル、共産主時時代の産物のような造りだけど、一つだけ感心したのはお部屋のクロゼット。
画像は残ってないのだけれど・・なんと合板じゃなくて一枚板でつくってあり、まだ比較的新しいのかとても良い木の香りがしていた。デザインはいたってシンプルでよく日本では合板の素材で撃っている感じの物。
いいなあ・・と思ったのでした。
さてさて、チェックアウトです。でも、まだこの町を去る訳じゃないんですよね。
だって・・・殆ど町の中を観光してないでしょ?
ということで、精算をしたときにもうすっかり顔なじみのフロントのお嬢さんに頼んで見ました。2~3時間町中を観光したいのだけれど・・車を置かせてくれないかってね。
だって駐車場探すのもメンドウだし・・
もちろんお嬢さんはOKをしてくれました。
お嬢さん・・と思っていたら・・あらあらお腹が大きいです。赤ちゃんが入ってるのね。
kおばちゃん思わず、飛行機の中で頂戴してきたオカキ(おつまみ)を、『日本のお米菓』といってプレゼント。彼女もにっこり受け取ってくれました。
今日は音楽祭もお休みです。
そうなんです、この音楽祭のスケジュールにあわせた旅行になってしまったので・・ちょっと無駄な動きが多いんですよね。今回・・も・・・
これが今までお世話になったホテルです。
そして右端にちょこっとだけ写っているのがリオ君です。待っててね。と荷物はさっさと積み込みました。
さあ、町歩きの開始です。今までは必要なところしか歩いていませんからね。
で、手っ取り早く手元の地図にマークの付いて居場所に向いました。というかマークはホテルの所に付いてたので・・何処だか本とはわからなかったんです。
次に向うところの途中で見かけた物体の画像をみて・・ああそうだったのかと『今』は思っているのですけどね。
それはこの物体なんですけどね。
とりあえず珍しそうなので画像に残しました。
本当はこの物体の向こうに見える『スーパーマーケット』の方に興味津々だったのですが、とりあえず観光をしましょうと思ったので先に進みました。
もったいぶりましたが、この物体の示すものは何だかわかりますか?
実は観光地図には『ズデネク・コパルZdeněk Kopalの記念』と書いてあったのです。
で、ズデネク・コパルって誰??と思ったので調べて見ました。
彼(1914年4月4日 - 1993年6月23日)はこのリトミシュル出身の天文学者だそうです。
カレル大学で学んだ後アメリカ渡り、主にアメリカで活躍した天文学者だそうです。
その功績は月面観測に認められ、あのアポロ計画にも月面の観測分野で多いに拘わっていた人物だそうです。
だから冒頭のような物体というかオブジェがあるのね・・なんて思ったのですけれどもね。
彼の功績をたたえ『コパル (2628 Kopal)』という名前の惑星もあるそうです。
あらまあ、そんな方の出身地だったのですね。
そういえば、彼のコパル氏のお墓も昨日もう参でたヴィシェフラド墓地にあるそうです。あら・・知らなかった。
で、このオブジェの前にも聳由緒ありそうな建物がえ立っておりました。それがこれ
何の建物でしょうね。MDCCCV = 1805のⅡって2月??最初のL.P.は判りません。
でこちらのこの文字は『露出』??ってことは創立ってことでしょうかね。わかりません・・
でも、ここは『Pedagogické škola』ということでいわゆる『師範学校』のようなものらしいです。
あらま、アカデミックな一角だったのね・・と今更思うkおばちゃんです。
お次ぎはつきあたりに見えるあの建物に向いましょう。
今日もお天気は良い見たい。こう言う良い陽気にじっとしてるのは・・何だかもったいない気もしますね。
まあ、せいぜい英気でも養いましょう。
そうそう、ここのところ左膝というか間接のあたりが余り調子よくなかったのだが(靭帯が一部切れている)ちょっと痛かったけど屈伸運動を心がけたら・・随分と楽になった。
痛いからといってほうっておいちゃダメみたいね。
ああ、年寄りだ!
●7月2日(木)
夕べはだいぶ遅かったので・・・でもまた外の自動車の音で朝はばっちり目が覚めてしまった。
とりあえず、朝食がしまわれないうちに食べに行かないと・・9時近くに朝食会場に向うが・・例に寄って誰もいない。
他に宿泊客はいないのか??いえ、子ども連れの声なんぞがしてたらかいることはいるでしょう。
この町では大型のホテルだと思うし・・
kおばちゃんが朝食を食べていたら・・夕べのご夫婦も登場。やっぱり夜が遅かったからね。
kおばちゃんは早々に食事を切り上げて・・荷造りにお部屋に戻ります。
今日はこのホテルとさよならです。
ネットでちょこちょこっと調べ物とメールチェックもしたかったし・・
このホテル、共産主時時代の産物のような造りだけど、一つだけ感心したのはお部屋のクロゼット。
画像は残ってないのだけれど・・なんと合板じゃなくて一枚板でつくってあり、まだ比較的新しいのかとても良い木の香りがしていた。デザインはいたってシンプルでよく日本では合板の素材で撃っている感じの物。
いいなあ・・と思ったのでした。
さてさて、チェックアウトです。でも、まだこの町を去る訳じゃないんですよね。
だって・・・殆ど町の中を観光してないでしょ?
ということで、精算をしたときにもうすっかり顔なじみのフロントのお嬢さんに頼んで見ました。2~3時間町中を観光したいのだけれど・・車を置かせてくれないかってね。
だって駐車場探すのもメンドウだし・・
もちろんお嬢さんはOKをしてくれました。
お嬢さん・・と思っていたら・・あらあらお腹が大きいです。赤ちゃんが入ってるのね。
kおばちゃん思わず、飛行機の中で頂戴してきたオカキ(おつまみ)を、『日本のお米菓』といってプレゼント。彼女もにっこり受け取ってくれました。
今日は音楽祭もお休みです。
そうなんです、この音楽祭のスケジュールにあわせた旅行になってしまったので・・ちょっと無駄な動きが多いんですよね。今回・・も・・・
これが今までお世話になったホテルです。
そして右端にちょこっとだけ写っているのがリオ君です。待っててね。と荷物はさっさと積み込みました。
さあ、町歩きの開始です。今までは必要なところしか歩いていませんからね。
で、手っ取り早く手元の地図にマークの付いて居場所に向いました。というかマークはホテルの所に付いてたので・・何処だか本とはわからなかったんです。
次に向うところの途中で見かけた物体の画像をみて・・ああそうだったのかと『今』は思っているのですけどね。
それはこの物体なんですけどね。
とりあえず珍しそうなので画像に残しました。
本当はこの物体の向こうに見える『スーパーマーケット』の方に興味津々だったのですが、とりあえず観光をしましょうと思ったので先に進みました。
もったいぶりましたが、この物体の示すものは何だかわかりますか?
実は観光地図には『ズデネク・コパルZdeněk Kopalの記念』と書いてあったのです。
で、ズデネク・コパルって誰??と思ったので調べて見ました。
彼(1914年4月4日 - 1993年6月23日)はこのリトミシュル出身の天文学者だそうです。
カレル大学で学んだ後アメリカ渡り、主にアメリカで活躍した天文学者だそうです。
その功績は月面観測に認められ、あのアポロ計画にも月面の観測分野で多いに拘わっていた人物だそうです。
だから冒頭のような物体というかオブジェがあるのね・・なんて思ったのですけれどもね。
彼の功績をたたえ『コパル (2628 Kopal)』という名前の惑星もあるそうです。
あらまあ、そんな方の出身地だったのですね。
そういえば、彼のコパル氏のお墓も昨日もう参でたヴィシェフラド墓地にあるそうです。あら・・知らなかった。
で、このオブジェの前にも聳由緒ありそうな建物がえ立っておりました。それがこれ
何の建物でしょうね。MDCCCV = 1805のⅡって2月??最初のL.P.は判りません。
でこちらのこの文字は『露出』??ってことは創立ってことでしょうかね。わかりません・・
でも、ここは『Pedagogické škola』ということでいわゆる『師範学校』のようなものらしいです。
あらま、アカデミックな一角だったのね・・と今更思うkおばちゃんです。
お次ぎはつきあたりに見えるあの建物に向いましょう。