そろそろ旅行記は終わりにしませんと。
閲覧くださっている皆様は、厭きてこられたのではないでしょうか。
申し訳ありません。
後、もう一回更新すれば、終了予定です。
寺町通りは期待以上に愉しめ、この後向かったのは私の母校です。
母校を再訪するのは、飽くまで私の希望に過ぎませんでしたが・・・。
意外にも娘達も、十分愉しめたようで、本当に良かったです。
私たちが載った画像ばかりしか残っていなくて、御目障りでしょう。
すみません。
この頃になると、青空が広がり始め、赤レンガ色の大学の建物が空の色に映え。実に美しくて、見惚れ、
うっとりしてしまう程でした。
私が卒業して、もう60年近くの歳月が経つのに、その頃と全く変わらない大学の風景がそこにありました。
長い伝統は、誇れる大学なのかもしれません。
その頃は、その素晴らしい環境に私は気付いていたのでしょうか。
まだ未熟だったので、きっとそんなことに思いが至らなかったのかもしれません。
カメラの電池が切れ、慣れないスマホで撮影を頑張る私です。
娘達が言いました。
「本当にきれいで素晴らしい環境」と。
「私達の母校より素敵」等と言って褒めてくれましたが、
威厳と風格,、実力も娘達の大学はけた違い。
私はこの学校に、高校の推薦で、受験なしで入学できました。
先生を大恩人と思っている理由の一つです。
他にも感謝していることが色々あります。
私は小学校時代はオール5の優等生、中学時代は中等生、高校時代は劣等生。
そんな感じでした。
高校二年生の頃、気力も体力も消失。
一時数か月、登校できなくなったこともあります。
そんな私でしたのに、H先生は、この大学に推薦状を書いて下さったのです。
英語だけは割と良い成績でしたから。
大学入学後も、弱い精神と体力の無さは相変わらずでした。
しかし、素晴らしい友人に恵まれ、二人の友がいつも私を見守り支えてくれました。
この大学を卒業後に母から聞いた話なのですが、H先生から報告があったようです。
とても優秀な成績表が、私の元に、大学から届きました、と。
推薦入学だと、卒業した母校に、成績が報告されるのですね。
そんな事、私は全く知らなくて・・・。
でも優秀だったのは、恐らく一回生の時だけ。
二回生になってから、休校もしがちな劣等生だったと思っています。
けれど、私のその後の恵まれ過ぎた人生の土台は、この大学生活の時に築かれたとことは確か。
ですから、H先生は、私の大恩人です。
その気持ちは、今も変わりありません。
母校の美しさに見惚れ、スマホで写真を撮りまくったのですが・・・。
その画像の大半を削除してしまったようです。(涙)
あまりいい画像が残っていなくて、本当に残念。
次回で、この旅行記も終了するつもりです。
心からホッとしています。
一番大変だったの、撮った写真の整理。
スマホの画像をパソコンに移すのも初めての事でした。
NTTドコモに電話し、遠隔操作で教えていただきましたが、余りに複雑な作業で、もう忘れてしまいました。
その時の話で、小さなカードをスマホに挿入する。
それ専用のケーブルでスマホとパソコンをつなぐ。
二つの他の方法も教えていただきました。
近いうちに、ドコモショップでそれを購入し、スマホのカメラを私ももっと利用できるようになりたいです。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。