台風一過、今日は過ごし易い1日。
先日お使いで、郵便局の窓口に行ったときに頂いた粗品に今を感じましたです。
それは、粗品がウエットティシュと使い捨てマスクだったことです。
アメリカのニュースを見ていると、新型インフルエンザの予防接種に積極的でない人が多いような報道が目に付いた。理由は『新しいものでキチント検証されてないから何があるかわからなくて怖い』というようなモノだったとも浮けど、日本と対象的。
日本の場合は『いち早く受けた・・と皆が言っている』的な報道が多いと思うんですけどね。
さてさて・・
●7月3日(金)
朝は爽やかなお目覚め。山の朝は気持ちいもンね。
でも、TV中毒のkおばちゃん。起きてマズするのはTVをつけること。
あらあら我が同胞がお映りあそばしていますね。天野之弥Yukiya Amano氏がIAEA(国際原子力機関)の次期事務局長として選出されたと言うニュースみたいです。
難しい問題を沢山かかえてる時期、ご活躍をお祈りします。
さあ、いちばん関心のあるのはこれ。今日の天気。
うーん。kおばちゃんのコレから向う先はあら、ここと同じ25度で曇りのち晴・・か。
まあまあですね。
明日金曜日は・・うーーん。同じか・・
これは本日の警報ですね。
さあさあ、朝ごはんを食べにゆきましょうね。
さすが朝食会場には他のお客さんもいましたです。
夕べはだれもレストランにいなかったから・・・お客さん他にいないのかとおもってしまいましたよ。
食事の内容は、まあどことも変わらないいわゆるブッフェですが、ドイツほど食材は豊かではありません。
食べて入る途中、ラフな格好のおじさんが入ってきてカウンターでパンとコーヒーを飲んでました。
さて、食後はお部屋に戻らないでちょっくら運動をかねてお散歩に出ましょうね。
なんせ、もうすぐここを出発しなきゃならないのですから。
ホテルをでると、右の上りの方目にはもう既にハイキングに出かける人達が・・それが冒頭の画像です。
こちらは下りの方面ですが・・
こちらもハイカーと思しき人達がもう出ています。完全に出遅れてるkおばちゃんですね。
彼らの後にくっついて行くkおばちゃん。
ここに佇んでらっしゃるのはネポムクの聖ヨハネSv. Jan Nepomucký氏だそうです。14世紀ボヘミアの司祭で聖人だそうです。
ヴァーツラフ4世により拷問を受けヴァルタバ川に投げ入れられたとか。お気の毒に・・
このあたりは15世紀には銅や銀の産出で栄えていたようです。
その後、オーストリア・ボヘミア系の貴族Harrach家が広大な領地として持っていた時期もあったようです。
シュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnの町自体は18世紀後半、森林労働者達によってきずかれた町だとか。
あらあら、kおばちゃんの楽器はそもそもその頃なのよね。ラベルに寄ると。
ということは・・まだこの町も生まれたての頃、ここコルコノシェ山地Krkonošeで作られたのね・・なんて感慨深いのです。
エルベ川の所までやってきました。
今日も勢いよくザーザーと流れています。
このエルベ川Labe 全長は1154kmもあるんですが・・昨日行きそびれた源泉はこの橋を渡ったほうの側を上って行かないと行けなかったんですよね。残念!
ここから4日前にいたバート・シャンダウBad schandauをとおり・・ハンブルグの町へと流れて行くんですよね。
そういえば、この町Špindlerův MlýnにはSpindlermühleというドイツ名があるし、 Krkonošeには Riesengebirgeと言うドイツ名もあるし・・Harrach家はもともとはオーストリアの出のようだし・・ドイツ語圏の色濃い地方なのねなんて思いました。
さあ、今日は真っ直ぐ行っても230キロ、3時間以上係る距離を2箇所寄り道をしての移動を計画しているkおばちゃんです。
そろそろ戻りましょうね。
あら、あんなところに幼児向けの遊具がありますね。
そういえば、さっき先を歩いていた家族にも小さな子どもがいましたね。自然の中ノンビリとが良いですね。
道をおうだんしようとしたら止まっている車が目に付きました。
あらーー追突でもしちゃったんでしょうかね。
kおばちゃんも気を付けなきゃね。
ホテルの近所で観光トラムの機動車部分のご出勤に出くわしました。
そういえば『客車』の部分は大型駐車場に放置してあったな・・なんて思い出しました。
時間があったら・・っていつでもこればかりですが・・自然にもっと浸っていたいと思ったkおばちゃんでした。
先日お使いで、郵便局の窓口に行ったときに頂いた粗品に今を感じましたです。
それは、粗品がウエットティシュと使い捨てマスクだったことです。
アメリカのニュースを見ていると、新型インフルエンザの予防接種に積極的でない人が多いような報道が目に付いた。理由は『新しいものでキチント検証されてないから何があるかわからなくて怖い』というようなモノだったとも浮けど、日本と対象的。
日本の場合は『いち早く受けた・・と皆が言っている』的な報道が多いと思うんですけどね。
さてさて・・
●7月3日(金)
朝は爽やかなお目覚め。山の朝は気持ちいもンね。
でも、TV中毒のkおばちゃん。起きてマズするのはTVをつけること。
あらあら我が同胞がお映りあそばしていますね。天野之弥Yukiya Amano氏がIAEA(国際原子力機関)の次期事務局長として選出されたと言うニュースみたいです。
難しい問題を沢山かかえてる時期、ご活躍をお祈りします。
さあ、いちばん関心のあるのはこれ。今日の天気。
うーん。kおばちゃんのコレから向う先はあら、ここと同じ25度で曇りのち晴・・か。
まあまあですね。
明日金曜日は・・うーーん。同じか・・
これは本日の警報ですね。
さあさあ、朝ごはんを食べにゆきましょうね。
さすが朝食会場には他のお客さんもいましたです。
夕べはだれもレストランにいなかったから・・・お客さん他にいないのかとおもってしまいましたよ。
食事の内容は、まあどことも変わらないいわゆるブッフェですが、ドイツほど食材は豊かではありません。
食べて入る途中、ラフな格好のおじさんが入ってきてカウンターでパンとコーヒーを飲んでました。
さて、食後はお部屋に戻らないでちょっくら運動をかねてお散歩に出ましょうね。
なんせ、もうすぐここを出発しなきゃならないのですから。
ホテルをでると、右の上りの方目にはもう既にハイキングに出かける人達が・・それが冒頭の画像です。
こちらは下りの方面ですが・・
こちらもハイカーと思しき人達がもう出ています。完全に出遅れてるkおばちゃんですね。
彼らの後にくっついて行くkおばちゃん。
ここに佇んでらっしゃるのはネポムクの聖ヨハネSv. Jan Nepomucký氏だそうです。14世紀ボヘミアの司祭で聖人だそうです。
ヴァーツラフ4世により拷問を受けヴァルタバ川に投げ入れられたとか。お気の毒に・・
このあたりは15世紀には銅や銀の産出で栄えていたようです。
その後、オーストリア・ボヘミア系の貴族Harrach家が広大な領地として持っていた時期もあったようです。
シュピンドルーフ・ムリーンŠpindlerův Mlýnの町自体は18世紀後半、森林労働者達によってきずかれた町だとか。
あらあら、kおばちゃんの楽器はそもそもその頃なのよね。ラベルに寄ると。
ということは・・まだこの町も生まれたての頃、ここコルコノシェ山地Krkonošeで作られたのね・・なんて感慨深いのです。
エルベ川の所までやってきました。
今日も勢いよくザーザーと流れています。
このエルベ川Labe 全長は1154kmもあるんですが・・昨日行きそびれた源泉はこの橋を渡ったほうの側を上って行かないと行けなかったんですよね。残念!
ここから4日前にいたバート・シャンダウBad schandauをとおり・・ハンブルグの町へと流れて行くんですよね。
そういえば、この町Špindlerův MlýnにはSpindlermühleというドイツ名があるし、 Krkonošeには Riesengebirgeと言うドイツ名もあるし・・Harrach家はもともとはオーストリアの出のようだし・・ドイツ語圏の色濃い地方なのねなんて思いました。
さあ、今日は真っ直ぐ行っても230キロ、3時間以上係る距離を2箇所寄り道をしての移動を計画しているkおばちゃんです。
そろそろ戻りましょうね。
あら、あんなところに幼児向けの遊具がありますね。
そういえば、さっき先を歩いていた家族にも小さな子どもがいましたね。自然の中ノンビリとが良いですね。
道をおうだんしようとしたら止まっている車が目に付きました。
あらーー追突でもしちゃったんでしょうかね。
kおばちゃんも気を付けなきゃね。
ホテルの近所で観光トラムの機動車部分のご出勤に出くわしました。
そういえば『客車』の部分は大型駐車場に放置してあったな・・なんて思い出しました。
時間があったら・・っていつでもこればかりですが・・自然にもっと浸っていたいと思ったkおばちゃんでした。