本当なら前回書くはずだったのだが、父・加藤千代三の生まれた家について書いておこう。
加藤の家は名字帯刀を許され、僧籍を輩出した家柄と書いた。聞こえはいいが、千代三が誕生した当時の当主・金五郎は、わずかな田畑も持たない小作農だった。
金五郎は千代三に常日頃こう語っていたという。
「百姓になるな。貧しくとも、わが家の古く正しいすぐれた家柄を語って、その誇りを忘れるな」
これは、心のそこまで負け犬になるなという自戒でもあっただろうが、どれほど血筋や家柄を誇ってみたところで、日々の生活は楽になりはしなかった。
金五郎のわずか二代前には、加藤は小作ではなく名主だった。だが時の当主が放蕩の道楽者だったという。四人の妾を東西南北に配し、己の土地を踏み外すことなく、馬車で通えたという。
そのことを記憶していた千代三の父親・金五郎が「百姓になるな」といったのも頷ける。とはいえ、プライドを抱えた小作農というのも珍しい。
だが千代三にとって百姓になる他はない。そういう時代であった。
加藤の家は名字帯刀を許され、僧籍を輩出した家柄と書いた。聞こえはいいが、千代三が誕生した当時の当主・金五郎は、わずかな田畑も持たない小作農だった。
金五郎は千代三に常日頃こう語っていたという。
「百姓になるな。貧しくとも、わが家の古く正しいすぐれた家柄を語って、その誇りを忘れるな」
これは、心のそこまで負け犬になるなという自戒でもあっただろうが、どれほど血筋や家柄を誇ってみたところで、日々の生活は楽になりはしなかった。
金五郎のわずか二代前には、加藤は小作ではなく名主だった。だが時の当主が放蕩の道楽者だったという。四人の妾を東西南北に配し、己の土地を踏み外すことなく、馬車で通えたという。
そのことを記憶していた千代三の父親・金五郎が「百姓になるな」といったのも頷ける。とはいえ、プライドを抱えた小作農というのも珍しい。
だが千代三にとって百姓になる他はない。そういう時代であった。