今日は一日ばたばたと・・
夕べはちょっと、お食事にお呼ばれしたのだが、あてにしていたレストランが予約をいれようとしても電話が出ない・・と言われてしまった。
うーーん。今ひとつ場所がなあ・・と思っていたところだったので、閉店しちゃったのかな??
飲食業界もきつそうだモンね。
kおばちゃんが帰る道すがらは、最近は特に『居酒屋』系の呼び込みが激しいこと。
極普通の居酒屋さんでも、昔のマッサージ系の呼びこみのような激しさ。
それだけに競争がきついんでしょうね。
○7月3日(金)
さてさて、kおばちゃんが探していた建物はこれ
画像を大きくすると
です。
ほらこれと一緒でしょ?
ここはネラホゼヴェスNelahozevesという人口1300人ほどのプラハから35キロほど離れた場所です。
で、ここになんでkおばちゃんが来たかったかというと、実はここはドボルサークAntonín Dvořákの生まれた村なんですって。
そして彼の生家は現在公開されていると聞いていたんです。
だから4日前に一生懸命探したのですが・・辿り付けませんでした。
今日は・・ちゃんと到着しました。やっと・・ですけどね。
ほら『Antonín Dvořák』の文字があります。
しかし人影がありません。誰も訪問しにこないのかしらね?
ドアーも閉まってますね。
あら!脇にベルを鳴らせとありますね。
早速鳴らして見ました。
すると他のドアーから(多聞ニ階に続いている)からオバサンがひとり降りてきました。
kおばちゃんが内部を見学したい旨伝えると・・さっきのドアーの鍵を開けてくれました。
玄関の脇には受付があり、そこで入場料を支払ます。
するとkおばちちゃんの言語を確認して、解説シートを貸し出してくれます。
内部は自分で見学するようです。
現在見学できるのは1階の4つの部屋のみ。いずれにしても近年手が入れられているので生まれた当初の姿のままではありません。
ドボルザーク自身も晩年は何回か訪れているようでその時は鳴り物入り・・のごききょうだったそうです。
それにこの建物はプラハにあるドボルサーク博物館の分室のようなあつかいで、収蔵品も殆ど価値のあるものはプラハの博物館に行ってしまっているようで、数点しか本人に直接関係あるものはないようです。上の画像の居間においてある安楽椅子はドボルザークのお気に入りだったとか。
居間と次の間を結ぶドアーの上にスーク(Josef Suk)の文字が・・彼が贈ったドアーと書いてあった記憶があります。
スーク自身もドボルザークの家系だそうで、下の家系図の四角で囲んである一番左にある赤文字がドボルザークの名前で、その2段下四角のまたしたの赤いも文字はヴァイオリンで有名なスーク氏のものだそうです。
の
片隅にはドボルサーク氏今日像がありました。
その他にはこんな展示も・・
鉄ちゃん(鉄道マニア)だったドボルザークのためでしょうか。当時の汽車の解説です。
あと、ケースの一番下にある羽ペンはドボルザーク自身が使用していたものだとか。
暫定歌劇場?という翻訳になってしまいますが、歌劇場のメンバー表の中心はスメタナ氏ですが、ドボルザーク氏自身も入っているので描かれています。
あとは、ドボルザーク曲の名演のレコードジャケットやCDジャケットなどのコレクション。
アポロ11号でしたっけ?最初に月面着陸をしたのは。
そのときに船内に流れていのは、彼の交響曲9番の2楽章『新世界』だったようなので、それに関連するような記事もてんじしてありました。
これで一通り見学はおしまいです。
ドボルザーク Dvořákという姓はこのあたりではよくあった苗字だったようです。
彼の祖父の時代にはここで肉屋を営んでいたようですが、彼の父の時代には宿屋として改装され、彼はここで1841年9月8日に8人兄弟の長男として生まれたそうです。
1855年に引っ越すまで約14年間住んでいたようでね。
この窓からの景色も眺めたんでしょうかね。
なんて思いながら受付に戻ったkおばちゃんです。
夕べはちょっと、お食事にお呼ばれしたのだが、あてにしていたレストランが予約をいれようとしても電話が出ない・・と言われてしまった。
うーーん。今ひとつ場所がなあ・・と思っていたところだったので、閉店しちゃったのかな??
飲食業界もきつそうだモンね。
kおばちゃんが帰る道すがらは、最近は特に『居酒屋』系の呼び込みが激しいこと。
極普通の居酒屋さんでも、昔のマッサージ系の呼びこみのような激しさ。
それだけに競争がきついんでしょうね。
○7月3日(金)
さてさて、kおばちゃんが探していた建物はこれ
画像を大きくすると
です。
ほらこれと一緒でしょ?
ここはネラホゼヴェスNelahozevesという人口1300人ほどのプラハから35キロほど離れた場所です。
で、ここになんでkおばちゃんが来たかったかというと、実はここはドボルサークAntonín Dvořákの生まれた村なんですって。
そして彼の生家は現在公開されていると聞いていたんです。
だから4日前に一生懸命探したのですが・・辿り付けませんでした。
今日は・・ちゃんと到着しました。やっと・・ですけどね。
ほら『Antonín Dvořák』の文字があります。
しかし人影がありません。誰も訪問しにこないのかしらね?
ドアーも閉まってますね。
あら!脇にベルを鳴らせとありますね。
早速鳴らして見ました。
すると他のドアーから(多聞ニ階に続いている)からオバサンがひとり降りてきました。
kおばちゃんが内部を見学したい旨伝えると・・さっきのドアーの鍵を開けてくれました。
玄関の脇には受付があり、そこで入場料を支払ます。
するとkおばちちゃんの言語を確認して、解説シートを貸し出してくれます。
内部は自分で見学するようです。
現在見学できるのは1階の4つの部屋のみ。いずれにしても近年手が入れられているので生まれた当初の姿のままではありません。
ドボルザーク自身も晩年は何回か訪れているようでその時は鳴り物入り・・のごききょうだったそうです。
それにこの建物はプラハにあるドボルサーク博物館の分室のようなあつかいで、収蔵品も殆ど価値のあるものはプラハの博物館に行ってしまっているようで、数点しか本人に直接関係あるものはないようです。上の画像の居間においてある安楽椅子はドボルザークのお気に入りだったとか。
居間と次の間を結ぶドアーの上にスーク(Josef Suk)の文字が・・彼が贈ったドアーと書いてあった記憶があります。
スーク自身もドボルザークの家系だそうで、下の家系図の四角で囲んである一番左にある赤文字がドボルザークの名前で、その2段下四角のまたしたの赤いも文字はヴァイオリンで有名なスーク氏のものだそうです。
の
片隅にはドボルサーク氏今日像がありました。
その他にはこんな展示も・・
鉄ちゃん(鉄道マニア)だったドボルザークのためでしょうか。当時の汽車の解説です。
あと、ケースの一番下にある羽ペンはドボルザーク自身が使用していたものだとか。
暫定歌劇場?という翻訳になってしまいますが、歌劇場のメンバー表の中心はスメタナ氏ですが、ドボルザーク氏自身も入っているので描かれています。
あとは、ドボルザーク曲の名演のレコードジャケットやCDジャケットなどのコレクション。
アポロ11号でしたっけ?最初に月面着陸をしたのは。
そのときに船内に流れていのは、彼の交響曲9番の2楽章『新世界』だったようなので、それに関連するような記事もてんじしてありました。
これで一通り見学はおしまいです。
ドボルザーク Dvořákという姓はこのあたりではよくあった苗字だったようです。
彼の祖父の時代にはここで肉屋を営んでいたようですが、彼の父の時代には宿屋として改装され、彼はここで1841年9月8日に8人兄弟の長男として生まれたそうです。
1855年に引っ越すまで約14年間住んでいたようでね。
この窓からの景色も眺めたんでしょうかね。
なんて思いながら受付に戻ったkおばちゃんです。