今朝も寒かった。寒いとのろのろと仕度をするので、結局何時も最後はあたふた。
まあ、これは性格かな??
モスクワの空港爆発はやはり『自爆』によるものらしい。
今、書いている先日の旅行の時にも思ったこと。それは、北キプロスもそうであったけど、空港に入るのが偉く厳しいということ。
空港ビルに入るには、とにく誰でも機械による『荷物チェック』および金属探知ゲートをくぐらないと入れないということ。
だから、出迎えに来ている人も『建物の外』で待つしかないようです。
もちろん、チェックインカウンターのある階でも同様。建物に入るところに全てゲートがあった。
多聞、イスラム圏はみんなそうなのかしら・・なんて思ってるんですけど??
モスクワのような事件があると、やっぱりあの誰でもチェックすると言うほうがより安全かな?なんて思ったkおばちゃんです。
○12月30日(木)
さて、ギルネ城内にやっと入った感じです。
四方をぐるりと石壁が囲んでいる中庭・・のようになっています。
とりあえず、あそこの入り口から入って見ましょう。
ここが入り口です。
Shipwreck museum難破船博物館ですって。
あ、船の形場見えますね。
これは、難破船を発掘研究していたときの写真でしょうか?
このように積み荷を積んでいたんですね。
このような壺を沢山積んでいたようです。
こちらは引上げられた難破船そのもののようです。
この船は紀元前4世紀のギリシャの商船だそうです。
1965年11月にギリシャ系キプロス人のダイビングインストラクターAndreas Cariolou氏によって嵐の中発見されたそうです。しかしながら、なにぶん嵐のなかの発見。その後正確な位置の割り出しまでには2年の歳月がかかりダイビングを200回以上行わなければならなかったとか。
その後、ペンシルバニア大学のMichael Katsev氏の引きいるチームによって70年から引き上げ調査と保存が行われたようです。ただし、その間に起こったキプロス紛争で作業は中止されたこともあったということです。
船全体の形はこんな感じらしいです。
船に積まれていた品々でしょうね。葡萄の種、オリーブの種、そしてイチジクの種でしょうか。
いずれも今日でもここ地中海沿岸でさかんに栽培されている植物ですね。
当時の海易航路図でしょうか。ここキプロス島とロードス島の交易船だったのでしょう。
こんな感じの船だったのでしょうね。
紀元前4世紀のころのこのギルネの港の様子でしょうね。
これが発見当時の写真だと思います。
ギルネ城の沖合いに2000年以上の時を見つめて沈んでいたのですね。
ところで、この難破船ですがなんと日本のこの復元船があるそうです。
もちろんここを見学しているときは全然知りませんでした。まあ、いつもの『後から学習』ですけどね。
キレニア号という名前がついているそうです。キレニア・・って発音だそうです。トルコ語読みじゃあないんですね。
この復元船が展示されているのは福岡市博物館だそうです。HPによると、アジア太平洋博覧会に出展されましたものだったようです。
復元船を製作した会社のHPにもその様子がちょこっと載っていました。これはキレニア3号といったところのようです。
2004年にはその後に建造された復元船にオリンピックの銅メダルに使用される『銅』の積荷を積載し、紛争相手国であるギリシャで向けて出航したと言うことです。
きっと、紛争解決の兆しがみえる出来事だったのでしょうね。
それにしても、日本にこの復元船があるとは思わなかったkおばちゃんです。
今度、チャンスがあったら是非見て見たいと思います。
まあ、これは性格かな??
モスクワの空港爆発はやはり『自爆』によるものらしい。
今、書いている先日の旅行の時にも思ったこと。それは、北キプロスもそうであったけど、空港に入るのが偉く厳しいということ。
空港ビルに入るには、とにく誰でも機械による『荷物チェック』および金属探知ゲートをくぐらないと入れないということ。
だから、出迎えに来ている人も『建物の外』で待つしかないようです。
もちろん、チェックインカウンターのある階でも同様。建物に入るところに全てゲートがあった。
多聞、イスラム圏はみんなそうなのかしら・・なんて思ってるんですけど??
モスクワのような事件があると、やっぱりあの誰でもチェックすると言うほうがより安全かな?なんて思ったkおばちゃんです。
○12月30日(木)
さて、ギルネ城内にやっと入った感じです。
四方をぐるりと石壁が囲んでいる中庭・・のようになっています。
とりあえず、あそこの入り口から入って見ましょう。
ここが入り口です。
Shipwreck museum難破船博物館ですって。
あ、船の形場見えますね。
これは、難破船を発掘研究していたときの写真でしょうか?
このように積み荷を積んでいたんですね。
このような壺を沢山積んでいたようです。
こちらは引上げられた難破船そのもののようです。
この船は紀元前4世紀のギリシャの商船だそうです。
1965年11月にギリシャ系キプロス人のダイビングインストラクターAndreas Cariolou氏によって嵐の中発見されたそうです。しかしながら、なにぶん嵐のなかの発見。その後正確な位置の割り出しまでには2年の歳月がかかりダイビングを200回以上行わなければならなかったとか。
その後、ペンシルバニア大学のMichael Katsev氏の引きいるチームによって70年から引き上げ調査と保存が行われたようです。ただし、その間に起こったキプロス紛争で作業は中止されたこともあったということです。
船全体の形はこんな感じらしいです。
船に積まれていた品々でしょうね。葡萄の種、オリーブの種、そしてイチジクの種でしょうか。
いずれも今日でもここ地中海沿岸でさかんに栽培されている植物ですね。
当時の海易航路図でしょうか。ここキプロス島とロードス島の交易船だったのでしょう。
こんな感じの船だったのでしょうね。
紀元前4世紀のころのこのギルネの港の様子でしょうね。
これが発見当時の写真だと思います。
ギルネ城の沖合いに2000年以上の時を見つめて沈んでいたのですね。
ところで、この難破船ですがなんと日本のこの復元船があるそうです。
もちろんここを見学しているときは全然知りませんでした。まあ、いつもの『後から学習』ですけどね。
キレニア号という名前がついているそうです。キレニア・・って発音だそうです。トルコ語読みじゃあないんですね。
この復元船が展示されているのは福岡市博物館だそうです。HPによると、アジア太平洋博覧会に出展されましたものだったようです。
復元船を製作した会社のHPにもその様子がちょこっと載っていました。これはキレニア3号といったところのようです。
2004年にはその後に建造された復元船にオリンピックの銅メダルに使用される『銅』の積荷を積載し、紛争相手国であるギリシャで向けて出航したと言うことです。
きっと、紛争解決の兆しがみえる出来事だったのでしょうね。
それにしても、日本にこの復元船があるとは思わなかったkおばちゃんです。
今度、チャンスがあったら是非見て見たいと思います。