今日は、私が描いた夢や理想以上に、私の努力と思いが実を結んだ子育てについて、できるだけ手短に語りたいと思います。
未熟なところがいっぱいあり世間知らずだった私にしては、余りに出来過ぎの子育てでした。
二人の娘は、最高学府のT大学を卒業し、大手銀行と商社に勤務する、といった想像すらしない展開になったからです。
その後、転職し、今は外資系の会社に勤務していますが。
二人とも健康そのもので、頑張り屋さん。
良きお婿さんにも恵まれ、仕事と家事子育てを両立し、とても幸せな家庭を築いてくれています。
ほどほどの女子大を卒業し、良妻賢母になってほしい。
私は、その程度のささやかな望みしか抱いていない平凡な母親でした。
伝統的価値観の方が強くて、女性が働くことへの抵抗もありました。
その件で、高校生の頃、長女と言い合ったこともあります。
そんな母親でしたから・・・
何が良かったのか、未だによく分からないのだけれど・・・
子供たちが幼稚園児の頃、夫が海外出張時寄ったスイスで買ってきたお土産です。
テレビでそのころ放映されていたアルプスの少女ハイジにそっくり。
この番組に家族は夢中でした、
明けても暮れてもハイジが離れない日々を送っていました。
一番大きな要因は、生まれた時から備わっていた子供たちの資質かもしれませんね。
もう一つ挙げられる大きな事は、私の母の無償の溢れるような愛情でした。
幼い子供たちの心に、計り知れない良き影響を与えたと思います。
私も、おばあちゃまを疎かにしてはいけない、と言い続け、親より祖母に目を向けさせました。
子供たちが可愛い盛りの時、それが私の母への何よりの孝行だと、私は思っていましたから。
では、私の場合は、何が良かったのでしょう?
強いて挙げるなら、母親として、とても謙虚なところがあったことでしょうか。
母親としての自分に自信が持てなくて、私は子育て中、育児書を読み漁りました。
良書に巡り合うと、そこに書かれた言葉を実践しようと、一生懸命努力もしました。
でも自分の性格は、そう簡単に変えられるものではありません。
理想と自分の振る舞いのギャップに悩んだことは数知れずです。
その当時、育児書として一番有名で人気が高かったのは松田道雄氏の著書でしたが。
その内容には、一部納得がいかなくて。
そんな頑固なところも、意外にあった私です。
幼稚園に行く前は、このテーマソングを流したりと・・・。
ハイジ一色の我が家でした、
私の子育てにおいて、一番指針となったのは、大学の教育心理学の授業で耳にしたある箴言です。
「子育てにおいて一番大切なことは、動機付けです」
私は真面目な生徒とは言えず、授業もいい加減にしか聞いていないことも多かったのですが・・・。
この言葉は、なぜか胸に深く刻まれました。
全くその通りだと思い、深く感動したのです。
子育てをするようになったら必ず実践しようと、私は心に誓いました。
その後、Yさんと結婚し、二人の娘を授かった私は、その箴言を実践する努力をしたのは言うまでもありません。
~をしなさい、というのではなく、それをしないといけない理由を丁寧に、事ある毎に説明しました。
就学前から、勉強する大切さも、度々話しました。
「Mちゃんたちは、今は元気に遊ぶことがお仕事だけれど、小学校に通うようになると、お勉強というお仕事が始まるの。
そのお勉強を一生懸命すると、こんないいことがあるのよ、云々。
ママはそのお勉強への努力が足りなかったから、今、後悔していることがいっぱいあるの」
こんな具合です。
この私の自らの反省に立った言葉かけが、非常に説得力があり、良かったのかもしれません。
何事にも真心を込めて一生懸命取り組む事の大切さも、私は幾度も言い続けました。
結果は神様が決めてくださることだから、心配しない事。
頑張る過程が何よりも一番大切、が私の口癖でした。
更に子供たちに本を与えることに、お金を惜しみませんでした。
その繰り返しの私の言葉や読書が、育児で功を奏したのでしょうか。
家では宿題くらいしか勉強はしませんでしたが、授業は熱心にまじめに受けていたのでしょう。
長女が二年生になる直前に渡米。
日中はアメリカンスクールに通い、四時半から確か七時まで受けた日本人学校の授業の成績は、二人とも、いつもトップクラスでした。
ミッションスクールの日本人学校でしたから、信者ではありませんでしたが、土曜には親子三人で教会にも必ず通いました。
高みに目を向ける心が、健やかな成長の力にもなってくれたとも思っています。
その後成り行きで、娘二人とも、最高学府の大学をを卒業することとなりましたが。
もちろん私には、そんな望みも夢もさらさらなくて。
冒頭に書いたとおりです。
教育ママとは、ほど遠かった、と言っていいでしょう。
それを証明するようなエピソードがあります。
このお話は次回で。
良き友達に恵まれて、明るく元気に毎日を過ごしてほしい。
願うことは、それだけでした。
言葉遣いや、挨拶などの躾は割と厳しい方だったと思いますが。
長くなるので、この続きは明日に回させていただきますね。
次回は長女が六年生の夏前に帰国し、帰国子女枠でなく、一流校の普通受験にいかに臨んだか、その動機付けを如何にしたか。
そのお話をさせていただきます。
受験生をお持ちのお母様たちのご参考に少しでもなれば嬉しいです。
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ありがとうございました。
花のように泉のように